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FW泊志穂が下した「引退」の決断。WEリーグ最年長のアマチュア選手が貫いたもの

松原渓スポーツジャーナリスト
泊志穂

【チャレンジを重ねたキャリア】

 WEリーグは、新シーズンに向けて各チームが始動している。オフには、各チームの選手たちの契約更新や移籍のニュースが相次いだ。一方で、プロリーグ1年目を終えて、キャリアの幕を閉じる決断をした選手もいる。

 AC長野パルセイロ・レディースのFW泊志穂(とまり・しほ)は、昨季限りでの引退を発表した。長野の女子サッカー人気を支えてきた功労者の一人だ。

 身長は153cmと小柄だが、ゴール前で自然と視線を引きつける存在感があった。

 6人兄妹の長女として生まれた泊がサッカーを始めたのは、小学校卒業後。周囲よりも遅かったが、人一倍の努力を重ねて、大阪体育大学からなでしこリーグ1部(当時)の浦和に加入した。浦和ではほとんど試合に出場できなかったが、2015年に長野(当時なでしこリーグ2部)に移籍すると、ブレイク。相手の背後に鋭く抜け出す動きで得点を重ね、FW横山久美(現NJ/NYゴッサムFC)との強力コンビで2部優勝に貢献した。

 同年の相模原戦(◯6-0)で記録したダブルハットトリック(6点)は、多くの女子サッカーファンの記憶に刻まれた。「あの時は、ゾーンに入ってましたね」と、泊は懐かしそうに頬を緩める。

2015年のダブルハットトリックは語り継がれるエピソードだ
2015年のダブルハットトリックは語り継がれるエピソードだ写真:アフロスポーツ

 1部に昇格した2016年には、ホーム平均観客数でリーグ1位の“長野旋風”を巻き起こし、3位躍進の原動力に。17年には日本代表に初招集された。2018年にはオーストリア2部のFCヴァッカー・インスブルックに移籍。1年半で26試合に出場、22ゴールを決めた。

「海外挑戦は楽しかったし、視野が広がりましたね。日本ではサッカーがすべてで、『明日のために今日を生きる』という生活でしたが、オーストリアでは『明日のことは明日考えればいい、今日という一日を精一杯生きる』。そういう生き方もいいな、と思いました」

 翌年はドイツ2部のBVクロッペンブルクに移籍。14試合に出場したが、クラブが財政難に陥り、半年でチームを離れた。そのタイミングで長野に復帰することを相談し、アマチュア契約で復帰した。泊が29歳の時だ。

「引退する選択肢もありました。ただ、あれだけ応援してくれた長野のサポーターや、これまで支えてもらった家族に感謝を伝えたい、という思いで長野に帰ってきました」

 クラブから復帰が発表されたとき、SNSはサポーターの歓喜の声で溢れた。

 2020年、なでしこリーグ2部で16試合に出場して2ゴール。そして昨年、WEリーグでは15試合に出場、ゴールはゼロ。チームは過渡期に差し掛かり、FWとしても結果が出せずに苦しんだが、ピッチ外の貢献度も高かった。

 平日の日中はクラブのフロントに勤務。クラブの公式YouTubeでは動画コンテンツなども制作し、撮影、編集、配信までこなした。新人選手の紹介動画では、朗らかなキャラクターで若い選手たちの個性を引き出し人気を集めた。自身のYouTubeでも、海外での経験や「アスリートの終活」をテーマにした動画などを発信し続けた。

WEリーグで昨季は15試合に出場した
WEリーグで昨季は15試合に出場した

【環境のギャップの中で】

 クラブの公式HPを通じて泊の引退が発表されたのは、最終節が終わった3日後(5月26日)だった。

 泊は、自分との戦いだったラストシーズンを回想した。

「毎年、今年が最後の1年、というつもりでやっていましたが、プロリーグでもう1年、頑張って結果を残したいと思いました」

 長野がWEリーグへの参入を決めた2020年、泊はその目標を掲げた。だが、クラブから、「アマチュアとしてなら契約を更新することはできる」と厳しい事実を告げられている。

 WEリーグでは、1チームあたりの選手数は20名〜30名。そのうち、15名以上とのプロ契約を義務付けている。昨季は335人のWEリーガーのうち、プロ選手が206名、アマチュア選手が129名だった。31歳(当時)でチーム最年長の泊にとって、それはかなり厳しい条件だった。

「ただ、シーズン最後の皇后杯で、改めて『サッカーが楽しい』と感じたんです。『現状の評価では試合には出られないかもしれない、ただ、やめなければその評価は自分が戦う姿を見せることで覆せるかもしれない』と思い、続けることにしたんです。応援してくれる方にとってはアマもプロも関係ない。責任を持ってプレーしよう、と決めました」

 プロは24時間をサッカーに使えるため、午前中は筋力トレーニングや体のケアに充てることができる。一方、泊は日中はフロントスタッフとして働いていたため、筋トレやケアは練習後に行う。時間と、疲労との戦いだった。

「翌日に疲労が残らないように、1日の最後のエネルギーを振り絞って筋トレに行くかどうか、葛藤する毎日でした」

 昨季、長野の平均年齢は22歳前後と若く、秋春制への移行時期が重なったためにシーズンが1年半と長かった。その日々の蓄積は、大きな負担となっていたはずだ。それでも、覚悟はブレなかった。

「目標は『長野Uスタジアム(ホーム)で点を取ること』。そのために、初歩的だけれどケガをしないこと、シュートを打つことをより意識しました。練習でスプリントやアジリティを入れるなど、準備を徹底することでコンディションも上がって、練習の紅白戦ではゴールも決めてアピールしました」

戦う気持ちを周囲に波及させた
戦う気持ちを周囲に波及させた

 試合では出場時間が限られ、ベンチ外になることも。だが、ピッチに立てば全身全霊でプレーした。メンバー外を経験したことで、ピッチに立つ責任をさらに強く意識するようになり、その気迫を周囲に波及させた。

 それが一つの成果として表れたのが、第9節の広島戦(◯2-1)だ。1点ビハインドで迎えた後半アディショナルタイムに、泊がファウルを受けてフリーキックを獲得。これをDF五嶋京香(現・大宮)が決めて、土壇場で同点に追いついた。

 残り時間は2分。スタンドやベンチが歓喜に沸く中、泊はすぐにボールをセンターサークルに運び、その背中で「逆転しよう」とチームを鼓舞した。泊のアシストからFW瀧澤千聖(現・広島)が劇的な逆転弾を決めたのは、その直後のことだ。その瞬間、スタジアムは大きく揺れた。

 五嶋は試合後、自身のSNSにこう綴っている。

「諦めなかったら奇跡は起きるものだなと思いました!点を取る人がだいたい注目されますが、2アシストをしたとまちゃん(泊)がMVPだと思います」

 また、18節の浦和戦(●2-3)では、右からのクロスに全力で飛び込みゴールを演出。試合には敗れたが、古巣への恩返しを果たし、ファンを喜ばせた。

 泊が交代で出場する際や、ピッチを退く時に送られる拍手は、魂のこもったプレーに対するオマージュだった。

「長野には、本当に感謝しかないです。最後に点を決めることはできなかったけれど、これまで、自分が嬉しいことをサポーターの皆さんが一緒に喜んでくれる瞬間が本当に特別で、その瞬間のために頑張ることができました。伝えたいことは言い切れないほどありますが、本当に感謝しています」

ゴールの喜びをサポーターと分かち合った
ゴールの喜びをサポーターと分かち合った写真:森田直樹/アフロスポーツ

【原点に戻って新たなスタートへ】

 WEリーグはプロ・アマが混在しているからこそ、泊のように経験値の高い選手がアマチュア契約になり、環境面のギャップに苦労するケースは今後もあるだろう。その厚い壁と1シーズン向き合ってきた泊は、率直な思いを口にした。

「プロは結果がすべてですから、選手が結果に対して責任をより重く感じるようになったのはいいことだと思います。ただ、選手それぞれが生き残りをかけて厳しい競争になったことにより、個人のモチベーションが高まる一方で、ピッチの内外でチームのために汗をかける選手が少なくなっていると感じることもあったので、『チームのために戦う』という思いも大事にしていってほしいですね。

また、年齢を重ねればパフォーマンスの維持が当然難しくなり、本来はケアに人一倍時間をかけたいところですが、アマチュア契約であればなおさら仕事との両立で時間の制約がある。その中でプロ契約選手と対等に比較・評価され、闘い続けるのはかなりパワーが必要なことではあったけれど、それでもプロリーグの選手としてシーズンを走りきることができたのは私にとって大きな財産になりました」

 引退を発表してから、オフに入るまでの数日間の練習で、泊は原点に戻ることができたという。

「プレッシャーから解放されて、すごく楽しくプレーできました。ゴールも決めましたよ」

 屈託のない笑顔を取り戻した泊が言う。今後について聞くと、「まずはサッカーから離れて心をリセットしたい」とのこと。

 その時が来たら、またサッカーを始める選択肢もゼロではなさそうだ。そして、自身がサッカーと人生のキャリアを築いた長野は「ずっと関わっていきたい場所」だという。

 チームは今季、田代久美子新監督の下、新たな陣容でスタートを切った。10月の開幕に向けて、チームづくりを進めている。

 泊の新たな人生の1ページのスタートを、楽しみにしている。

*表記のない写真は筆者撮影

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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