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ノジマ加入のMF杉田亜未が誓う地元・神奈川への恩返し。なでしこリーグMVPが、WEリーグでも本領発揮

松原渓スポーツジャーナリスト
杉田亜未

【攻撃力アップの原動力に】

「チームは生き物」と言われる。

 歯車を規則的に動かす機械とは違い、ピッチに立つ選手の顔ぶれやポジショニング、戦術や心理的変化などによってパフォーマンスが変化する。時には、新たな力がチームを大きく前進させることもある。

 WEリーグのノジマステラ神奈川相模原は、4月3日の新潟戦で、10試合ぶりの勝利を挙げた。

 2つのゴールの起点となったのは、MF杉田亜未(すぎた・あみ)。昨季なでしこリーグで優勝した伊賀FCくノ一三重から1月に加入し、3月6日の大宮戦でWEリーグデビュー。合流からわずか1カ月で見事にフィットし、ここまで5試合に出場して2得点。攻撃力を増したノジマの推力となっている。

「(なでしこリーグから)WEリーグにきて、プレースピードを上げなければいけないと感じているので、試合中の情報収集をより早くするようになりました」

 アマチュアリーグからプロリーグへと活躍の場を移しても、プレーの迫力に衰えは見られない。

 ドリブル、キープ、コンビネーション、スルーパス、サイドチェンジ、背後への動き出し、プレースキック。ポジションは1.5列目でプレーすることが多いが、中盤からサイド、前線まで幅広いエリアでチャンスメイクやフィニッシュに絡む。そして、それらの技術を高強度で継続できるところに杉田の非凡さがある。

 昨季、伊賀では攻守に走り回って14ゴールを決め、1部初タイトルを牽引。なでしこリーグのMVPに選ばれている。

 直近の4シーズン、同チームはハイプレスから縦に速く攻めるスタイルで、杉田は最前線からのプレッシングやスプリントなど、強度の高いプレーを続けるための持久力や心肺機能を鍛えてきた。特にこだわってきたのは、臀筋を鍛えることだ。

「シュートを打つときのパワーや、ジャンプした時にケガを防ぐ効果もあるので、おしりを鍛えることの大切さは実感してきたので、今でも継続して取り組んでいます」

 プロとしての自己管理も徹底してきた。

 ノジマに加入して瞬く間にフィットできたのは、そうした土台が生かされやすい環境だったことに加えて、杉田自身の柔軟な対応力によるものだ。

「ハードワークしながらゴールに絡んでいくことや、前からプレスに行くところは、伊賀で取り組んできたことと共通しています。それは自分の体に染み付いていて、体が求めている感じがあるんですよ(笑)。ノジマのサッカーは自分の良さを出しやすいスタイルだと感じるし、きれいにプレーするというより、ガツガツいく方なので、そのアグレッシブさはどんどん出していきたいですね。

ノジマの選手たちの特徴は対戦したことがあるので知っていたし、(自分は)周りに合わせてプレーできるタイプだと思います。一緒にプレーして改めて、『こういう特徴があるんだな』と知って、味方の動きもさらにつかめてきました」

 ノジマの北野誠監督は、相手の戦い方によってシステムやフォーメーションを臨機応変に変え、戦う術をチームに植え付けてきた。2年目でその成果が出始めている。そこに杉田加入の好影響もあり、攻撃的なサッカーが定着しつつある。

 前半戦に比べると、高い位置でボールを奪ってシュートに持ち込むシーンが多くなり、1試合あたりのシュート本数は1.4倍(6.4本→9.2本)に増えた。

攻守にアグレッシブさを増している
攻守にアグレッシブさを増している

 左サイドバックのDF小林海青(こばやし・みはる)は、東京NB戦(●3-4)後に、「守備を前からはめていく形にトライしていて、めちゃくちゃ走るのですが、この戦い方が自分たちに合っていると思うし、楽しいです。(上下動が多くなる)サイドは疲れますが、杉田選手が中盤で時間を作ってくれることで、簡単に当てて走りやすくなりました」と語った。

チームメートは年下が多いが、笑顔の輪にすっかり溶け込んでいる。守備を牽引するDF大賀理紗子も、「杉田選手がチームを鼓舞してくれるので雰囲気が良くなりました」と、ポジティブな変化を口にする。

 背番号は、空いていた中で「9」を選んだ。ストライカーがつけることが多い数字だが、そうしたこだわりがあったわけではない。理由は別にあった。

「ノジマで以前9番をつけていた尾山沙希さんが吉備国際大学時代の先輩で、同じ番号をつけさせてもらえるのは光栄なことだなと思ったんです」

 尾山は、2012年に創設されたノジマの初代キャプテン(2017年に引退)。誰よりも走り、最後まで諦めないプレーを身上とするボランチだった。杉田も、ボランチでプレーすることがあり、献身的にチームを支える2人の姿はどこか重なる。

【意識を変えた代表落選】

 神奈川県で生まれ育ち、大和シルフィード、湘南学院高校で実力をつけた杉田は、吉備国際大学(岡山)時代に代表入りして頭角を現した。その後、2014年から伊賀(三重)で8シーズンを過ごし、30歳になった今年、再び神奈川に帰ってきた。キャリアのターニングポイントを聞くと、杉田は時計の針を7年前に戻した。

「当時はあまり深く考えず、感覚でなんとなくプレーしていたんです。それで、代表から外れた時に、『自分は今まで何をしていたんだろう?』と思って……それまでの時間が無駄だったんじゃないか、と後悔したんです」

 大学4年の時になでしこジャパンに初選出された杉田は、レギュラー定着とまではいかなかったものの、2014年のAFC女子アジアカップではアジア初優勝を経験。U-23ラマンガ国際大会では主将を務めるなど、着実にキャリアを積んだ。

 ビビッドなアタッカーの存在がお茶の間を賑わせたのは、2015年の東アジアカップの北朝鮮戦だ。

 1点ビハインドの70分に、杉田は目の覚めるようなミドルシュートを決めた。相手DFのクリアボールを、ゴールまで25m近い距離からダイレクトで右足一閃。一瞬、時が止まったような錯覚を覚えるスーパーゴールだった。

北朝鮮戦のミドルシュートは鮮烈な印象を残した
北朝鮮戦のミドルシュートは鮮烈な印象を残した写真:アフロスポーツ

 ただ、当時のなでしこの中盤は澤穂希、宮間あやら、黄金期を築いたスターひしめく“超激戦区”。2015年カナダW杯ではバックアップメンバーとなり、翌年のリオデジャネイロ五輪予選は選外に。代表落選の挫折は、杉田の意識を変えた。

「落選を機に『変わりたい』と思って、個人的にトレーニングを始めました。体を変える(鍛える)ことから始めて、頭を使ってプレーするようになりました」

 その後、杉田は15年から21年まで休むことなく、リーグ戦全130試合に出場。2017年には一時的に代表にも復帰し、複数のポジションをそつなくこなすクレバーなプレーで輝きを放った。

 一方、2018年には2部降格の落胆も味わっている。常にレベルの高い場所での挑戦を望んできた中で、「移籍」の2文字が頭をよぎったことは何度かあったという。ただ、人との縁やつながりも大切にしてきた。

「伊賀が降格した時は移籍を考えましたが、大嶽(直人・元伊賀監督)さんが復帰することになり、話をした時に熱い口調で『一緒にサッカーをやってほしい』と言ってくださって。お世話になったチームへの感謝もあったし、出会いを大切にしたいと思って残留を決めました。残ったことでプレーの幅や視野も広がって良かったと思っています」

 伊賀もWEリーグ参入を希望していたが、昨季は叶わず。「ずっと、WEリーグで挑戦したいという思いがあった」という杉田は今年、優勝の置き土産を残して移籍を決断した。

【地元への恩返し】

「ノジマは育った座間市に一番近いこともあって、親近感を抱いていました。以前からオファーをいただいていたので、『いつかは』と意識していたんです。今回、WEリーグにチャレンジしようと思った時にまた声をかけてくださったので、即決しました。必要としてもらえたこと、恵まれた環境でサッカーができることへの感謝を、プレーと結果で恩返しするつもりです」

 デビューを飾ったアウェーの大宮戦は、4000人を超える観客の中でプレーし、「素晴らしいリーグでやらせてもらえていると感じました。楽しかったです!」と、目を輝かせた杉田。

 今後の未来図について聞くと、一息置いてからゆっくりと、言葉を重ねた。

「神奈川県はサッカーが盛んですが、相模原にチームがあることはそれほど認知されていないかもしれないので、男子(SC相模原)だけでなく女子もあるということをもっと知ってもらいたいし、一人でも多くのお客さんに来ていただきたいなと思っています。面白くて勝てるサッカーをしつつ、地元の方と交流する機会にはしっかりアピールして輪を広げていきたいと思います」

 プロリーグの頂点とともに、地元から愛されるクラブを目指すノジマの新たな起爆剤になれるか。

 リーグ戦は残り6試合。燃えるような赤いユニフォームで躍動する背番号9に注目だ。

新天地で力強いスタートを切った
新天地で力強いスタートを切った

*表記のない写真は筆者撮影

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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