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DF岩清水梓が息子を抱いて選手入場。産後復帰からの挑戦で夢を叶えた!乗り越えた壁とは?

松原渓スポーツジャーナリスト
2歳になった息子を抱いて入場した岩清水梓

【新たな前例に】

 3月5日、味の素フィールド西が丘で行われたWEリーグ第12節。選手入場時、会場に心和む空気が充満した。

 日テレ・東京ヴェルディベレーザのDF岩清水梓が、2歳の長男を抱いて入場したのだ。彼の誕生日(3月3日)にちなんだ33番のお揃いのユニフォームで。

「スタメンに選ばれて、息子を抱っこして選手入場することが夢です」

 出産前に語っていた夢が叶った瞬間だった。

 試合はAC長野パルセイロ・レディースに4-0で快勝。FW植木理子のハットトリックが記念日に花を添えた。

「やっと夢が叶いました。みんなのおかげで勝って終えられて素敵な1日になりました。今日をスタートラインとして、勝利を目指しつつ、母親としてピッチに立つ回数をもっと増やしていきたいです」(岩清水)

 日本の女子サッカー界では、2005年に出産して代表に復帰した宮本ともみさん(現U-20代表コーチ)がパイオニア。だが、その後に続く選手はなかなか出てこなかった。結婚や出産には、引退がつきものだった。

 岩清水も一度は引退を考えたという。だが、宮本さんの存在が、復帰の決断を後押しした。35歳で最前線に戻ってきた岩清水は、WEリーグで新たな“前例”を作った。その決断は、後に続く選手たちの選択肢を広げるだろう。

【復帰に立ちはだかった壁】

 2020年3月に出産し、半年後には練習に本格復帰を遂げた。ピッチに戻ってきたのは、21年5月に行われたプレシーズンマッチ。ただ、WEリーグのデビュー戦は、11月の大宮アルディージャVENTUS戦まで待たなければいけなかった。完全復帰するまでには、どんな苦労があったのだろうか。

「一つは産後復帰の体づくりです。長いリハビリをしたことがなかったので、チームに合流する大変さを感じました。二つ目は、(ベレーザが)復帰してもすぐに出られるような(レベルの)チームではなく、自分もケガをしたりリハビリをしながら、スタメンを取るのが難しかった。

練習に合流してからは、イメージと現実の違いにへこむことが多かったです。それを受け入れるところから始まって、それからは『これができるようになった』『あれもできるようになった』と少しずつ達成感を積み重ねて。時間をかけないとトップレベルには戻れないと感じたので、ひたすらみんなにしがみつきながら頑張りました」

プレシーズンマッチで産後復帰を果たした
プレシーズンマッチで産後復帰を果たした写真:森田直樹/アフロスポーツ

 昨年12月の皇后杯で先発に復帰。いきなり90分間プレーするのは難しかったが、プレーの質は以前と変わらないレベルまで戻っていた。二手、三手先を読んだようなポジショニングと予測でボールをインターセプト。163cmだが、ヘディングは負け知らずだ。パスのタイミングやテンポも、計算し尽くされたような間合いやリズムが感じられた。

「よくなっていますよ。ヘディングもクリアするのではなく、パスにしたり、さりげないボールコントロールとか繋ぎもうまい。岩清水はそつがないですよ」

 竹本一彦監督は、嬉しそうに語っていた。

 そして、4試合目となったこの長野戦では80分まで出場時間を伸ばした。最終ラインの砦に勝利を捧げた植木は、言葉に信頼をこめた。

「イワシさんは出産前も、いろんな場面でチームを救ってきてくれました。練習中に必要な声がけやプレーで見せてきてくれて。また一緒にプレーできて嬉しいです。試合前に『イワシさんの出産後初スタメンを勝ち試合で終われるようにします』と伝えていたので、自分のゴールで勝てたことも嬉しいです」

【ベレーザ魂の継承者】

 岩清水は、2003年に16歳でデビューしてからベレーザ一筋でプレーしてきた。獲得してきたタイトルを見ると、思わずため息が漏れるほどだ。

 W杯優勝1回、準優勝1回、五輪準優勝1回、アジアカップ1回。なでしこリーグ12回、皇后杯10回、リーグカップ6回。ベストイレブン13回(2006年〜18年まで/過去最多)。ベレーザは多くの代表選手を輩出してきたが、現在20代のその選手たちは皆、岩清水の背中を見てきた。

ベレーザ一筋で多くの後輩に影響を与えてきた/左はDF土光真代
ベレーザ一筋で多くの後輩に影響を与えてきた/左はDF土光真代写真:森田直樹/アフロスポーツ

「自分が20歳の頃と比べると、申し訳ないぐらい、みんなの方がうまいです(笑)」

 以前、岩清水はそう言っていた。だが、今の若い選手たちが持っていないものを持っている。

 2011年のW杯決勝でアメリカのエースFWアレックス・モーガンの決定的な突破を阻止し、“人生初のレッドカード”を受けたが、差し違えることでチームを救ったタックル。日本がアジアカップで初優勝した2014年大会の、2試合連続決勝弾――。試合の勝負どころを知り、年月を経ても色褪せないプレーがある。植木は言う。

「声のかけ方やプレー面でも、『勝つ』方法を一番知っている選手だと思います」

 岩清水が23歳の時、主力選手が海外挑戦や移籍などで大量にチームを離れ、それからしばらく、ベレーザはタイトルから遠ざかった。

「(当時は)引っ張ろう、と気持ちばかりが先行して、やるべきことが果たせないもどかしさがありました」(2016年のコメント)

 苦しい時期をキャプテンとして支え、2015年からの5連覇を牽引した。

 そして、WEリーグ1年目の今季、再び選手が大きく入れ替わった。もともと若かったベレーザの平均年齢はさらに下がり、下部組織のメニーナで力をつけてきた10代も続々と芽を出している。ただ、開幕後はケガ人も出てリーグでは思うように勝ち点が伸びず、4連覇がかかった皇后杯は、準々決勝でジェフユナイテッド市原・千葉レディースに0-3で完敗した。

 それでも、ベレーザのサッカーに“迷い”はなかった。

 卓越した技術と小気味よいパスワークで、相手の逆を取り続ける。攻撃に時間をかけすぎて自陣を固めた相手に苦戦したり、ボールを支配しながらシュートに向かう強引さが足りずに無得点で終わる試合もあった。だが、方向性がブレることはなく、着実に積み上げていく。その「イズム」を、岩清水は体現してきた。

「プロなので勝敗も大事ですが、目先の勝利より、何を積み上げていくかが大事だとも思うので。私の経験とか、声かけやプレーでそれを手助けして、また新しい時代を作っていきたいと思います」

 開幕前にそう語っていた。若い頃から鬼気迫るコーチングが印象的で、“闘将”のイメージが強かった。だが、褒めるのも上手だ。

 代表戦では、テレビの解説者として選手たちの魅力を的確に表現し、愛のある叱咤も。若手、中堅、ベテラン、キャプテン、リーダー、大黒柱。その言葉には、さまざまな立場でサッカーと向き合ってきた経験が凝縮されている。若い選手が多い今のチームでは、「頑張っているプレーを見つけて褒めること」を心がけているという。

 ベレーザはホーム戦に託児所を設けるなど、設備面の環境整備も進めている。岩清水に続き、千葉のFW大滝麻未も昨年11月に第1子を出産。2月末の皇后杯決勝ではスピード復帰でサポーターを喜ばせた。

 WEリーグは、ジェンダー課題への取り組みとともに、妊娠・出産にかかわる女性選手の権利の保護などにも力を入れている。

 この先の目標について、「息子が記憶に残せるぐらい、選手として走りたい」と語った岩清水。第一線で長く活躍し続けてきたプロの鑑(かがみ)は、これからも女子サッカー選手の可能性を広げてくれそうだ。

母となって新たなキャリアを切り開く
母となって新たなキャリアを切り開く写真:松尾/アフロスポーツ

*表記のない写真は筆者撮影

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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