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東京五輪で託された背番号「10」。FW岩渕真奈が澤穂希から継承したもの

松原渓スポーツジャーナリスト
澤との6年越しの約束が実現。岩渕が東京五輪で背番号10を背負うことになった(写真:アフロ)

 6月21日から千葉県の高円宮記念JFA夢フィールドで合宿を行っているなでしこジャパン。本大会に出場する21名が決まり、7月21日の初戦・カナダ戦に向けて、チーム作りは大詰めを迎えている。

 今大会のなでしこジャパンは、平均年齢が24.6歳(バックアップメンバー含む)。2019年のフランスW杯ではチームの平均年齢が約24.0歳で、全24カ国中2番目に若いチームであり、23人中17名が世界大会未経験だった。当時に比べると、今大会では18名中15名が19年のW杯を経験しており、経験値と連係の上積みは期待できる。また、海外組が増えたことも大きな変化だ。中でもバイエルン、アーセナル、ミランなど、欧州のビッグクラブの女子チームに所属する選手が増えた。

 6月18日のメンバー発表では新背番号も発表され、今大会、日本の「背番号10」をFW岩渕真奈が付けることが明らかになった。

 10代の頃から天才ドリブラーとして大きな注目を集めてきた逸材が、ついに代表のエースナンバーを背負う日が来た。自国開催の五輪で背負うことの重圧や責任を、岩渕は喜びとともに受け止めている。

「10番は小さい時から目標にしていて、いつかつけたいなと思っていた番号なので、素直に嬉しいです。また、(10番といえば)自分が『いつかこうなりたい』と目標にしていた澤(穂希)さんのイメージが強いのですが、一歩でも近づき、また追い越すような気持ちで、プレッシャーではなくポジティブにいろんなものを背負って、チャレンジしながら自分らしい番号に染めていきたいと思います」

 岩渕は、18歳で2011年のドイツW杯優勝を経験。その後も2012年ロンドン五輪銀メダル、そして2015年カナダ女子W杯準優勝と、佐々木則夫監督の下で一時代を築いたなでしこジャパンの最年少プレーヤーとして活躍した。13年から17年までドイツ1部のホッフェンハイムやバイエルン・ミュンヘンでプレーした後、17年から4シーズン、INAC神戸レオネッサで活躍。そして昨季終了後にイングランド1部のアストン・ヴィラに移籍した。加入後は全試合に出場して1部残留に貢献し、シーズン終了後には同1部の強豪・アーセナルに加入が決まっている。サッカー選手として心身ともに充実した年齢を迎えた岩渕のキャリアは、更なる飛躍の可能性を示している。

海外でのプレーや国際経験が豊富で、ゴールのパターンも多彩だ
海外でのプレーや国際経験が豊富で、ゴールのパターンも多彩だ写真:ロイター/アフロ

 以前の代表では途中出場が多かったが、高倉麻子監督が率いる今のチームでは発足当初の16年から主軸としてプレーしてきた。得点数はチーム最多の「35」に上り、代表キャップ数はDF熊谷紗希の「114」、MF中島依美の「85」に次ぐ「77」になった。

 高倉監督は、岩渕の背番号10に対する思いを以前から感じていたという。一方で、「なでしこの象徴的な10番は澤さんだと思いますが、その後で10番を背負うことはとても重い意味があると感じていました」と、経験や年齢、パフォーマンスや精神面でチームに与える影響なども考慮した上で、総合的にタイミングを見計らい、託すタイミングを見極めたことも明かしている。そして、こう期待を込めた。

「五輪という大きな舞台で、チームの浮き沈みを背負って立つぐらいの気迫で、グラウンドで躍動してくれることを強く期待しています」

【「SAWA」から「IWABUCHI」へ。受け継がれたバトン】

 澤穂希さんは、1999年のアメリカW杯から2015年のカナダW杯まで15年以上にわたり、なでしこの背番号10を背負った。男女通じて史上初となるW杯6大会、五輪4回に出場。2011年ドイツ女子W杯ではキャプテンを務め、得点王とMVPに輝く活躍でチームを優勝に導き、さらに同年のFIFA最優秀選手賞を獲得するなど、長く日本女子サッカー界を牽引したレジェンドだ。

2012年ロンドン五輪では銀メダル獲得の原動力になった
2012年ロンドン五輪では銀メダル獲得の原動力になった写真:築田純/アフロスポーツ

 澤さんの前には、高倉監督や野田朱美(現・群馬FCホワイトスター)監督が世界大会で10番をつけた。そして、澤さんが引退した翌年16年以降は、FW永里優季(レーシング・ルイビル/アメリカ)、MF阪口夢穂(大宮アルディージャVENTUS)、FW籾木結花(OLレインFC/アメリカ)らが背負ってきた。ただし、16年のリオデジャネイロ五輪では日本はアジア予選で敗退し、19年のW杯で10番を背負った阪口は、ケガのためにピッチに立つことができなかった。今回の東京五輪で岩渕が出場すれば、日本の背番号「10」が世界大会でピッチに立つのは、2015年カナダW杯の澤さん以来6年ぶりとなる。

「サッカー選手としてはもちろんですが、人間的にも『ああなりたいな』と思える大好きな人です」

 岩渕は澤さんを心から慕っている。

 2人は、若くして「天才」と言われてきたことのほかにも、符合する点が少なくない。岩渕が生まれた1993年に澤さんは15歳で代表入りし、初の海外挑戦はともに19歳10カ月。ともに東京都出身で、日テレ・東京ヴェルディベレーザの下部組織から世界へと羽ばたいた。プライベートでも親交があり、食べ物の趣味も合うという。2015年のカナダ女子W杯では2人とも途中出場が多く、ベンチでは隣に並んで言葉を交わしている様子がテレビに映り、練習後は2人で話し込むシーンも見られた。

 岩渕は澤さんから、選手として練習から全力で取り組む姿勢やピッチ上での予測力、試合に出られない時でもチームを支えるメンタリティなど、その背中から多くのことを学んだと語っている。

 一方、澤さんは現役最後の2015年に、「週刊プレイボーイ」の対談で、岩渕に対して「東京五輪では、背番号10をつけてチームを引っ張ってほしい」と公言した。筆者もその場に居合わせたが、その言葉を聞いた瞬間、当時22歳だった岩渕が心から嬉しそうな表情を見せたことを覚えている。

 6年越しの約束を、澤さんはどのように見守ってきたのだろうか。

「10番に対する思いは以前から聞いていて、『つけたいけれど、そのためにどうしたらいいですか?』と、強い意志も感じていました。高倉監督になってから得点という形で結果も出しているし、彼女は10番に相応しいのではないかなという思いもあったので、『自分の思いを監督と話してみるのもいいんじゃない?』と伝えました。岩渕選手とは2011年のW杯前から様々な苦楽を共にしました。当時は彼女も若くて試合に出る機会が少なく、心の底では、『もっと試合に出て、チームの中心選手として活躍したい』という悔しい思いがあったことを口にしていて、それも理解できました。彼女が、東京五輪に向けて10番を背負うことは、自分のことのように嬉しいです」

 澤さんのリーダーシップを凝縮させた言葉は、日本がベスト4の結果を残した2008年の北京五輪で生まれた。

「苦しい時は、私の背中を見て」

 共に代表で140試合近くを戦い、日本をドイツW杯での世界一へと牽引した宮間あやさんは、この言葉を胸に、「最後の一秒まで澤さんの背中を見て走りました」と、後に語っている。澤さんはボランチとして、唯一無二の10番像を確立した。

「背番号は番号の一つに過ぎないけれど、サッカーの10番には重さがあります。私は現役時代、チームが苦しい時や点がほしい時に点が取れる、体を張ってゴールを守れる、みんなの見本となるプレーをすることが10番の役目だと思っていました。(15年のカナダW杯で日本との決勝戦でハットトリックを決めた)アメリカ代表のMFカーリー・ロイドも、ここぞというところで決めてくる嫌な選手でしたし、岩渕選手にも他国からそう思われるような選手になって欲しいですね。東京五輪で10番を背負うことになったと聞いて、『重圧もあるけれど、その責任と覚悟はちゃんと背負わなきゃいけないね』と伝えました。精神的な部分でも、選手としてもさらなる伸びしろがある選手だと思いますし、今後、『日本の10番は岩渕』と言われるように、グラウンドでのパフォーマンスはもちろん、結果を残してくれると期待しています」

「10 SAWA」から、「10 IWABUCHI」へ。6年越しのバトンが受け継がれた。

【なでしこジャパンが背負うもの】

 岩渕が自身のキャリアにおけるターニングポイントにあげるのは、ケガだ。

 17年3月に、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ1部)との契約解除という苦渋の決断を経て帰国したのも、度重なる膝のケガの治療に専念するためだった。その後も、18年のW杯予選後に鼻骨を骨折し、同年のリーグ戦ではコンスタントに活躍できなかった。19年の年始には左足の足底筋を痛めて代表からも一時的に離れたが、懸命のリハビリの末に、信頼できるドクターとの出会いもあってW杯直前でギリギリ大会に間に合うという綱渡りも経験した。そうした経験を経て、岩渕は今、「今までを振り返ってもネガティブな要素が一切なかったと言えるぐらい、苦しんだことも含めて経験したからこそ今の自分がいると思えます」と、すべてをプラスに受け止めることができるようになったことを明かしている。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 プレー面でも、着実に進化を見せている。20代前半までは相手に真っ向勝負を挑むドリブラーの印象が強かったが、今は、周囲を生かしながら点を取る、国内リーグでも代表でも真の意味で“怖い”ストライカーになった。「自分が若い時にしてもらったように、(若い選手たちを)生かしてあげたいです」。積み重ねた経験や心の余裕が、チームに与える安心感は大きい。

 取材で語られる言葉は率直で、チャーミングな笑顔と親しみやすい雰囲気で場を和ませることも。若くして代表入りし、注目され続けてきた中で鍛えられた経験の蓄積は、そんな自然体のメディア対応にも表れている。

 澤さんをはじめ、日本女子サッカーの歴史を作ってきた代表選手たちは、代表の成績が、国内リーグをはじめ女子サッカーの未来に大きな影響を与えることを身を持って感じ、そのことを若い世代にも伝えるように口にし続けてきた。若くして世界一を経験した岩渕も、その一人だ。

 今大会は、なでしこジャパンにとって9年ぶりの五輪となる。また、日本初の女子プロサッカー「WEリーグ」開幕を9月に控えており、なでしこジャパンの結果がリーグの盛り上がりに直結する。選手たちにかかるプレッシャーも大きいだろう。だが、エースナンバーを背負う岩渕に力みは感じられない。

「自分が結果を出すことでチームを助けられると思いますし、チームが本当に苦しい時に自分たちがやってきたことを信じ続けて、ポジティブな空気を出せる選手になりたいと思っています。切り替えも大切にしながら、ピッチの中でも外でも自分らしく、明るく過ごしたいと思います」

写真:長田洋平/アフロスポーツ

 引退後もなでしこを見守り続けてきた澤さんは、今大会のなでしこへの期待をこう語る。

「自国開催というのは何十年に一度、あるかないかの機会だと思いますし、なでしこジャパンが強いところを見てもらいたいですね。最後の最後まで諦めずに食らいつくひたむきさや粘り強さが、なでしこジャパンのいいところだと思います。メダルを目標に頑張って欲しいし、もし届かなかったとしても、1試合1試合やり切ることで、世の中のみなさんの励みになり、少しでも笑顔になれるように、スポーツの力を見せてほしいと期待しています」

 7月14日には京都のサンガスタジアムby KYOCERAで、本番前最後の強化試合として、オーストラリア女子代表との対戦が決まっている。最新のFIFAランキングでは日本が10位、オーストラリアは9位。コロナ禍で格下のチームとの対戦が続いていたため、強豪国との対戦は昨年3月のスペイン、イングランド、アメリカとの3連戦以来、約1年4カ月ぶりとなる。

 上位国が大半を占める五輪本番に向けた試金石となる重要な一戦で、岩渕はどんな新生・10番像を見せてくれるだろうか。持ち前のドリブルでピッチを縦横無尽に切り裂いてゴールを決め、初戦が3週間後に迫った東京五輪に向けてチームを勢いづけるような活躍を期待したい。

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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