なでしこジャパンの守護神が電撃移籍。“型にはまらない魅力”を持つGK山下杏也加の決断

山下杏也加(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

【新天地への挑戦】

 アスリートの移籍には、十人十色のその選手だけの物語がある。

 女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」開幕を9月に控えた今年の冬は、各チームの移籍の動きが例年になく大きかった。中でも目を引いたのが、日テレ・東京ヴェルディベレーザからINAC神戸レオネッサに移籍したGK山下杏也加だ。

「強いチームには良いGKがいる」と言われるように、2015年から19年までベレーザの5連覇をGKとして支えた山下は、ベレーザの強さを象徴する選手の一人だった。移籍に際し、山下はベレーザの公式サイトでこう綴っている。 

「ベレーザは代表選手が当たり前のようにいて、妥協せずいつも高い意識の中でサッカーをしている姿を肌で実感し、言葉だけではなくプレーで学ぶことも多かったです。選手としての成長はもちろん、人間的にも成長できたのは支えてくださった皆様のおかげです」

 2011年、村田女子高校1年生の秋にFWからGKに転向し、3年時にベレーザに強化指定選手として加入。同年、U-19女子日本代表に選出された。その2年後には20歳でベレーザのレギュラーになり、A代表にも定着。それから5年間、なでしこリーグと代表の最前線で戦ってきた。

 長年、ベレーザとしのぎを削ってきたライバルチームでもあるINAC神戸への移籍を決断した理由について、山下はこう語っている。

「INAC神戸と対戦した時に、優勝できる力があるチームだと思っていました。去年はなでしこリーグで唯一、3バックという特殊なフォーメーションを採用していて、自分の新たな引き出しとして学びたいと思いましたし、代表で一緒にプレーしてリスペクトしている選手も多く、違うチームからもオファーをいただきましたが、INAC神戸以外は考えていませんでした」

【型にはまらないGK】

 幅7.32m、高さ2.44mのゴールを守る最後の砦であるGKは、孤独と隣り合わせである。ミスが許されず、得点時は歓喜の輪に加わりにくい。もしかすると喜びよりも苦痛の方が大きいポジションかもしれない。

 だが、ストライカーが一つのゴールで形勢を逆転させることがあるように、GKが試合をコントロールし、主役になる試合もある。

 山下は、一つのセービングやゴールに直結するパスで試合に流れを生み出せるGKだ。反射神経の良さと卓越した跳躍力で、強烈な弾道や際どいコースのシュートも止める。外国人選手のリーチやシュート力にも対応でき、国際舞台に強いことも特長だろう。2018年のアジア杯(優勝)や、2019年夏のW杯フランス大会では、スーパーセーブを見せている。

瞬発力と滞空時間の長さが光る(写真:keimatsubara)
瞬発力と滞空時間の長さが光る(写真:keimatsubara)

 ベレーザがリーグ史上初の5連覇を達成した19年に、永田雅人監督(今年はヘッドコーチの立場で指揮)は、山下のビルドアップ能力の高さとコーチング能力を高く評価していた。

「相手が高い位置からプレッシャーをかけてきたときに、それを一発のフィードで越せる山下の技術は独特のものです。僕らが堂々とボール回しをできるのも、その技術やキック力、フィード能力があるからです」

 足元の技術の高さは、フィールドプレーヤーとしてプレーした期間の長さも影響している。一方、試合では華やかなシュートストップや鮮やかなビルドアップに目がいくため、コーチング力の高さについては、意外と知られていない。だが、共にプレーしてきた錚々たる名前を聞けば頷ける。

「ベレーザに入った時に(正GKだった)曽山(加奈子)さんは伝えることが上手でしたし、ベレーザで成長して代表に入ることができて、代表では、海堀あゆみさんや福元美穂さんなど、伝えることが上手な先輩のプレーから学ぶことが多くありました。最初は真似から入って、『なぜこのタイミングで伝えたんだろう?』と考え、代表戦では2つ、3つ先の展開まで予測して伝えなければいけないことを実感したんです。その後、永田さんの下では、コミュニケーションの大切さを学びました」

 優勝した18年のアジアカップでは、決勝でオーストラリアと激闘を繰り広げ、最終的には勝ったものの力の差を感じ、「こんな苦しい試合は二度としたくない」と、さらにコーチングに力を入れた。そして、ベスト16に終わった19年夏のW杯でも、「勝つために、自分はもっと伝えることができたのではないか」という悔いが残り、「伝える」ことにこだわってきた。

 山下がベレーザに加入した13年から16年までGKコーチを務めた沖田政夫コーチは以前、山下のキャラクターについてこんなエピソードを語ってくれた。

「物怖じしない性格で、練習中も友達みたいに話してくるんですよ。それは彼女の良さでもあるし、ミスしても下を向かないで、何度でもチャレンジするところは彼女の良さです。試合中は堂々とした雰囲気を出す。根拠のない自信かもしれませんけれどね(笑)」

 17年から19年まで山下を指導した野寺和音GKコーチも、「普段はワイワイ賑やかにしていますけれど、試合になるとスイッチが入る。集中力がすごいですし、やるときはやる、という感じがあります」と、オンとオフのメリハリについて強調していた。

 試合では、勝敗とはかけ離れたところでそのスイッチが入ることもあった。

 19年4月、W杯2カ月前のフランスとの強化試合は忘れられない。結果は1-3で敗れ、優勝候補だった(結果はベスト8)フランスの強さを見せつけられたが、同じぐらい、開催国のサポーターの熱狂も心に残った。スタッド・アッベ・デシャンのスタンドは、目の肥えたファンやサポーターで埋まっていた。その中で試合中、山下はゴール裏から大声で声援を送る相手サポーターに対し、人差し指を口に当てて静かにするよう促した。これが、ウルトラス(熱狂的なサポーターグループ)の闘争心に火をつけてしまったのだ。その後、山下にボールが渡るたびに地鳴りのような凄まじいブーイングが沸き起こった。試合後の取材エリアで、最後にそのことについて聞くと、予想もしなかった答えが返ってきた。

「(レフェリーの)笛の音が聞こえないぐらいうるさかったので、ちょっと静かにならないかな?と思って口に手を当てたら、(音量が)倍になったので、やめました。でも、あんなにブーイングを受けたのは初めてで新しい発見だったし、こういう国もあるんだな、と学べましたね。ブーイングに対するストレスはなかったのですが、自分にボールが来そうな時に、サポーターが(ブーイングの)準備をしているのが可笑しかったです」

 これをフランスのサポーターが聞いたらさらに倍のブーイングになるだろうな、と思いつつ、そのマイペースぶりが頼もしく感じた。

 17年のカップ戦では、ベレーザが1点リードしている状況で山下にボールが渡り、相手がプレッシャーをかけに来ないと見るや、ボールに座って待つ仕草を見せた。ルール上の問題はなく、イエローカードも出なかったが、相手を挑発する行為でリスペクトに欠けている、という否定的な見方もあった。

「こちらが勝っているのに、なんでプレッシャーに来ないの?ということを表現したかったんですが……。思いついたことを行動に出してしまうところがあって、あの時のことは今でもいじられますね」

 挑発というよりは、ちょっとしたユーモアのつもりで、好奇心が勝ってしまったのだろう。

アウェーにも動じないメンタルを持つ
アウェーにも動じないメンタルを持つ写真:長田洋平/アフロスポーツ

【勝利へのこだわりと葛藤】

 型にはまらないメンタリティが生み出すプレーは山下の魅力だが、以前は試合中、熱くなって感情的になることも多かった。勝ちたい気持ちが先行するあまり、失点すると味方にキツく当たってしまっていたのだ。山下自身、それがチーム全体の雰囲気に悪影響を及ぼしてしまうことを自覚し、試合中は冷静になることを心がけ、伝え方も改善してきた。

 だが、思うようにいかないこともある。

 昨季は、ベレーザにとっても、山下にとっても試練の年だった。山下は15年から19年までリーグ戦はほとんどの試合に出場してきたが、昨年は18試合中12試合。10月の第12節から4試合はベンチにも入らなかった。シーズン終盤はケガもあったが、理由はそれだけではない。

 昨季、ベレーザは主力の移籍で前線の顔ぶれが変わったなか、永田監督は4-3-3から4-4-2へとフォーメーションを変え、新たなビルドアップを選択し、山下に求められる役割も変化した。しかし、コロナ禍でシーズンが4カ月間の短期集中開催になり、開幕後は負傷者が続出。試行錯誤を続ける中で、一時的に以前の戦い方に戻すこともあった。

 INAC神戸に3年ぶりの敗戦を喫した第10節を終えた数日後のオンライン取材で、山下は言葉少なではあったが、結果が出ない葛藤を言葉に滲ませていた。当時について、こう振り返る。

「5年連続リーグ戦で優勝して、トップであり続けることのプレッシャーもありましたが、それが自分のモチベーションにもなっていました。昨年は後ろ3枚でのビルドアップにトライしましたが、結果を求めるなら、その戦い方ではみんながキャパオーバーになるのではないかと思い、自分がビルドアップに参加することなどを提案しました。結果が出ない中でもその戦い方を続ける中で、以前の形に戻したり、(味方選手に)トライしてほしい場面でバックパスが回ってきたり……そういうことが、受け入れられなくなってしまったんです」

「成長の先に結果がある」という考え方でチームを前進させてきた永田監督の方針と、結果を残すために自分を奮い立たせてきた山下の葛藤。正解はないが、決めるのは監督だ。それは山下もわかっている。だが、納得したつもりでも、ピッチに立てば妥協できない性分である。

 前向きに戦っている仲間の気持ちを削ぎたくはない。それなら、自分が我慢して試合に出なければいい--。消化しきれない感情が積み重なっていった。

「サッカーはどんなチームでも自分の力だけでは勝てないので、自分が守備陣と一緒に成長できればいいな、と思いながら、言葉の選び方にも気をつけていたのですが、熱くなってしまうこともあって……。これ以上言ったらチームの雰囲気が悪くなると思って、しばらく誰にも相談せず我慢していたのですが、それが夏の試合で爆発してしまったんです」

「自分は思っている以上に、人に伝えることが苦手なんだと思いました」と、山下は振り返る。それでも、自分の考えを伝える努力を放棄はせず、チームメートの何人かには伝えることができたという。

 リーグ戦は13節以降、山下に代わって20歳のGK黒沢彩乃がピッチに立った。

 10月末の代表合宿で招集された時には、「試合に出ていないのになぜ代表には行くのか」と指摘される後ろめたさもあったが、ピッチに立てば、思い切りプレーできる喜びを噛み締めた。だが、その頃から膝の痛みに悩まされる。永田監督と話をしてリーグ戦のラスト2試合ではピッチに立ったが、浦和の躍進とINAC神戸の後半戦の追い上げもあり、3位に終わった。

 ケガで思うようなプレーができなかったこともあり、12月の皇后杯では、山下の気持ちはすでに吹っ切れていた。引退を決めていたGK西村清花のサポート役に徹したのだ。3学年下の西村とは17年から4シーズン、ベレーザのゴールマウスを共に守る仲間であり、ライバルとして切磋琢磨してきた。

「(西村)清花は高校の大会でも準優勝で、優勝したことがなく、引退を決めていた最後の皇后杯で初めて優勝できる可能性があったんです。練習中の姿勢が緩いと感じた時には、しっかり伝えました。結果的に、清花が自分の力で優勝できたことが嬉しかったし、一緒にサッカーができて良かったな、と思いました」

 ベレーザは、皇后杯4連覇を達成。試合後、ピッチ上でチームメートと共にはしゃぐ山下の表情は、以前と変わらないように見えた。

【使命感】

 山下はなぜ、それほどまで勝利にこだわり、心を燃やすのか。その理由の一つは、「勝つことで、女子サッカーの環境をより良いものに変えていきたい」という思いからだ。

 山下はなでしこリーグ公式サイトが運営する「なでしこブログ」で、練習環境について明かしたことがある。ベレーザが使用する天然芝のグラウンドは、夏は一部が駐車場になり、冬はイルミネーションとの兼ね合いで、照明が小さなライトになった。これまでは練習が夜だったため、冬はボールが見えなくなることもあったという。

 このコラムの最後は、「私達は優勝という結果で、何かが変わると信じてこれからも頑張ります。来年、WEリーグという女子プロサッカーリーグが始まります。一つでも多くのクラブチームが、環境もプロフェッショナルなチームになる事を願います」という言葉で締めくくられている。その思いに共感する選手が多いことは、記事に寄せられた反響からも明らかだった。

 その思いは、代表にも共通している。

「もっと多くの女の子たちが、『サッカーをやってみたい』と思えるようなプレーを見せたり、結果を出していきたいです。今の代表選手たちが、未来のなでしこの選手たちに対してできることをやっていかなければいけないと思っています」

写真:ムツ・カワモリ/アフロ

 高校卒業から8シーズン。天資の運動能力の高さと、生粋の“負けず嫌い”で頭角を現したGKは、ベレーザのハイレベルな環境でそのプレーを磨き、洗練させた。

 新天地では、どんな挑戦が待っているのだろうか。神戸に引っ越してまだ3週間ほどだが、新鮮な発見が多いという。

「新しいチームメートの人柄や得意なプレーなどについて知ることが多くて、刺激になっています。それぞれの選手が得意なことを学びたいですし、その向上心でチームに良い影響を与えられればいいですね。INAC神戸は(男子のトップチームがなく)女子チームがメインで、選手とスポンサー、チームスタッフが協力してチームが成り立っているという関係性も見えてきました。(練習場がある)六甲アイランドの中にもINAC神戸のフラッグがたくさんあって、地元の方たちが応援してくれているんだなと感じます」

 INAC神戸は、これまでのなでしこリーグでは唯一、サッカーに集中できるプロ同様の環境を持っていた。自前のグラウンドやクラブハウスを作り、地域と連係した社会貢献活動を行い、女子サッカーの普及やプレー環境の向上に一石を投じてきた。WEリーグでは多くのチームがプロチームになるため、環境面のアドバンテージはなくなるが、それはINAC神戸にとっても望むところだろう。これからは同じ土俵で戦い、切磋琢磨できる。

 高校や大学から加入したルーキーや、他クラブで実績を残してきた選手など、様々なバックグラウンドを持つ選手が集うINAC神戸で、山下の強烈な個性はきっと、ポジティブな化学反応を起こしてくれるだろう。

 堂々とした佇まいで相手を威圧し、ゴールを守ることに使命感を持ち、勝利に執念を燃やす。勝てば思い切りはしゃぎ、チームメートと屈託なく笑う。不器用さと揺るぎない強さ、温かさが共存する--それが山下杏也加というGKである。