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長野で“なでしこの花”を咲かせた本田美登里監督。7シーズンの挑戦を終えて新天地へ

松原渓スポーツジャーナリスト
7年間指揮を執った長野を退任した本田美登里監督(C)2008 PARCEIRO

 なでしこリーグのAC長野パルセイロ・レディース(長野)で7年間にわたって指揮をとった本田美登里監督が今季いっぱいで退任することが、2019年12月6日に発表された。

 また、28日には、出身地でもある静岡で、来季から3部に相当するチャレンジリーグで戦う静岡産業大磐田ボニータの新監督として指揮を執ることが発表された。同チームは来年1月1日付で「静岡SSUアスレジーナ」にチーム名が変わり、本田監督の下で再スタートを切る。

 本田監督は、日本女子サッカーリーグのスタートに立ち合い、1980年代から90年代にかけて、黎明期の日本女子代表でプレー。女子サッカーを支えてきた先駆者の一人だ。

 現役引退後に指導者の道に入り、日本サッカー協会でLリーグ(現なでしこリーグ)の運営や強化などに携わった後、2001年に岡山湯郷Belle(現・チャレンジリーグ/湯郷ベル)の初代監督に就任。その後、なでしこジャパンで一時代を築くことになる宮間あや、福元美穂らを指導し、2003年にLリーグに昇格して2年目で1部昇格を果たした。その後、チームを1部に定着する強豪に育て上げ、人口3万人弱の岡山県美作市で女子サッカーを人気スポーツにし、地元の人に愛されるクラブとして地域に根づかせた。

 そして、2013年に長野の監督に就任した本田監督は、3年目の16年に2部で優勝してチームを1部に昇格させると、翌16年には、昇格1年目のチームとしては過去最高の3位の成績を残している。

 この年はなでしこジャパンがリオデジャネイロ・オリンピックに出場できなかったため、なでしこリーグも観客数の減少が不安視されていた。だが、本田監督は「地方から女子サッカーの火を起こす」と宣言。

 湯郷ベル時代の経験を生かして、自ら各地の講演会に足を運んだり、選手を積極的に地域のイベントに送り出すなど、地域密着を大切にした。また、ピッチ上では「2点取られても3点を取る」攻撃的なサッカーを実現し、それまで女子サッカーを見たことがなかったという多くの観客を惹きつけた。

 1部の強豪相手に堂々たる打ち合いを繰り広げた長野は、この年、ホームゲーム9試合で32,826人、平均3,647人でリーグ1位の観客動員を記録。文字通りの「長野旋風」を巻き起こし、他の県に比べてサッカー観戦文化が盛んではなかった長野に女子サッカーを根づかせた。

(参考記事)

(2016年)

【快進撃を続ける長野パルセイロ・レディース。昇格1年目の”長野旋風”とは?】 

【「五輪のないシーズン」を盛り上げた長野パルセイロ・レディース。なでしこリーグ1の集客力の秘密(1) (2)】

(2017年)

【AC長野パルセイロ・レディースの本田美登里監督が考える、なでしこの魅力とは(1)  (2)】

(2019年)

【移籍が活発ななでしこリーグ。長野の本田美登里監が見据える正念場のシーズンとチーム再生プラン(1) (2)】

 本田監督は、指導の中では「ボールを持ったら前を向く」「ボールを失うことを怖がらずに、チャレンジする」など、ゴールに向かう姿勢を強調。他クラブで出場機会を失っていた選手たちの個性を見抜いて再生させる「目」や、モチベーターとしての指導力も光った。

 その後、1部に定着させるために試行錯誤を続けたが、ケガ人の多さや、シーズンオフの選手の入れ替わりも大きく、17年は6位、18年は7位と成績は緩やかな下降曲線を描いた。そして、今季はオフに多くの主力が移籍。即戦力となる若手新戦力の補強でなんとか戦力をカバーする形で再スタートを切った。だが、今年もケガ人は多く、結果は9位で、2部2位のセレッソ大阪堺レディースとの1部/2部入替戦に回ることに。そして、11月中旬に行われた入替戦はホームアンドアウェーの2戦合計1-1、アウェーゴールの差で2部への降格が決まった。

 本田監督の退任が発表されたのは、それから半月後だ。

 退任にあたってのコメントと、退任記者会見での言葉からは、本田監督自身の“長野愛”や、決断するまでの葛藤も伝わってきた。

退任記者会見に臨んだ本田監督(C)2008 PARCEIRO
退任記者会見に臨んだ本田監督(C)2008 PARCEIRO

「長野で7年もの長期にわたり、指揮を執らせていただき感謝の言葉しかありません。この7年間で長野に女子サッカーの種を蒔き、根付き、なでしこの花が咲きました。少女たちがパルセイロのユニフォームを着て、Uスタジアムで躍動する姿を想像していましたが、私自身が彼女たちと共にピッチに立てるとは考えてもいませんでした」(本田監督/AC長野パルセイロ公式HPより)

 

 女子サッカー界を様々な角度から見てきた本田監督の言葉には力がある。率直でさっぱりとした人柄や、そんな指揮官の下でプレーする個性的で枠にはまらない選手たちの魅力にも惹かれ、1部での4シーズン、長野をコンスタントに取材してきた。

 なでしこリーグ屈指の景観を誇る長野Uスタジアムでサポーターが作り上げる雰囲気は素晴らしく、何度も鳥肌が立ったのを覚えている。

 改めて、長野での7年間、そして、なでしこリーグのプロ化や本田監督自身の今後についてなど、様々なトピックについてお話を伺った。

本田美登里監督インタビュー(12月21日)

【7年間を振り返って】

ーー改めて、7年間、本当にお疲れ様でした。AC長野パルセイロ・レディースで指揮を執られた7年間の中で、いくつかのターニングポイントがあったと思います。攻撃的なサッカーと集客の両立を実現させた時期もありましたね。

本田監督:そうですね。本当に楽しかったし、特に16年は戦略的にイケイケ(の攻撃的なサッカー)をしていたので。2部から続けてきたことを1部でも継続して、1年目で3位になった。横山(久美)、泊(志穂)、國澤(志乃)というキープレーヤーがいたのも大きかったですね。翌年はここに守備を上乗せして(成績を)安定させようと思ったのだけど、そううまくはいかなかったですね。

ーー17年はゾーンディフェンスを徹底するなど、守備面を強化しました。

本田監督:そう。その結果、失点は前年の半分に減って守備は安定し始めたけど、今度は(得点源の横山)久美がシーズン途中から海外挑戦(ドイツの1.FFCフランクフルトに期限つきで移籍)でいなくなった中で、得点も減ってしまって。またイケイケのサッカーをしたかったのですが、1年では(ほかの選手を)育てられなかったのもあります。

ーー試合後に取材させていただく時、相手チームの分析をかなり緻密にされていたのが印象に残っています。今年は家に引きこもって映像を見る時間も長かったそうですが。

本田監督:アクティブなイメージはあるだろうし、私自身は外に出たいタイプなのですが(笑)。スタッフが少なくて分析班がいないこともあって、今年は特に引きこもっていましたね。

ーー岡山湯郷Belleの時は宮間あや選手、長野では横山久美選手。強烈な個性を持ったスター選手がいました。そういう選手と出会うと、直感的にわかるものですか?

本田監督:(そういう選手を見つける)嗅覚は持っています。経験でしょうね。ただ、私がビビビッと来ても、その選手との考え方が違ったり、相性や波長が合わないこともあると思います。湯郷の監督をやめてJFA(サッカー協会)にいたときに、関西トレセンとかJFAアカデミーのセレクションに立ち会いましたが、「この子は宮間2世になるかな?」という子が何人かいたんですよ。(現在日テレ・ベレーザでプレーしている)小林里歌子選手には、感じましたね。関西トレセンを見に行った時に彼女は中学2年で神戸のクラブにいて、「この子は面白い」と思ったのを覚えています。ただ、出会ったとしても縁がなく、今となってはどこに行ったんだろう?という子もいます。だから、出会いとタイミングですね。

私と宮間も、どちらかが右向くと一方は左を向くタイプでしたが、タイミングと相性があってセットになりましたから(笑)。

あやは私が紹介して日テレ・メニーナに入って、ベレーザに上がったけど、その後でうち(湯郷)に来ました。横山は高校を卒業して(イングランドの)アーセナルに行くはずだったけど、ちょうどその時期にアメリカのリーグがなくなって選手がアーセナルに流れて、決まっていたのに押し出された。その時に私はU-19のコーチをやっていたのですが、彼女から相談を受けて、「どうしたいの?」と聞いたら「宮間さんと一緒にやりたい」というので、湯郷に紹介したんです。だから、2人とも生い立ちは似ていますね。

【地域に愛されるチームづくりとは】

ーー地域に愛されるチーム作りという点では、本田監督はスポンサーや地元の方との触れ合いも大切になさっていました。集客面のことも積極的に呼びかけていらっしゃいましたが、7年間の中で「地元に根付かせる」という点ではいかがでしたか?

本田監督:それは、湯郷でもやってきたことをそのまま長野でやっただけなのだけど、長野の方が都会でしたね。1部に上がった後の勢いや観客動員は、湯郷で10年でやったことを長野では5年ぐらいでできたんじゃないかな?という手応えはあります。長野には男子(J3/AC長野パルセイロ)チームがあったのも心強かったですね。

ーーシーズン前の新体制発表会は男女合同で行ったりと、一体感がありますよね。

本田監督:そうですね。それに、その地域のお祭りやイベントには積極的に選手を送り出していました。男子トップチームがスケジュールの問題などで選手を出せない時に女子が代わりに行ったり。(地域の催しに)選手を出さないチームもあるみたいですが、私はそれは当たり前のことだと思っています。たとえば長野県内の町内のお祭りで要請があれば行くし、それがメインスポンサーとか小さいスポンサーだからとか、そういうことは関係なく、私も行ける時は行くし、選手にも行っておいでと。そこでは、ただぼーっと立って過ごすのではなく、何のために呼ばれたのか考えて行ってきなさい、と伝えました。それは7年間の中でも地域に根付いてきてくれたことだと思います。

ただ、今年は20人しか選手がいなくて、18人遠征に行くと2人しか残らない。その2人が大体けが人なのだけど、イベント担当みたいになってしまっていて(笑)。去年は26人いたから計算できたんだけど、今年はイベント要員が少なかったわ!と後から気づきました(笑)。

ーーそこまで考えている監督もなかなかいないですね(笑)。本田監督にとって長野の魅力はどんなところでしたか?

長野の魅力を「人と人が近いところ」と話した(C)2008 PARCEIRO
長野の魅力を「人と人が近いところ」と話した(C)2008 PARCEIRO

本田監督:人と人が近いところかな。湯郷の時もそうだったけど、都会や大都市から来た子は特にそう感じるんじゃないかな。選手は会社で働いているから、会社の人が応援してくれるんですよ。ただし、応援してもらうためには遅刻、欠勤、ズル休みはダメ。仕事もサッカーも頑張っているから応援してくれるんですよ。会社でお弁当を作ってもらう選手がいたり、それは都会にはない良さかなと思います。

ーー本田監督ご自身も、ずっと支えてくれるスポンサーさんなど、人間関係を大切にされてきたのですね。

本田監督:スポンサーさんなどへの講演は、シーズンを通して相当ハードなスケジュールでなければ引き受けて行っていました。新しくスポンサーを獲得したいという時には、私が営業の人と一緒に挨拶に行っていましたね。

ーーそういう場ではどのような話をされたのですか?

本田監督:強いチームにしたいのですが、できればお互いにメリットがあるようにさせていただきたいので、ぜひご協力をお願いします、と率直に伝えていました。営業の人が頭を下げるだけではうまくいかない時もあって、現場の私が行くことで伝わる部分もありますから。

ーー強化や運営に関しても、やはり総合的に考えていらしたのでしょうか。

本田監督:そうですね。それは私自身がすべて経験してきましたから。選手を辞めた後、べレーザーでマネージャー業を2年間やって、その後に協会で、運営から何から全部やりました。試合会場でインカム(ヘッドセットつきの無線機器)つけて、導線を引っ張って。運営の企画をパソコンで作って、「こういうサッカー教室をやりたい」と提案したらその企画書を立てて、いくら経費がかかるか叩き出して、コストカットのために、知り合いの美大の子とかにポスターを書いてもらったりもしましたね。

ーーそれは貴重な経験ですね。ポスターのことなどを気軽に頼める人脈はどのように作られたのですか?

本田監督:それこそ、お店で食事している時に話して仲良くなったりね(笑)。そういう仕事を6年近くやったから、どれだけ裏方がしんどいかもわかるし、提出物を期限通りに出さないことがどれだけ迷惑かもわかるので、選手たちにはマネージャーの手を煩わせるなといつも言っています。遅れたら罰金500円、とか言ってね(笑)。そういう経緯で監督になったから、大抵のことはできると思います。

ーー今年は若手選手が多く加入した中で、長野県出身の選手が3名(FW中村恵実/MF瀧澤千聖/FW山岸夢歩)加入しました。それは本田監督の意向でもありましたね。

本田監督:はい。去年、大量に選手たちが出ていってしまったんですね。その中で、最終的には地元に戻っていく選手も多いなぁと思って。それなら、帰る場所がここ(長野)になる選手たちを育てることが、逆に強みになるだろうな、と。たとえば(今年加入した)長野市出身の中村恵美や須坂市出身の山岸夢歩には後援会ができたんです。それぐらい、応援してくれる方がいるんですよ。「中村を応援しよう日体大ツアー」という企画があって、その時に中村自身は前十字靭帯を切って試合に出られなかったのですが、そのバスに一緒に乗って、試合を見に来たんです。「いいですか?」と聞いてきたので、「バスに乗れば?」と私も勧めたんですけどね(笑)。みなさんと一緒に中華街でご飯を食べて、試合の時はチームの手伝いをして、またバスで帰って行きましたよ(笑)。

【退任の決断】

ーーそうした中で、今回、監督をお辞めになるという決断に至る中での葛藤も退任会見から伝わってきました。

本田監督:(2部に降格した)責任の取り方について、やめることだけが責任の取り方ではないと悩みました。残される方がしんどいのは十分わかっていたし、給料が減ったり、編成が当日になったり、バス移動になったり……それも覚悟した上で残る選択肢もありましたけど、その場合は、「絶対に1年で戻す」という条件で話をしたいと思っていました。

そのなかで、クラブからは続投要請ではなく、続投か退任かを「自分の意思で決めて欲しい」とのことでした。それで、最終的には新しい方に任せた方が良いのではないかと考えて、この決断に至りました。

来季から指揮を執る佐野佑樹監督は私が関西トレセンの時から知っていて、2年越しのオファーで来てもらいました。育成に長けた、いい指導者です。しばらく一緒にやってからバトンタッチしたいと思って声をかけていたんですが、このタイミングでお願いすることになりました。

ーーそのような経緯だったのですね。気になるのは今後のことについてですが…。様々な選択肢がおありかと思いますが、ある程度決まっているのでしょうか?(※回答は取材時/来季からチャレンジリーグの静岡SSUアスレジーナで指揮を執ることが28日に発表された)

本田監督:日本女子サッカーのために何かをしたいという気持ちはあります。まだ現場をやりたい気持ちもあるし、海外に行くという選択肢もありますね。

ーー海外挑戦! その選択肢もありましたか。

本田監督:面白そうだな、と思っています。ただ、15歳の老犬のラブラドールがいて、愛着があるけれど、連れていくわけにいかないんですよね。どこかに預けるにしても、もうあと1年生きたら幸せなぐらいかもしれないから。毎年オフに沖縄に行く時にはいつも連れて行くのだけど、飛行機が大っ嫌いで、一回、沖縄空港の中で逃亡して、空港の中を走り回って大変だったことがあります(笑)。

ーー海外だったらもっと大変なことになりそうですね(笑)。本田監督が長野での挑戦を終えられて、次はどんな挑戦を始められるのかが楽しみです。

本田監督:女子のサッカーをなんとかしなければいけないというのは、きっと死ぬまで考えることだと思います。ただ、たとえば今回の入替戦で対戦したセレッソ(大阪堺レディース)の岡本三代監督や、ジェフ(ユナイテッド市原・千葉レディース)の藤井奈々ちゃん(今季で退任)も、私が湯郷の監督をやっている時の選手でした。ちふれ(ASエルフェン埼玉)の(菅澤)大我監督もINACの(鈴木)俊監督(今季で退任)も、ヴェルディのジュニアユース世代でみんなよく知っています。そういう、30代、40代が女子サッカーの監督をしているということは、世代交代なのかなと。私は50代だから、フロントとかGMとか強化担当とか、そういう年齢であることもわかっているんです。

ただ、お金のことに関してだけは私はやったことがないんですよ。営業も運営もわかるけど、経理はわからない。全く触ったことがないから。

【プロリーグ新設について】

ーー最後に、なでしこリーグが2021年にプロリーグ新設を進めていることについてはどのように見ていらっしゃいますか?

本田監督:私はプロリーグの委員会には入っていないので外から聞くだけですが、Jリーグが100年構想でやってきた実績に倣わず、違う形のプロ化を始めようとしているようにも見えます。その場合、バブルが弾けた時にLリーグから企業が一斉に引いた1990年代と同じことが起きないと良いのですが……。

プロ化に向けた勢いがすごいヨーロッパの流れに置いていかれないように、ということは十分に理解できます。じゃあどうやるの?と考えると、やはり日本独自のやり方を考えて進めることが大切だと思います。アメリカみたいに代表を中心に強化するやり方もあるし、まずはS級ライセンスを持っている指導者を育てることもできますし、男子(Jリーグ)でトップクラスの監督が女子にも来てくれるようになれば、選手たちの力は間違いなく上がりますよね。あとは、女性がもっと活躍できる社会になって、たとえば澤(穂希さん)とか宮間(あや)とか、みんなが納得する人がその経験を生かせる立場に立てるといいですね。

プロリーグへの参入の条件などは変化しているようですが、進め方や中身は大切だと思うので、引き続き注目しています。

ーー貴重なお話をありがとうございました。新天地でのご活躍にも期待しています。

長野で女子サッカーを根付かせ、新たな挑戦へと向かう(C)2008 PARCEIRO
長野で女子サッカーを根付かせ、新たな挑戦へと向かう(C)2008 PARCEIRO
スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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