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オフザボールで勝負は決まる。なでしこジャパンのセンターバック、市瀬菜々の「先手」の取り方

松原渓スポーツジャーナリスト
状況に応じてポジションを変え、常に相手の一手先を読む(C)松原渓

【優れた予測力】

彼女は、地上でも、空中でも、決まって相手より先にボールに触れる。

そして、相手が裏のスペースを狙って入れてくるロングボールや、味方と相手が競り合った後のルーズボールを、高い確率でマイボールにする。

肉弾戦や、スライディングで相手を止める場面は多くない。だが、激しいプレーを避けているわけではない。オフザボールの動き出しとポジショニングで、勝負は決まっているのだ。

その強みは、攻撃時、特にセットプレーの場面でも活きる。

重戦車のようなパワーで押し込むわけではなく、人並み外れたジャンプ力があるわけでもないのに、ボールは彼女が走りこむそのポイントに吸い寄せられるように落ちていく。

5月30日に発表された、なでしこジャパン(日本女子代表)のオランダ・ベルギー遠征(6月4日〜15日)のメンバー表に、市瀬菜々(マイナビベガルタ仙台レディース)の名前はあった。

市瀬がなでしこジャパンに選出されるのは、今年1月に行われた国内合宿、4月上旬に熊本で行われたコスタリカとの親善試合に続き、3回目となった。

現在のなでしこジャパンで最年少の19歳は、確かなキャリアを積んでいる。

A代表デビュー戦を飾った4月9日のコスタリカ戦で、市瀬は安定感のあるプレーを披露した。現在、なでしこジャパンで不動のディフェンスリーダーを務める熊谷紗希と初めてセンターバックを組んだが、息の合ったコンビネーションを見せ、無失点での勝利に貢献した。

U-15日本女子代表から現在に至るまで、年代別代表で市瀬を指導してきたなでしこジャパンの大部由美コーチは、市瀬の強みを次のように話した。

「すごく頭を使ってサッカーをやっています。2つ3つの事を同時に考え、ポジショニングで先手を取れる選手です。ディフェンダーにとって最も大事なことは、リスク管理がしっかりできているかということ。一歩、右に寄ったことで相手のタイミングをずらすとか、そういったクレバーなところが目を引きますね」(大部コーチ)

市瀬の的確なポジショニングを可能にしているのは、予測能力の高さである。年代が上がるにつれて、対戦相手も組織的にレベルが高くなるが、市瀬も年々、その強みを進化させてきた。

「U-17の時は相手との体格差も大きくなかったので、今、考えてみるとそこまで細かいポジショニングは気にしていなかったんです。でも、U-19やU-20になると体格差が大きくなって一瞬のスピードでやられてしまいます。一つひとつのポジショニングを丁寧に考えるようになりました」(市瀬/2016年8月)

センターバックはミスが失点に直結するポジションである。だからこそ、最終局面にどう対応するかで、センターバックとしての能力が試される。相手フォワードと1対1になった状況で、市瀬は何を考えるのか。

「(自分は)スピードがないので、自分の間合いを取りながら、相手のタッチが大きくなったところとか、いけるな、というタイミングを探ります。そのポイントが見つかるまでは、自分からはアクションを起こさないようにしています」(市瀬)

駆け引きの中で、相手を一撃で仕留めるポイントを探り、相手が焦れて先に動けば、その瞬間に確実に仕留める。

居合を彷彿とさせる、無駄のないその動きを、市瀬はどのようにして身につけたのかーー。市瀬が辿ってきた経歴をひも解いていくと、様々な、興味深い証言を得ることができた。

【年代別で獲得した世界タイトル】

徳島県徳島市に生まれ、小学校1年の時にサッカーを始めた市瀬は、中学時代にU-15日本女子代表に選ばれた。中学卒業後は親元を離れ、宮城県の強豪・常盤木学園高等学校に進学。この高校3年間で、市瀬は一気に頭角を現した。

年代別代表で、獲得したタイトルは4つに上る。

高校1年時にAFC U-16アジア女子選手権(2013)で、主力メンバーとして日本の優勝に貢献。2年時にはU-17女子ワールドカップ(2014)で全試合にフル出場し、世界一に輝いた。そして、3年時のU-19女子アジア選手権(2015)でも主力として優勝。

そして、昨年11月にパプア・ニューギニアで行われたFIFA U-20女子ワールドカップでは全6試合にフル出場し、日本の3位入賞を牽引した。

高校卒業後の2016年春には、宮城県仙台市を拠点とするなでしこリーグ1部のベガルタ仙台レディース(現マイナビベガルタ仙台レディース、以下:仙台)に加入し、1年目の第6節から先発に定着した。そして、仙台で迎える2年目の今シーズンは、ここまでリーグ戦10試合にフル出場し、上位争いを続ける仙台の守備ラインを支えている。

また、常盤木学園時代に攻撃的なボランチのポジションで培われた攻撃センスも、センターバックでプレーをする上で活きている。4月のなでしこジャパンのコスタリカ戦では、密集した自陣ゴール前で、激しくボールを奪いにきた相手選手の動きを見極めて、逆を取るフェイントでかわし、冷静な判断で中盤の味方選手に効果的な縦パスを通した。ボールを持つと視線を高く保ち、相手の最終ラインで駆け引きをする味方FWの動き出しを見逃さない。

これまでに大きなケガがなく、出来、不出来の波が小さいことも、市瀬の非凡な能力である。

昨年まで年代別の日本女子代表を率いてきた、なでしこジャパンの高倉麻子監督は、市瀬が周囲に与える精神的な影響も小さくないと考えている。

「(市瀬)菜々は本当にいいキャラクターなんです。いじられている彼女を見て、みんなが和むんですよ。プレーはクレバーで、調子が悪くなって落ち込むこともないし、ケガもしない。絶対的な信頼を置ける選手です」(高倉監督/2016年10月)

【常盤木学園高校で築かれた土台】

市瀬がプレーヤーとして大きく飛躍するきっかけとなったのが、常盤木学園高校で過ごした3年間だ。

常盤木学園は、鮫島彩、熊谷紗希、田中明日菜ら、2011年の女子ワールドカップ優勝メンバーを筆頭に、多くの選手を代表に送り出してきた名門校である。

高校時代、市瀬はボランチとしてプレーしていた。3年間を通じて、全日本高等学校女子サッカー選手権大会で目標だった日本一を達成することはできなかったが、サッカーに打ち込む日々の中で学んだことは、選手としての財産になった。

「常盤木では、自分たちでサッカーについて考えることを学びました。クラブチームだと、(対戦相手の)スカウティングをしてくださるコーチがいますが、高校時代はスカウティングも全て自分たちでしていたんです。試合後も4時間近くビデオを見ながらミーティングをしていましたね。それだけ時間をかけても、(監督の)阿部(由晴)先生には『なんだ、この反省は!』と怒られていましたが(笑)」(市瀬)

そのスカウティングは、ピッチにおける市瀬の洞察力を培った原点とも言える。

高倉監督と大部コーチが率いた年代別代表でも、遠征時や試合後には試合内容を分析し、レポートを書く習慣があった。そのような環境の中で、市瀬は常に、ピッチを俯瞰する力を身につけてきたのだ。

市瀬の恩師でもある阿部由晴監督は、常盤木学園で指導を続けて23年目になる。高校時代の市瀬について次のように振り返った。

「オフザボールで何をしなければいけないのか、ということを常に考えていました。彼女は(元ブラジル代表の)ドゥンガみたいなタイプでしたね。とは言っても、周囲にうるさく指示を出すのではなく、ドゥンガから”闘将”というイメージをなくすと、市瀬になります。精神的に強くて、ビクともしない選手でした」(阿部監督)

【チームを支える陰のムードメーカー】

U-20日本女子代表では、ムードメーカーの一人だった。

積極的に声を出して盛り上げたり、ボケて笑いを取るキャラクターではない。しかし、マイペースで、周囲を和ませる市瀬を、周りが放っておかなかった。

当時、オフザピッチで、どのようにチームを和ませようとしているのか、本人に聞いてみたことがある。

「私は素です。みんながいじってくれるんですよ。とても仲の良いチームです」(市瀬/2016年8月)

と、朗らかに話していたのが印象的だった。

阿部監督は、市瀬の人柄についても、独特の喩(たと)えで賛辞を送った。

「これはたとえ話ですが、『今日雨が降るかなぁ』と聞くと、市瀬の答えは、『降りますかねぇ』。『傘を持って行った方がいいかな?』と言うと、『持って行った方がいいでしょうかねぇ、どうでしょうね?』と、質問に対して答えないんです(笑)。それは、最終的に決めるのはその人自身だと分かっているからです。でも、彼女は同調してくれる。それで、最終的に『やっぱり傘を持って行くよ』と言うと、『そうですね。帰りに(傘を)お忘れにならないように気をつけて』と言ってくれる。『やっぱり、(傘を)置いて行くよ』と言えば、『そうですね。雨は降らないかもしれませんよ』とね(笑)。そんな彼女がいることで、周りも問題を起こさないんです。彼女は人を絶対に貶(おとし)めたり、非難したりしない。ピッチでは、こうやるんだ、ということをしっかり示す選手でした。いつも同調してくれる彼女に対して、周りの選手もピッチの中で応えようとしていましたね」(阿部監督)

【A代表で初の海外遠征へ】

なでしこジャパンに選ばれるようになり、その堅実なプレーへの評価も高まりつつあるが、市瀬自身は謙虚な姿勢を崩さない。頭の中には、常に、自分のプレーを向上させるための具体的なイメージが描かれている。

今後、センターバックとして、どのようなプレーを目指しているのかと聞くと、こんな答えが返ってきた。

「はじめにFWを見て、(そこにパスを)出せなければ、ボランチとかサイドハーフにボールをつける。遠くを見ることで近くの選手も見えるように意識しています。そういうプレーができるようになると、もっと上(のレベル)に行けると思います」(市瀬)

今回、なでしこジャパンのオランダ・ベルギー遠征に参加する市瀬にとって、A代表での海外遠征は初めてである。オランダには、20歳でオランダ代表の攻撃を担うストライカー、ビビアン・ミーデマをはじめ、パワーとスピードを兼ね備えたFWが多い。

市瀬は、所属する仙台では、練習時に、スピードに乗ったドリブルを持ち味とするオーストラリア女子代表のFWケイトリン・フォードに1対1のトレーニングを申し込むなどして、技術を磨いてきた。

国内リーグで経験を積んだ市瀬が、今回の遠征でどのようなプレーを見せるのか、楽しみである。

初めてなでしこジャパンのピッチに立った試合の後、市瀬は言った。

「目標は、(2019年のフランス)ワールドカップと、(2020年の)東京オリンピックのメンバーに選ばれて優勝することです」(市瀬)

ピッチに立てば、年齢は関係ない。

日本の堅守を支えるディフェンダー候補として、今後の市瀬の飛躍に期待したい。

市瀬の周りには笑顔が絶えない
市瀬の周りには笑顔が絶えない
スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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