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なぜ3人殺害、2人重傷でも「無罪」か 根強い精神鑑定不要論の是非

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:西村尚己/アフロ)

 神戸地裁は、2017年に包丁で同居の祖父母や近隣の女性を殺害し、金属バットで母親ら2人に重傷を負わせた男を「無罪」とした。統合失調症による幻聴の影響下での犯行であり、責任能力がないからだという。

「責任主義」は近代刑法の基本原則

 こうした事件では、犯行当時、裁判時点、服役時点という3つの段階で本人の精神状態をよく見極める必要がある。というのも、刑法は「心神喪失者」の行為を罰しないとし、「心神耗弱者」の行為も刑を減軽するとしているからだ。

 心神喪失は精神の障害によって善悪の判断能力やその判断にしたがって行動する能力が失われている状態を、心神耗弱はそうした能力が著しく減退している状態をいう。

 刑事訴訟法も、本人が心神喪失の状態にあるときは公判手続を停止するとしている。回復の見込みがなければ検察官が起訴を取り消し、裁判も打ち切りとなる。有罪判決の確定後であっても、死刑確定者や懲役受刑者らが心神喪失の状態にあれば、回復するまで執行を停止する決まりだ。

 これらの規定に違和感を覚える人も多いだろう。いい歳をした大人が生死に関わる重大な結果を引き起こしているわけだし、何の落ち度もない被害者やその家族らからすると相手が誰であろうと関係ないからだ。精神鑑定などせずに厳しく処罰すべきだといった見解も根強く、素朴な正義感のあらわれとしては理解できる。

 しかし、長い歴史を経て形づくられた近代刑法は、そうした結果責任論から脱却し、「責任主義」という考え方を基本原則としている。たとえ刑罰法規に触れる行為があっても、犯人の内面などに非難できない事情があれば、法的な責任を問えないというものだ。

 意思疎通ができず、防御のための権利すら理解できない者に裁判を行うのは妥当でないし、自分がどのような刑罰を受けるのか、また、なぜそうした刑罰を受けなければならないのか認識できない者に刑の執行をしても刑罰の意味がないというわけだ。

 裁判官や検察官、弁護人には法改正の権限がないので、あくまでこれらの規定に基づいて裁判を行わなければならない。被害者や遺族にとっては理不尽極まりない話だが、国会で法改正が行われない限り、今後もこうした事件の裁判では同様の争いが繰り返されることになるだろう。

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元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

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