カルロス・ゴーン氏らに関する昨今の報道について思うこと

(写真:ロイター/アフロ)

 奇しくもカルロス・ゴーン氏らが最初に逮捕された11月19日は、東京高裁がディオバン事件に対して東京地裁の無罪判決を是認し、検察側の控訴を棄却した日だった。

 製薬会社ノバルティスファーマ社が降圧剤ディオバンの販売に乗り出した後、京都府立医科大学や東京慈恵会医科大学などで行われた臨床研究に際し、データの改ざんが行われていたという事件だ。

 東京地検特捜部は、厚生労働省の告発を受けて捜査を進め、旧薬事法違反の容疑で担当社員を逮捕した。改ざんデータが使われた医師による論文作成と学術雑誌への掲載に焦点を当て、医師を利用した誇大広告に当たると判断したからだ。

 その上で、法人をも処罰するという旧薬事法の「両罰規定」に基づき、担当社員とノバ社を起訴した。

 官邸が重大な関心を示すなど国策捜査の様相すら呈したこのディオバン事件も、特捜部による強制捜査当時、マスコミは大騒ぎし、「特捜部の解釈に疑いの余地なし。特捜部がんばれ!」という旗色で、有罪決めつけの報道ばかりだった。

 しかし、地裁も高裁も、一般読者の購入意欲を呼び起こすような旧薬事法が禁じる「広告」には当たらないと判断し、無罪とした。検察側の法解釈が間違っているというわけだ。

 普段からマスコミの無罪判決に関する報道は捜査当時のものと比べると比較にならないほど小さい。しかも、今回はゴーン氏らの逮捕が重なり、特捜部が一審・控訴審と2連敗して検察に大きな衝撃を与えたディオバン事件の報道が極端なまでに小さくなったため、目に止まらないままスルーしてしまった方も多いのではなかろうか。

 11月30日、検察側は無罪判決を不服として上告したが、このディオバン事件に限らず、特捜部やこれを指揮する最高検・高検が「この事件の見立ては間違っていない。この法律は検察の解釈で間違いない」と言い張っているからといって、必ずしも裁判所までもがこれに追随するとは限らない。

 そもそも、司法取引制度には、刑事責任を軽くするために共犯者だけに全責任を負わせて逃れようとするといったリスクが少なからずある。なによりも、最初に司法取引に応じた者の供述によって事件の方向性が組み立てられ、固められるので、かえって流動的な捜査がしにくくなるし、真相から遠くなるおそれもある。

 この点、わざわざ検察が新たに導入された司法取引制度を本格的に活用し、一大グローバル企業の外国人トップを挙げるという以上、証拠はガチガチに固いはずだし、慎重の上にも慎重を期しているはずだとか、特捜部は何か「隠し玉」でも握っているに違いないと思うだろう。

 そんなものは何ら根拠のない単なる思い込みかもしれないし、そうであってほしいという願望にすぎないかもしれない。

 公判前整理手続の導入で検察側が弁護側に手の内をさらさなければならなくなった現状では、ドラマのように公判で弁護側の知らない隠し玉が突然飛び出し、検察側がほくそ笑む場面などあり得ない。

 今や特捜部が逮捕した被疑者の取調べは全て録音録画して記録に残す時代であり、もし被疑者がぐうの音も出ないほどの強力な隠し玉があるなら、既に取調べの中で示して説明を求めているはずだ。幹部による決裁でも、そのようなやり方で捜査を尽くすことが求められているからだ。

 再逮捕についても、逮捕後の捜査で新たな犯罪が判明したということではなく、部下との司法取引で既に判明していた2010年から17年までの一連の虚偽記載について、特捜部が勝手に5年分と3年分とに切り分け、前者で第一弾、後者で第二弾の強制捜査を行おうとしているだけの話だ。時間稼ぎをするための常套手段にほかならない。

 第一弾の前に約半年も内偵捜査を進めていたわけで、ゴーン氏がいかなる弁解をしようとも起訴するという方針で逮捕しているわけだから、8年分をまとめて捜査し、一括で起訴することも可能だったはずだ。

 にもかかわらず、昨今の報道の中には、ゴーン氏悪人・日産善人説に依拠し、有罪決めつけの慎重さを欠いた暴走気味のものが散見される。明らかに検察側から漏らされたと思われるリーク情報をろくに裏付けもとらずに報じているものも目立つ。

 「特捜部、がんばれ!」という方向ばかりだと、検察としても突っ走り、簡単には後戻りや軌道修正ができなくなってしまう。これはマスコミにも同じことが言えるだろう。劇場型で派手な事件だからといって前のめりにならず、むしろそうだからこそ、少し引いて冷静に推移を見極める必要があるのではないか。

 「関係者への取材で〇〇の事実が分かった」といった報道であっても、今の段階では本当の証拠の中身など何も分からない。検察側が証拠を握っていると述べていても、来る公判で思わくどおり立証に成功するとは限らない。

 特に今回は、事実認定よりも、むしろ法律の解釈適用の方が問題となる事件だ。もし本当に証拠が固く、検察の解釈にスキがないのであれば、公判でも何ら紛糾することなく、粛々と審理が進められ、有罪判決が言い渡されるだけだ。

 世界が捜査や公判の推移に注目している。わが国に真の無罪推定原則が根付くか否かの試金石となる事件ではなかろうか。(了)

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。きき酒師、日本酒品質鑑定士でもある。

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15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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