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「マヂカルラブリーno寄席」でも話題に! キングオブカルト芸人・永野がブレークした理由

ラリー遠田作家・お笑い評論家

2021年1月1日に行われた「マヂカルラブリーno寄席」は伝説的なお笑いライブとなった。『M-1グランプリ2020』で優勝したばかりのマヂカルラブリーが、自分たちのお気に入りの芸人ばかりを集めて無観客でライブを行い、それを配信したのだ。

出番を待つ芸人たちが、ほかの芸人のネタ中に客席から野次を飛ばす異様な雰囲気のライブは、すさまじい盛り上がりを見せて、配信チケットは約17000枚を売り上げた。そんな伝説のライブが2022年1月1日に再び行われ、こちらも昨年同様に話題になった。

そんな話題のライブで盛り上がりの中心にいたのが「キングオブカルト芸人」の異名を取る永野だった。「地下ライブ」の雰囲気を漂わせるこのライブは、永野にとってはホームにあたる。水を得た魚のように生き生きと野次を飛ばし、ネタを演じていた。

「パクりたい-1グランプリ」で話題に

そんな永野は、「ラッセン」のネタで大ブレークするまでは、世間ではほとんど知られていない存在だった。永野の人気に火が付いた最初のきっかけは、2014年の年末に放送された『アメトーーク!』の特番に出演したことだ。山崎弘也と藤本敏史が、後輩芸人のネタを見てそれを好き勝手にパクってアレンジしてしまう「ザキヤマ&フジモンがパクりたい-1グランプリ」という企画の中で、永野は、売り出し中だった「ラッセン」の歌ネタを披露した。このあたりからじわじわと人気に火がついていった。

また、斎藤工、小嶋陽菜など、有名芸能人がこぞって永野を激賞したことも人気に拍車をかけた。何人かのタレントに認められたことで、彼らのファンを中心にして一般層に少しずつ永野の名前が知れ渡るようになった。そして、『アメトーーク!』をきっかけに、その人気は揺るぎないものになっていった。

永野のネタは謎に満ちている。ヒット作となった「ラッセン」も、「ゴッホよりラッセンが好き」ということを大声で歌いあげるだけの代物だ。「これのどこが笑えるんだ」と誰かに真顔で問いかけられたら、私もきちんと答えられる自信がない。

また、それ以外にも「前すみませんばかりやってたら最後イワシになってしまった人」「富士山の頂上から二千匹の猫を放つ人」など、永野のネタはタイトルからして謎めいたものばかり。どれひとつ取っても、まともに説明可能なネタがない。

私自身、永野のライブには何度となく足を運んでいるし、彼のネタで大笑いしたこともある。それでも、彼のどこがどう面白いのかと尋ねられたら、わかりやすく説明してみせる自信がない。そもそも、永野自身が、そういったこざかしい後付けの説明を拒否しているようなところがある。

永野とは、あらゆる解釈や説明を呑み込んでしまうブラックホールのようなものだ。それでも、本稿では、呑み込まれそうになるギリギリのところでふんばり、何とかその深淵に迫ってみることにしたい。

カルト芸人だがサブカル志向ではなかった

永野はもともと「カルト芸人」と呼ばれるタイプの芸人だった。「カルト芸人」という言葉に明確な定義があるわけではないが、単純に人気がない芸人、多くの人に理解されづらいような間口の狭いネタをやる芸人、どぎつい下ネタやタブーに触れるネタなど、テレビではできないネタを好んでやる芸人などが「カルト」の名のもとに語られることが多い。

そういう意味では、永野は典型的なカルト芸人だった。ただ、彼がそこらのカルト芸人と一線を画すのは、決してメジャーな舞台から目をそむけていたわけではない、ということだ。いわゆるサブカルチャー(サブカル)的なものには普通、メジャーなものに対する嫉妬や憧れが幾分か含まれているものだ。

つまり、メジャーになりたいけどなれないからこそ、メジャーにツバを吐いて自分たちのようなマイナーな存在にこそ価値がある、と虚勢を張ってみせる。サブカルの根底にはそういうひねくれた精神性が潜んでいることが多い。

ところが、永野にはそういうところがほとんどなかった。むしろ、彼はお笑いライブという狭い世界で優劣を競い合うような風潮こそを忌み嫌い、早くテレビの世界で売れたい、と事あるごとに口にしていた。売れる前からずっとそうだった。

いわば、彼はメジャーへの反発としてマイナーを気取っているのではなく、たまたま売れていないからマイナーという扱いを受けていただけなのだ。彼は「カルト芸人」と呼ばれる人の中でもさらに異端の存在だった。

圧倒的なオリジナリティ

永野は、芸人や業界関係者には昔から人気があった。一貫して独自の笑いを作っているからだ。業界の中にいる人は、お笑いの基本的なセオリーのようなものを知り尽くしていて、そこにはある程度のパターンがあり、多くの芸人がそれを反復していたり、それをアレンジしてネタという形にしているということを知っている。

だが、永野は違う。永野は、初めから圧倒的にオリジナルだった。猿のマスクを付けて呼吸だけで口元を動かす「お猿の呼吸」、スパイダーマンを全然見たことない人がそれをやってみるというネタなど、発想も表現法も自由でつかみどころのないネタばかり。起承転結がなく、まともなオチもなく、気の向くままにダラダラと続いていく。ただ、それがたまらなく面白い。

実際、これまでにもチャンスは何度もあった。永野ほど「ネクストブレーク芸人」という枠でくくられたまま長く雌伏の時を過ごした芸人も珍しいだろう。2009年には『ガキの使いやあらへんで!!』の「山-1グランプリ」で優勝したり、2014年には『さんまのまんま』の今田耕司が推薦する若手芸人として出演したり、次に売れると言われる芸人が出てくる登竜門的な場所には幾度となく姿を現していた。

それが「ラッセン」でついに本物のブレークを迎えた。その理由は何なのか、後付けであれこれ理由を付け加えるのはたやすい。「ラッセン」がキャッチーな歌ネタだったため、歌ネタが人気の昨今の時代の空気にハマったのだ、とか。また、黒づくめの衣装から、明るい青と赤の衣装になったことで、雰囲気が明るくなった、とか。

ただ、結局は、たまたまタイミングが合った、というのが本当のところなのだろう。芸歴を重ねて、永野の芸に中年の渋みのようなものが出てきた。本格的に売れる準備が整っていった。そして、準備ができたところに、『アメトーーク!』出演、斎藤工のイチ押し、といった決定的な出来事がいくつか重なって、ついに山が動いたのだ。

永野がキャズムを超えた瞬間

せっかくだから、もう少しビジネス的な分析もしておこう。エベレット・M・ロジャース教授のイノベーター理論によると、新しい商品を購入してもらうためには、新しいものを見きわめる感覚のあるイノベーター(革新者)、アーリーアダプター(初期採用者)に加えて、比較的慎重だが新しいものを取り入れる感覚のあるアーリーマジョリティ(前期追随者)と呼ばれる層を取り込まなくてはいけない。ここに刺さると、マーケットの大きな部分が動くことになり、「キャズムを超える」という事態が起こる。

永野は、長い間ずっと、業界人というイノベーター、アーリーアダプターをがっちり押さえてきた。ただ、最後の一押しが足りなかったために、そこで涙を飲んできたのだ。ただ、最近になってようやくお笑い感度の高いアーリーマジョリティが『アメトーーク!』などをきっかけに永野の面白さに気付いた。そして、その層が支持をしたことで、一気に世の中全体に広まるブレークへとつながったのだ。

メジャー志向で異端のカルト芸人・永野は、業界という足場を固めて、世間という大海に乗り出した。かつては「地下芸人」だったマヂカルラブリーが『M-1』で優勝するなど、お笑い界の地殻変動は続いている。永野の起こした「革命」は今なお進行中なのだ。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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