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今年の『M-1』はどうなる?「暴言騒動」を一蹴した女帝審査員・上沼恵美子の胆力

ラリー遠田作家・お笑い評論家

今夜、『M-1グランプリ2021』の決勝が行われる。『M-1』は、ほかの大会と比べても格段に注目度の高いお笑いコンテストであるため、披露されるネタ以外の部分も話題になることがある。

豪華な顔ぶれの芸人審査員がどういうコメントをするのか、ということに関心を寄せる視聴者は大勢いる。中でも、出場する芸人を辛辣にこき下ろすこともある女帝・上沼恵美子の言動は注目の的になる。

「暴言騒動」で降板説が流れた

2年前の2019年には、そんな上沼が『M-1』の審査員を降板するかもしれないという噂が流れた。そのとき、個人的には「そんなことはまずないだろう」と思っていた。なぜなら、そのときにはとある若手芸人が彼女を批判する動画を公開して炎上した「暴言騒動」があったからだ。

このタイミングで降板したら、その騒動がいかにも大ごとだったことになってしまう。そのことで傷ついたと思われるのも、本気で怒ったと思われるのも、どちらも彼女にとって何の得もない。何十年も生き馬の目を抜く芸能界を生き抜いてきた彼女が、たかがこんな騒動ぐらいで降板を選ぶはずがない、と確信していた。

「女帝」はいつになく生き生きしていた

案の定、上沼は2019年も審査員席に帰ってきた。それどころか、ふたを開けてみれば、この年の『M-1』では彼女はいつになく生き生きしていた。恐らく暴言騒動のネガティブな印象を払拭したいという思いがあったのだろう。

番組冒頭では「更年期障害を乗り越えました」と笑顔で話した。問題となった暴言の内容をなぞり、自らネタにしてみせたのだ。続けて「こっちも真剣にやってるのに……要らんこと言うなよ!」とカメラ目線ですごんでみせた。

この一連の発言は、上沼がこの日の『M-1』に臨むにあたって絶対にやっておかなくてはいけなかったことだ。それをやりすぎというぐらい徹底的にやるのも、彼女の並外れたサービス精神の表れだ。その話題に触れなければ、見ている人があれこれ余分な想像をしてしまう。上沼は暴言で傷ついているのか、怒っているのか。そんなふうに勘ぐられても何の得もない。開き直って笑いのネタにすることが最善の方法だったのだ。

その後も上沼は快調に飛ばしていた。1組目のニューヨークが歌ネタを披露した後には、ネタの講評を述べた後、「あら、こんなところにこんなものが」と自身のCDを取り出して宣伝を始めた。ボケのための小道具を事前に仕込んでいたというところに、目先の笑いへの貪欲さが感じられた。

和牛を酷評した理由

さらに、圧巻だったのは、敗者復活戦から勝ち上がってそつのない漫才を披露した実力派の和牛に対して檄を飛ばしたことだ。からし蓮根の審査コメントをしている場面で突然、思い出したように少し前にネタを披露した和牛に対して怒りをぶつけたのだ。「横柄な感じ」「大御所みたいな出方して」などと酷評した。

この発言に対しては多くの人が戸惑いを感じていたようだ。以前から上沼の審査員としての立ちふるまいに違和感を持っている人は多い。審査員は出場する芸人よりも出しゃばるべきではないというのだ。確かにそれも一理ある。

だが、上沼の上辺のパフォーマンスを抜きにして、発言内容だけをなぞってみると、審査員として筋の通った評価を下していることが多い。彼女がそのような波風の立つ発言をする背景には「ほかの人が言いにくいことをあえて言語化する」という意識があるように見える。

和牛に対する苦言もそうだ。『M-1』は出場者にとっては人生をかけて挑むものであり、その気迫や意気込みが見ている人にも伝わってくるのが醍醐味である。だが、何年も連続で決勝に進み、涙を飲んできた和牛は、もはやそのように熱くなる段階を超えて、平常心で『M-1』に挑む境地に達していた。それ自体は間違いでも何でもない。

ただ、上沼は、和牛のそのような態度が人々が『M-1』に期待するものとは違うということをわざわざ指摘したのだ。勝負への意気込みが伝わってきたからし蓮根を持ち上げるために、すでに押しも押されもしない評価を得ている和牛をあえてくさしてみせた。

マヂカルラブリーの劇的な復活

彼女はこのように嫌われ者の役を引き受けることに躊躇しない。なぜなら、その方が結果的に場が盛り上がるからだ。上沼は1人の芸人として、責任を持って審査を行うと同時に、場を盛り上げることを自らの使命としている。

2017年の大会では、審査員の上沼がマヂカルラブリーを酷評したことが話題になった。その後、マヂカルラブリーは2020年の大会で再び決勝に進み、今度は上沼に絶賛されて優勝を果たした。この劇的な復活のドラマが生まれたのも、上沼があえて最初に厳しい言葉をぶつけたからだ。

暴言騒動が起こったとき、彼女が「気にしていない」と一蹴したのも、芸人としては当然のことだ。このとき、上沼に同情して、彼女を気遣う者こそが笑いの大敵である。

「芸人は同情されたら終わり」というのはお笑い界の普遍的な原則である。「かわいそう」とか「心配だ」などと思われてしまったら、芸人は手放しで笑ってもらうことができない。芸人はただ笑いだけを求めている。その妨げになるようなことは一切不要なのだ。

悪役を引き受ける上沼の覚悟

『M-1』は人気番組なので、普段お笑いを見慣れていないような人も目にすることになる。ここで悪役を演じて場を盛り上げるのは、彼女にとって重要な仕事だ。好感度をドブに捨て、あらぬ誤解を招いてでも、彼女は芸人であり続けようとした。上沼は暴言騒動を乗り越えたのではなく、暴言騒動で作られた「彼女に対する同情的な空気」を乗り越えたのだ。

そんな上沼は今年も『M-1』の審査員を務める。感情表現豊かな「えみちゃん」は、『M-1』のドラマを支える影の主役なのだ。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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