原田教授と若田部教授の主張が意味不明
2月5日に政府は3月25日に任期を迎える日銀の宮尾審議委員の後任に原田泰氏を起用する人事案を提示した。就任には、国会の同意が必要となるが、衆参両院で与党が多数を占めるため、政府案が可決されるとみられる。すでに現在の日銀は黒田総裁の意向が強く反映され、リフレ派が増えようが特に金融政策の行方には影響はないとの見方があるかもしれない。しかし、それでも一票の重みは大きい。
現実に昨年10月の異次元緩和第二弾では政策委員の票が割れ、かろうじて5対4で追加緩和を決定した経緯がある。今回任期を迎える宮尾氏は賛成、森本氏は反対に回った。反対した4人は実業界出身者で、執行部(総裁と2人の副総裁)以外で賛成に回ったのは2人の「学者」出身者であった。
日銀の審議委員は日銀総裁と同じ考え方を持つ人ばかり選出すれば、合議制を取っている意味がないが、今回の人事はリフレ派による多数派工作の一環ともいえる。これが何を意味するのか。いずれ日銀の信認低下に繋がる恐れがある。
すでにリフレ派の提唱する金融政策が意味をなしていないことは2年で2%の物価目標を達成できないことからも明らかであるが、そもそもの波及経路とされる予想物価そのものがかなり曖昧なものであったことは、2月4日の岩田副総裁の講演や会見からも明らかになっている。
そのリフレ派と呼ばれる学者が審議委員となる。その原田早大教授は朝日新聞のインタビューで次のような発言をしている。
「国債には毎年発行される分だけでなく、1千兆円の残高があるからまだ買える。国債は日本人全体の借金だ。それを買っているわけだから、日本人に恩恵を与えている」
1000兆円あるので確かに計算上は買えるが、GPIF含め機関投資家もある程度は国債で運用せざるを得ないし担保の需要もある。現金に次ぐ安定資産とされる国債を日銀がこれ以上吸い上げれば、機関投資家の運用に支障を来すばかりか、日本の債券市場の流動性を枯渇させかねない。中央銀行が国債を大量に買い入れれば、自国民に恩恵を与えるのかといえば、そんな歴史は存在しない。第一次大戦後のドイツ、太平洋戦争後の日本をみれば明らかであり、財政法において何故、日銀の国債引き受けを禁じたのかをご理解されていないようである。
「日銀は国債をコストをかけずにただで買っている。10兆円分の国債を購入して、仮に2割損してももうけは8兆円ある。日銀の利益は国庫に渡ってきた。国債の価格が下がっても、財務省が埋めればそれでいいだけだ」
おっしゃっていることが良くわからない。日銀の審議委員候補のひとりともされる、やはりリフレ派の若田部昌澄早大教授も、朝日新聞とのインタビューで次のように語っていた。
「政府と一体と考えられる日銀が持っている国債260兆円は国のバランスシートから落とせる。」
日銀はどうやらお金を生み出す打ち出の小槌のようである。日銀が購入する国債はタダで買えて、すべてが日銀、つまりこのお二人の考え方からは国の利益、それはすなわち我々の利益となるそうである。そうであればあと1000兆円とかの国債を国が発行し、日銀が購入してくれれば、それはそのまま政府が使える。我々は税金や健康保険、年金など払わずともぜんぶ政府がカバーしてくれるのではなかろうか。そんなことできるわけはないと皆、思っているはずであるが、どうもこのお二人はそうではないようである。
国債はあくまで政府の債務であり、それを日銀が購入すればチャラになるわけではない。それが膨らみ続けるといずれ日本や日銀の信認を低下させる。原田氏は「円の信認は日本の経済力に対する信認であって、日銀の信認とは関係ない」ともおっしゃっている。そんなわけがないであろうことは、もしこのままリフレ的な政策を日銀が続けた結果、痛い思いをすることで理解することになるのか。気をつける必要があるのは、その痛い思いをするのは我々国民である。