八村塁が抱くもう一つの大きな目標。恩師の言葉「ハーフ選手の大将になれ」を支えに歩む先駆者への道

ゴンザガ大のエースとして集大成のトーナメントに挑む八村塁(写真/小永吉陽子)

八村塁の根底にある思い。「僕は日本のハーフの子供たちの力になりたい」

 いまや、全米大学バスケットボールのファーストチーム(ベスト5)に名乗りを上げるほど、目覚ましい活躍を見せている八村塁。今季は平均20.1得点、6.6リバウンド、フィールドゴール成功率60.9%という好成績を叩き出し、ランキング4位のゴンザガ大のエースとしてチームを牽引してきた。3年目を終えて6月のNBAドラフトにアーリーエントリーすることが有力視されており、ドラフトの予想順位も高評価を得ている。

 ゴンザガ大の3年計画では、1年目はアメリカの環境に慣れる「準備期間」、2年目を「経験と実験」の年とし、3年目で「チームの主力」になることだったが、その計画よりも早い歩みで成長を遂げている。昨年からすでに主軸として頭角を現していたが、大学3年になった今は英語力の上達が戦術理解と自信をもたらし、U19代表や日本代表といった大舞台での経験を経て、飛躍の時を迎えているのだ。

 目前に迫った全米大学選手権は「僕たちはファイナル4に進出できるチームだと思うし、その先へ行きたい」と語る集大成のトーナメントになる。本人が言う「その先」には全米制覇、そしてNBAでプレーする姿があるだろう。そんな八村の今季の注目の集め方は、アメリカでも日本でも、一気にスターダムにのし上がるかのような勢いだ。遠く日本から英語も話せずにやってきた少年が、全米で躍進を遂げるサクセスストーリーを歩んでいるのだからそれも当然だ。

 ただ――八村にとって大学での学びは、ドラフトで上位指名を受けることがすべてではない。それこそ八村のいう「その先」には、バスケットボール選手としてどう生きるか――という大きなテーマがある。八村はこれまで歩んできた先々で、心の面でも大きく成長させてくれる指導者に巡り合ってきた。彼を指導したコーチに話を聞くたびに、心の育成こそが彼をここまでの選手にした――そう思わせられるのだ。

 昨年秋のことだ。八村はゴンザガ大のESLで学ぶ留学生たちの前で自身の夢を語る機会があり、そこでNBA選手になること、東京オリンピックで活躍することを誓っている。そしてもう一つ、「僕は日本のハーフの子供たちの力になりたい」というテーマで話をしている。ESL(English as a second language)とは、英語を第二言語として学習する履修科目のこと。八村は高校卒業後の5月に渡米してからは、秋から学部生になることを前提にESLで学んでいた。いってみれば、初期段階の学びの場で同志に自分の夢を語ったのだ。

「日本には僕のような肌の色が黒いハーフのアジア人がたくさんいるし、スポーツ選手も、バスケ選手もたくさんいる。彼らは何かしら試練を抱えている。僕はそんな子供たちがスポーツを楽しんだり、英語を話せるようになるための力になりたい」

 こうした言葉を聞いて思い出すのは、八村塁の心技体の土台を作った明成高時代のことだ。

恩師である明成高・佐藤久夫コーチの教えは、今でも八村塁の支えになっている(写真/一柳英男)
恩師である明成高・佐藤久夫コーチの教えは、今でも八村塁の支えになっている(写真/一柳英男)

ハーフの大将になれ!

「バスケはすっごい、すっごい楽しいです!」と満面の笑顔でうれしさを表現したウインターカップ3連覇。佐藤久夫コーチ指導の下、心身ともに成長し、実りある高校生活を過ごしたことは「バスケはすっごい楽しい」の名言からもわかるだろう。ただ、高校入学当時からアメリカの強豪大学からスカウトされるような選手だったわけではない。渡米を迎えるまでは日々の練習で格闘する時間を過ごしている。

 八村は中学3年から高校を卒業するまでに身長が約10センチ伸びているが、体が成長していく中でスタミナ強化とケガをしにくい体作りからトレーニングを始めている。得意のダンクやブロックショットは跳ぶ高さだけでなく、何度も跳び続けるジャンプ力トレーニングやタイミングを計る練習を積んできた。今ではさらに力強くなったポストでのポジション取りや多彩なポストムーブ、ミドルレンジでのシュート、ボールをプッシュする機動力といったプレーを習得したのも高校時代の練習によるものだ。「新しいプレーができるようになると、久夫先生が『次はこれをやってみよう』と、どんどん教えてくれて、僕はそれが楽しかった」とは高校時代の談だ。

 むしろ日々格闘していたのは「男としての態度とか行動、心の面を教わったこと」だと八村は言う。

「Be a TIGER(虎になれ)」という言葉でゴンザガ大のマーク・フューヘッドコーチから叱咤激励を受けてアメリカで戦う闘争心がついたように、高校時代にも「エースの風格を持て」「練習から全力で」という要求は毎日のようにあった。高校時代から渡米を視野に入れて準備していた八村には、『虎』になる基準値を上げていくステップが必要だったのだ。

 そうした佐藤コーチの教えの中でもっとも印象に残っていることが、八村塁の人格を形成したといえる言葉だった。卒業式の前日、明成バスケ部の卒業を祝う会にて、明成のエースは初めて人前で涙を流して感謝の思いを伝えている。

「僕はこの3年間で久夫先生に言われてうれしかったことがあります。それは『お前はハーフの大将なんだぞ。塁を見てみんなが頑張ろうとしているんだ』と言ってくれたことです。僕は本当に……それが本当に……今までの人生の中で一番うれしい言葉でした」

高校ではウインターカップ3連覇。2年後、弟の阿蓮(右から2番目)と相原アレクサンダー学(右)ら後輩たちがウインターカップを制した時には「自分たちが優勝した時よりうれしい」と喜んだ(写真/小永吉陽子)
高校ではウインターカップ3連覇。2年後、弟の阿蓮(右から2番目)と相原アレクサンダー学(右)ら後輩たちがウインターカップを制した時には「自分たちが優勝した時よりうれしい」と喜んだ(写真/小永吉陽子)

日本とベナン。2つの国のルーツを持つ者が目指す「Bigger Goal」

『ハーフの大将』――については、高3のウインターカップ前に行ったインタビューで本人が話してくれたことだった。インタビューでの語彙力が少なかった高校時代にのめり込んで語ってくれたことからも、その言葉が心底うれしかったことがわかる。

「僕、高校で県外に出てみて、日本にハーフの子がこんなにいるって知ったんです。これは僕が思っているだけかもしれないけど、僕が明成で活躍してからか、ハーフの子がバスケを始めたとか、バスケをやってみたいと聞くことがあるんです。僕がバスケを始める前からやっていた人もいると思うんですけど、最近そういうのを知ることがすごく多いんです。そういうハーフの選手を見ていると、僕は本当に本当にうれしくて。留学生もそうです。アフリカから来ている留学生は家族のようです。だから対戦すると楽しいし、燃えますね」

 2つの国のルーツを持つことのうれしさ、について聞くと、さらに目を輝かせた。

「ハーフであることで2つの国のものを持てるのは、いいこと以外、何もないと思います。僕はお父さんがベナン人なので体にいい影響があって、それは本当にうれしいことです。肌の色が違うからみんなが見るじゃないですか。それは注目されるのでいいことなんです。小さい頃は気にしたことがあったかもしれないけど……中学と高校ではそういうのは一切ないです。逆に人と違うのがうれしい。こんなに動ける体をくれたお父さんとお母さんに、ありがとうと言いたいです。

 中にはハーフであることに引け目を感じている子もいると思うんですけど……。だから僕が活躍をすれば……と思っていたときに久夫先生から『お前がハーフの大将だ』と言ってもらえてすごくうれしかった。僕がハーフの子たちのリーダーになれているかはわからないですけど、そう思われる選手になりたいです」

 佐藤コーチは近年日本に多くなったハーフアスリートに対し「多感な時期ゆえに、考え込んでいる子供は多い」と、選手一人ひとりと向き合ってきた。とくに明成には、2つ下の弟の阿蓮(東海大)をはじめ、八村塁に憧れて入学してくるハーフの選手が多い。『ハーフの大将』の言葉は、「2つのルーツがあることに誇りを持ち、誰も切り拓いていない道を作る先駆者になってほしい」との願いがこもった恩師からのメッセージなのだ。

 もっとも、大学1、2年生の頃は、授業と宿題と練習の掛け持ちがあまりにも大変で、目の前のこと以外は考える余裕すらなかった。それでも途中であきらめなかったのは、自身の根底にある選手としての目標が揺るがなかったからだ。そして、恩師の言葉を胸に抱いて渡ったゴンザガ大では、異国の生徒を温かく迎え入れるコミュニティと育成プログラムがあり、そうした下で成長することができた。八村が今季に入ってアメリカでのインタビュー等で「ハーフの子供たちの力になりたい」と多く口にしだしたのは、英語でこう答えた彼にとっての「Bigger Goal」――ハーフ選手のロールモデルとなる目標を見つめ直すメンタリティーがついたからだろう。

 ちなみに勉強については、「バスケをしているときだけは勉強のことを考えなくていいので、バスケをすることが一番のストレス発散だったのかもしれません。今でも大変ですけど」と笑ってみせる。

ゴンザガが誇るのはチーム力。その中でエースを務める八村塁(写真/小永吉陽子)
ゴンザガが誇るのはチーム力。その中でエースを務める八村塁(写真/小永吉陽子)

中学、高校、大学での学びに感謝して臨む集大成

 18歳の少年をアメリカへと送り出すとき、佐藤コーチはこう話していた。

「塁に期待をするのは、彼は早生まれだから20歳を過ぎた頃。これからいろんな困難があるだろうけど、それらを乗り越えようとハングリーになったときに、塁が持っている本当の力を出せるのではないかな。そうした精神的なたくましさが身についたとき、今までの日本選手としては見たこともないようなプレーができると思う。期待を込めてね」

 その期待はまさに今、先駆者になるべくして突き進んでいる姿そのものだ。

 八村塁の心技体の土台を作り、バスケットボール選手としての大きなテーマを与えた明成高。次のステップとして、アメリカというバスケットボール世界一の国で戦える『虎』にしたゴンザガ大。そして、バスケを始めた富山の奥田中では坂本穣治コーチが「塁はNBAに行けるよ」との言葉で大きな夢を持たせ「一生懸命を楽しむ」というモットーのもとで原点を伝えている。何より、本人の前進したい意志があってこそ。たくさんの経験を積み上げて今があることを、精悍になった顔つきが物語っている。

 これまでの学生生活の学びを出す集大成がやって来た。来たるトーナメントでも、エースである八村塁がもう一段階ステップアップするチャレンジをすることで、ゴンザガ大の目標にも、Bigger Goalにも前進していけるだろう。