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金正恩が「公開処刑」に仕掛ける独特な演出

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

 韓国統一省は今月6日、北朝鮮社会の実態を探るため、6300人あまりの脱北者に行った調査の報告書を公表した。その結果からは、金正恩総書記が権力を継いでから、世襲に否定的な見方が増えていることが浮き彫りになっている。

 報告書によると、金正恩氏が権力を継承した2011年以降、故・金日成主席直系の「白頭血統」が権力を世襲することについて否定的にみる脱北者が増加。2010年までは世襲に否定的な脱北者は3割ほどだったのが、2016年から2020年の間に脱北した人では54.9%に達したという。

 こうした内容を眺めていて思い浮かんだのが、金正恩氏の恐怖政治における「過剰気味な演出」だ。金日成氏も父の金正日総書記も冷酷な独裁者だったが、金正恩氏はタイプが違う。

 たとえば、こんなことがあった。2021年12月、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の城津(ソンジン)製鋼所の青年同盟(社会主義愛国青年同盟)の書記2人と複数のイルクン(幹部)が、「隠れて韓国の音楽を聴いていた」として、公開批判にかけられた。

 これは「罪」を犯した本人らだけが自己反省した上で、様々な人から入れ代わり立ち代わり批判を受け続けるという「吊し上げ」だ。最後に彼らに対する処分が言い渡されたのだが、それはこんな内容だった。

(参考記事:北朝鮮の女子高生が「骨と皮だけ」にされた禁断の行為

「厳罰を受けるべき厳重な事件ではあるが、一時的に思想的な間違いを犯したものの、普段は党と祖国のために一所懸命働いてきた者たちであることから、教養処理に処する」

 教養処理とは罰金刑の次に軽い処罰で、事実上無罪に等しいと言っても過言ではない。それを聞いた本人たちとその家族はその場で崩れ落ち、激しくむせび泣いた。場内のあちこちでも、泣き出す人がいたとのことだ。教化所(刑務所)か管理所(政治犯収容所)送り、さらには処刑という重罰が下される可能性もある事案だけに、緊張が一気に解けたのだろう。

 軽い処分となったことについては、「若者たちを党が暖かく抱きしめて、社会主義の第過程で堂々とした青年同盟のイルクンとしての人生を送らせるために、常に心を尽くしていらっしゃる金正恩元帥様と母なる党の崇高な意志」という説明がなされたという。

 また、金正恩氏が処刑直前で中止命令を出したとされるエピソードもある。

 2014年10月のある日、平壌市南部にある力浦(リョクポ)区域の河川敷には、多数の住民が集まっていた。軍需物資を横領して逮捕された将校と、その妻である30代女性の公開処刑が予告されていたためだ。

 2人は猿ぐつわを噛まされ、黒い布で目隠しされた状態で、杭に縛り付けられていた。軍の検察官と裁判官が判決を読み上げたのに続き、射手を務める兵士たちが位置に着いた。銃声が鳴り響き、刑が執行された。

 ところが妻はしばらく後、病院のベッドの上で意識を取り戻した。軍当局者が妻に説明したところでは、夫の刑は予定通り執行されたものの、現場に伝えられた緊急指令により、妻の刑執行は撤回されたのだという。

 妻は当時、妊娠4カ月だった。それを知った金正恩氏が「母親の罪を新たに生まれる生命にまで問うのはわが党の人徳政治に反する」として、執行中止を命じたのだという。

 金正恩氏は公開での刑執行が、恐怖政治における究極の「残酷ショー」であることを知り抜いたうえで、それを自らの慈悲深さを演出し、人民の支持を取り付けるものとして利用しているのだ。

 彼の父の金正日氏は、早くから後継者であることが確定し、金日成氏の威光を自分に移し替えながら、自らの正統性を知らしめる時間的余裕があった。その歳月は20年を数えた。

 一方、国民の前に登場して間もなく、父の死によって権力を継承した金正恩氏は、そういう機会を持てなかった。彼は自前で権威を築く必要があったということだ。だからこそ、国民に恐怖を与えるのであれ慈悲を見せつけるのであれ、じゅうぶんに「演出」をきかせて、自身の全能さを見せつけようとしたのではないだろうか。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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