Yahoo!ニュース

日米のディーバーが木村花さんと共に作り上げたファイブスター・マッチ 「ハナを笑顔にできたかな?」

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
木村花さんをオマージュしたコスチュームで入場したメルセデス・モネ(写真:三尾圭)

 日本では、「ミスターIWGP」と呼ばれた永田裕志が、全日本プロレスの大会に参戦。宮原健斗が持つ三冠ヘビー級王者に挑戦して、54歳で初戴冠。過去に新日本プロレスのIWGPヘビー級とノアのGHCヘビー級を手にしたことがある永田は、史上5人目となる「グランドスラム」を達成。新日本の「G1クライマックス」、全日本の「チャンピオン・カーニバル」、ノアの「グローバルリーグ戦(現N-1 VICTORY)」のリーグ戦優勝も含めると、史上初の「日本3大団体シングル完全制覇」の偉業も成し遂げた。

 アメリカでは現地18日(日本時間19日)にWWEがペイパービュー(PPV)イベントの「エリミネーション・チェンバー」を開催。アスカが6人で戦う変則マッチを制して、4月のレッスルマニアでロウ女子王者のビアンカ・ベレアへの挑戦権を勝ち取った。

 新日本プロレスもカリフォルニア州サンノゼで、男女のIWGPシングル選手権試合をダブルメインイベントに添えたPPV大会「Battle In The Valley」を行い、大成功を収めた。

 数多くの名試合が行われてファンを楽しませたが、その中で最も熱く美しかった試合は、王者KAIRIにメルセデス・モネが挑戦したIWGP女子選手権だった。

今年のプロレスの日に多くの名試合が行われたが、最も熱く美しかった試合はKAIRIとメルセデス・モネのIWGP女子選手権だった(写真:三尾圭)
今年のプロレスの日に多くの名試合が行われたが、最も熱く美しかった試合はKAIRIとメルセデス・モネのIWGP女子選手権だった(写真:三尾圭)

木村花をオマージュしたモネのコスチューム

 入場ゲートに並んだダンサーがリズミカルな踊りを繰り広げるが、挑戦者のモネはなかなか姿を現さない。

 観客を十分に焦らしてからモネが入場ゲートに登場すると、サンノゼの観客はこの夜一番の歓声を張り上げ、ソーシャルメディアには興奮した書き込みが多数投稿された。

 モネの口元にはガスマスク、足元にはモコモコなリングシューズ・カバー、緑のマント、そしてリング・コスチュームは木村花さんが着ていたものにそっくりだったからだ。

 2020年に22歳で亡くなった花さんは、女子プロレス界の将来を担うと期待されたスター女子プロレスラー。総合格闘技でも結果を残したレジェンド女子プロレスラーで母親の木村響子譲りの強さと華やかさを兼ね備えていた。

 花さんがプロレスの基礎を叩き込まれた「プロレス総合学院」は、2月21日に現役生活にピリオドを打つ武藤敬司が校長を務めていたが、日米のリングでファンを魅了した武藤が「名前の通り、華があった。オリエンタルな顔立ちにスタイルの良さ。それに力強さと、まだ粗削りだったけど迫力もある。何より自己主張の強さ、人を引きつける天性のものがあった。将来的にはWWEでも成功すると思っていた」と日刊スポーツのインタビューで語ったほどの逸材。

 花さんが所属していたスターダムからは、サンノゼでモネの挑戦を受けた初代IWGP女子王者のKAIRI(スターダム時代は宝城カイリ)や紫雷イオがWWEへと巣立っていったが、その後を継ぐのが花さんのはずだった。

 英語の習得にも取り組み、外国人レスラーとも積極的に会話をするなど、アメリカでもスーパースターになれる素質を持っていた花さん。

 KAIRIも花さんの国際性を高く買っており、2021年に「WWEで見たい選手は?」との質問に対して、「木村花選手に来て欲しかった」と答えている。

 「何度も試合をしたり、彼女とタイトルマッチをしたこともあったんですけど、本当に彼女はデビュー当時から堂々とした、物怖じしない、華のある戦いをしていた。ファンの方はもちろん、私たち選手のことも魅了してきた数少ない選手でした。もし彼女がWWEに出場したら、すぐにアメリカのファンの方も魅了できると確信しています」

 KAIRIは花さんが亡くなった直後のWWE大会で、「ありがとう花ちゃん」の文字を書き込んで入場した。

 スターダムで何度も花さんと戦ってきたKAIRIと異なり、モネと花さんの間には直接の絡みはなかったが、モネもサーシャ・バンクスとして戦っていたWWE時代に「HANA」と書かれた喪章を腕に着けて、花さんに追悼の意を示していた。

 花さんとは直接の絡みのなかったモネだが、実は花さんの憧れのレスラーは「サーシャ・バンクス」だったと花さんの盟友であるジャングル叫女が明かしている。

花が急に呟いた。

『かわいい、かっこいい、大好き!!!私の憧れなんです』って

私が『誰のこと?』って聞くと

花は『サーシャ・バンクス』って満面の笑みで。

当時サーシャさんはWWEのトップスターでした。

(中略)

だからね、、

今日ね、本当に本当にびっくりしたの

嘘でしょ?奇跡じゃん

ね、花みてる?って1人で、

いーや、花と大興奮してた

その姿は、花そのものでした。

花の目指してた夢の続きを見れた気がした

Happy Jungle Life ジャングル叫女 オフィシャルブログ 2023年2月19日付「Thanks Sasha」より

 花さんととても仲の良かったジャングル叫女は、花さんが亡くなってからはプロレスに対しての気持ちを失ってしまい、ケガもあり、スターダムを退団。

 昨年5月に開催された「木村花メモリアル大会」で花さんの実母である木村響子を相手に596日ぶりとなるリングへ復帰すると、花さんの夢を受け継いだかのようにアメリカへ拠点を移して、アメリカのインディー団体でプロレスを続けていた。しかし、古傷の左ヒザ半月板再手術及び治療のため無期限休業すると2月21日発表した。

 ジャングル叫女の復帰戦の相手を務めた木村響子も、ツイッターでモネに対して感謝のメッセージを送ると、モネは「光栄なことでした。ハナを笑顔にできたかな」と返答。

 今でも花さんを愛するファンたちは、笑顔でありながらも、その目には嬉し涙を流しながら試合を観戦していたが、天国の花さんも嬉しさと感動で泣きながら笑顔を見せていたかもしれない。

日米のディーバによる魂を揺さぶられる試合

 WWEでトップレスラーとして活躍してきたサーシャ・バンクスことモネは、日本のプロレスに深いリスペクトを抱くレスラー。

 「新日本プロレスや日本の女子プロレスを観て育ってきた。豊田真奈美、アジャ・コング、北斗晶……。彼女たちはWWEよりも前に私の憧れであり、夢だったの」

 WWEで戦っていた2019年7月には、日本でプロレスを学び直したいと一人で極秘来日して、センダイガールズプロレスリングの合同練習に飛び入り参加したこともある。

 「日本の女子プロレスは、最高のプロレス」とモネが言うように、日本が世界に誇れる文化でもある。その影響力は日本国内に留まらず、35年以上も前からアメリカの女子プロレスに革命を起こしていた。

 1980年代にクラッシュギャルズのライバルとして活躍した立野記代と山崎五紀の「ジャンピング・ボム・エンジェルス(JBエンジェルス)」は、1987年にWWE(当時はWWF)に参戦。記念すべき第1回サバイバー・シリーズに参戦して、10人生き残りタッグマッチで二人して生存すると、第1回ロイヤルランブルではWWF女子タッグ王者に輝いた。

 当時のアメリカ・プロレス界では女子の地位は低く、お色気担当的な面が強かったが、日本仕込みの技術とスピードを誇るJBエンジェルスは、女子プロレスに革命を起こし、女子レスラーとして初めてWWEでメインイベントに抜擢された。テレビCMに起用されるほどに人気も高かった。所属していた全日本女子プロレスに呼び戻されたので、JBエンジェルスがWWEで活動した期間は1年弱と短かったが、彼女たちが残したインパクトは大きかった。

 1993年にはブル中野がWWEに参戦して、日本人初となるWWE世界女子の王者として君臨。男子顔負けの試合を続ける中野も、WWEでの女子の地位向上に大きく貢献した功労者の一人である。

 そんな日本人女子プロレスラーが寄与してきたWWE女子部門に大きな変換をもたらしたのが2015年のディーバ革命。バンクスはディーバ革命の中心的存在を担った一人である。

 2018年にはWWE初となる女子だけのPPV大会「エボリューション」が開催され、バンクスとカイリ・セインも参戦した。

 そんな女子プロレス界に革命を起こしてきたKAIRIとモネによるIWGP女子選手権は、新日本プロレスにとって大きな意味を持つ試合になった。

 「私には熱心なファンが多く付いていて、(モネがKAIRIに挑戦を表明した今年1月4日の)レッスルキングダムではアメリカからの視聴者がこれまでよりも3割も増えたの」とモネが豪語するように、モネの参戦により新日本プロレスの海外での注目度はこれまで以上に高まるはずだ。

 新日本プロレスでのデビュー戦となったKAIRIとの試合は、その期待を裏切らない名勝負となり、試合を観たファンは大絶賛している。30分近く死闘を繰り広げた二人の試合は、見る者の魂を揺さぶるプロレスの素晴らしさが凝縮された試合となった。

 これこそが花さんが愛したプロレスの真の形であり、花さんのことを思いながら試合を観たファンは少なくない。

 KAIRIはWWEからスターダムに復帰した際に、「無念の思いをした後輩の思いもすべて背負って闘います、全力で」と語ったように、常に心のどこかで花さんのことを思いながら戦っている。

最後はモネの必殺技「モネメーカー」で勝負が決まった(写真:三尾圭)
最後はモネの必殺技「モネメーカー」で勝負が決まった(写真:三尾圭)

 試合後には全力を出し尽くして戦い抜いた二人が抱き合って検討を称え合うと、KAIRI自らがチャンピオンベルトをモネの腰に巻き、2代目王者を祝福した。

試合後に抱き合うKAIRIとモネ(写真:三尾圭)
試合後に抱き合うKAIRIとモネ(写真:三尾圭)

世界に向けてアピールをしていく日本の女子プロレス

 モネという世界に高い影響力を持つ新王者が誕生したことで、新日本プロレスとスターダムは、質の高い試合を武器に、世界市場を拡大する大きな武器を手に入れた。

 「新日本へ行って、女子部門を助ける選択をするのは簡単な決断でした。そして、スターダムは世界で最も高い可能性を秘めた団体です。スターダムには世界でもトップクラスのレスラーが大勢います。彼女たちをアメリカのファンに紹介するのが楽しみ。彼女たちが世界中のファンに、自分たちの力を見せる機会を与えることは、世界中の女子プロレスの扉を開くことになると思う」

 どれだけモネが凄い選手でもプロレスは一人ではできないし、この夜のKAIRIのような素晴らしい相手がいなくてはファンを感動する試合は生まれない。

 スターダムには花さんと一緒に汗を流してきた世界トップレベルのレスラーが何人もいるので、今後もモネと一緒に素晴らしい試合という作品を作り上げ、世界中のファンを魅了していく。

 2月19日が「プロレスの日」に制定されたのは、1954年2月19日に行われた力道山・木村政彦組対シャープ兄弟のNWA世界タッグ戦が、日本テレビとNHKで生中継され、多くの日本人が街頭テレビに映された試合に熱狂したから。

 それから69年後の2023年2月19日。KAIRIとモネのIWGP女子戦がPPVで世界に生配信され、世界中のファンに感動を与えた。まさに「プロレスの日」に相応しい名勝負だった。

「プロレスの日」に世界中のファンを感動させた名勝負を繰り広げたKAIRIとモネ(写真:三尾圭)
「プロレスの日」に世界中のファンを感動させた名勝負を繰り広げたKAIRIとモネ(写真:三尾圭)

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

三尾圭の最近の記事