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オカダ・カズチカvs棚橋弘至、このシングルマッチが持つ歴史と意味合いを考えてみる

清野茂樹実況アナウンサー
2012年の棚橋弘至とオカダ・カズチカ(写真:日刊スポーツ/アフロ)

新日本プロレスはオカダ・カズチカの退団を受けて、20日から始まったシリーズ「THE NEW BEGINNING」の対戦カードの一部を変更、来月11日にエディオンアリーナ大阪にてオカダ・カズチカと棚橋弘至のスペシャルシングルマッチを発表した。初対決から14年間、多くのファンを興奮させてきた新日本プロレスの黄金カードは、これまでどんな歴史を辿ってきたのか?最後の対戦の前に改めて、この一戦の歴史と意味合いを紹介したい。

最大の衝撃は初挑戦での戴冠

両者の対戦で、プロレスファンが最も記憶しているのは何と言っても、オカダが最初に棚橋に勝利した試合だろう。2012年当時、IWGP王者として11度も防衛してきた棚橋が、海外修行から戻ってきたばかりのオカダに敗れるという結末は、まったく予想できなかったからだ。初挑戦での戴冠。オカダはこの一戦を機にカネの雨を降らせる“レインメーカー”としてのキャラクターを定着させ、プロレス界の新しい顔となったのはあまりに知られた話だ。試合後、理想の王者像について記者に問われたオカダの「特にありません」という淡々とした発言もインパクトを残した。

東京ドームで3度メインイベント

それから2人の試合は何度か実現するわけだが、軸となったのは、8月のG1 CLIMAXの優勝者が翌年1月に東京ドームでIWGP王座に挑戦できるという、いわゆる「権利証システム」である。この流れに沿って、棚橋とオカダの試合は2013年、2015年、2016年と3度も年間最大興行「WRESTLE KINGDOM」のメインイベントを飾る。つまり、彼らのシングルマッチはこの時代、最も多くのプロレスファンを興奮させた試合と解釈できるわけで、棚橋が所属する「新日本本隊」とオカダの所属する「CHAOS」という両ユニット(軍団)を交えた前哨戦を含めると、対戦はかなりの数にのぼるはずだ。

防衛記録更新から迎えた転機

そして、大きな節目となったのは2018年。当時IWGP王者だったオカダは5月、同王座の最多防衛記録を持つ棚橋の挑戦を退けて、新記録を樹立する。この後は引き分け1つを挟んで、9月の対戦では棚橋が勝利するわけだが、翌月には「BULLET CLUB」という共通の敵を倒すことを目的に握手を交わし、ライバルストーリーはひとつの区切りを迎えたのであった。このときを境に両者の対戦は、競い合いから品質保証の黄金カードへと変化したように思う。2019年と2023年に米国で二度実現しているのは、その表れではないだろうか。過去の対戦成績はオカダが8勝5敗3分でリードしている。

最後の対決は壮行試合か

さて、来月11日に実現する最後のシングルマッチはどうなるのだろうか?新日本プロレスでのオカダの試合は、あと2試合残っているとはいえ、棚橋が社長であることを考えると、実質的にはこれが「壮行試合」と捉えていいのかもしれない。奇しくも2010年に行われた最初の対戦も、海外修行に出発するオカダ(当時のリングネームは岡田かずちか)の壮行試合であった。筆者は試合後の「バケモノになって帰ってきます」というオカダの発言を思い出す。この言葉は2年後、現実となったわけだが、日本のプロレス界から巣立つオカダがさらに大きな「世界のバケモノ」になることを願わずにいられないのである。

※文中敬称略

実況アナウンサー

実況アナウンサー。1973年神戸市生まれ。プロレス、総合格闘技、大相撲などで活躍。2015年にはアナウンス史上初めて、新日本プロレス、WWE、UFCの世界3大メジャー団体の実況を制覇。また、ラジオ日本で放送中のレギュラー番組「真夜中のハーリー&レイス」では、アントニオ猪木を筆頭に600人以上にインタビューしている。「コブラツイストに愛をこめて」「1000のプロレスレコードを持つ男」「もえプロ♡」シリーズなどプロレスに関する著作も多い。2018年には早稲田大学大学院でジャーナリズム修士号を取得。

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