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英史上最大の冤罪と闘う郵便局長を描いたTVドラマが「ヴォルデモート」富士通を追い詰める

木村正人在英国際ジャーナリスト
ポストオフィス・スキャンダルはTVドラマの放映で劇的な展開を見せた(写真:ロイター/アフロ)

■英首相「冤罪を晴らして、補償する新法をつくる」

[ロンドン発]富士通が英国のポストオフィスに提供した勘定系システム「ホライズン」の欠陥が原因で民間郵便局長ら700人以上が現金を横領したなどの疑いをかけられ冤罪になった事件で、リシ・スナク首相は10日下院で、イングランドとウェールズで有罪になった元局長らは新たな法律のもとで冤罪を晴らし、補償を受けることになると発表した。

スナク首相は「英国史上最大の誤審だ。地域社会のため懸命に働いてきた人々が自らの過ちでもないのに人生と社会的信用を台無しにされた。被害者に正義と補償が行われなければならない。何が間違っていたのかを明らかにするためホライズン公聴会が行われている。2500人以上の被害者に約1億5千万ポンド(約278億円)の補償金を支払ってきた」と説明した。

「ホライズン・スキャンダルの結果、有罪判決を受けた人々が速やかに冤罪を晴らし、補償を受けられるようにする新たな法案を導入する。集団訴訟で争った元局長らに対しても7万5000ポンド(約1400万円)の一時金を支払う。私たちは真実を明らかにする。これまでの過ちを正し、被害者は相応しい正義を手にすることになる」とスナク首相は断言した。

■冤罪の責任はポストオフィスと政府、富士通にある

イングランドやウェールズと異なる法体系を持つスコットランド自治政府も有罪になった元局長らを救済する同様の計画を発表した。英首相官邸は数週間以内に法案を議会に提出し、今年末までに有罪判決を覆す手続きを終わらせるという。1人当たり60万ポンド(約1億1100万円)が年内に支払われる可能性があると英大衆紙デーリー・メールは報じている。

冤罪の責任はポストオフィスと政府、富士通にある。デービット・デイビス元欧州連合(EU)離脱相は「富士通がスキャンダルの中心的な役割を果たした」と追及する。ケビン・ホリンレイク英企業・市場・中小企業担当閣外相は「責任があると証明された者は被害者救済のためのすべての支払いに義務を負うべきだ」と述べた。富士通はついに内堀まで埋められた。

スナク首相が早期救済に動いたのは次期総選挙が迫り、低迷する支持率を回復させなければならないという切羽詰まった政治的な事情があった。しかし、すべてを失った元局長らが無実を証明するまでの約23年の闘いを描いた英民放ITVのドラマ『ミスター・ベイツ vsポストオフィス』が1月1日から4日連続で放映されたことが扉を押し開けた。

■「誰も最悪の出来事をZOOMで話したがらなかった」

台本を書いた脚本家グウィネス・ヒューズ氏は英BBC放送の深夜報道番組『ニューズナイト』で「3年前に取材を始めたが、当時はコロナで誰も自分の人生に起きた最悪の出来事をZOOMでは話したがらなかった。行動制限が解除されるやいなや車を飛ばして被害者に会いに行った。何百人もの被害者のうち8つの物語を取り上げた」と語っている。

「信じられないような話ばかりだった。この物語には現実にあった信じられないようなことがたくさん出てくる。ただただ驚いた。ホライズンの端末で現金の不足表示が倍になるのを目の当たりにしたのに自分のせいだと言う人がいるなんて普通あり得ない。みんな現金不足が発生しているのはあなただけだとポストオフィスにウソをつかれていた。狂気の沙汰だ」

「これは作り話ではない。全部ホントの話だ。国民全体が感じていることが表面化した。誰もが自分の話を聞いてくれていないと感じている。このドラマを見ていると、元局長らに起こったことが私にも起こっているのだと感じている。私の話を聞いてもらえない。だからこのドラマがヒットしたんだと思う」とヒューズ氏は語る。

■勤勉な英国人がいかに冤罪を着せられたか

英誌エコノミストもドラマについて「勤勉な英国人(その多くは地元で愛されている人物)がいかに冤罪を着せられ、その疑いを晴らすことができなかったかを生々しく、しかしほぼ忠実に描いており、人々の怒りを買った。その結果、政治家やその他の人々がパニックに陥った」と解説している。

「この事件に対する国民の怒りを和らげるには集団無罪放免が唯一の方法であるかのように見える。しかし、残された有罪判決を破棄するための法案は司法の独立性を損なうと見なされる恐れがある」という。ドラマでは、敗訴して法廷費用32万1000ポンド(約6000万円)の支払いを判事から命じられ、破産する元局長が取り上げられている。

ジャーナリストになって40年近い筆者は自由民主主義国家でこんな不正義が20年以上も放置されてきたことに愕然とする。英国の司法がまともに機能しているとは筆者には思えない。訴訟費用がべらぼうに高すぎる。英国の司法は社会的弱者を犯罪者と決めつけて締め上げ、政府や企業、金持ちを潤わせるためにある。

■バグが数千もある「クソ袋」

ポストオフィスは郵便事業のうち窓口業務を引き受ける国有非公開会社だ。インターネットや電子メールの普及で英国の郵便事業を担うロイヤルメールは2013年に民営化され、上場した。窓口業務を担うポストオフィスは政府が100%保有する形で切り離され、民間郵便局長はポストオフィスとフランチャイズ契約を結んで民間委託郵便局を経営している。

ポストオフィスは全取引の4割を占める年金など公的給付金支払いの窓口業務が05年までに銀行口座への直接振り込みに移行することを恐れ、最も深刻で使用不可を意味するカテゴリーAを含むバグが数千もある「クソ袋」のホライズンを1999年に性急に導入した経緯がある。銀行が郵便局支店をバンキング業務に使うビジネスチャンスがあるとの計算も働いた。

00年からホライズンの勘定に基づく不足分の現金取り立てや民間郵便局長の訴追が始まり、有罪判決が量産される。IT(情報技術)システムの立ち上げに関わった経験のある民間郵便局長の1人が「ポストオフィスの犠牲者」というウエブサイトを立ち上げ、09年に英専門誌コンピューター・ウィークリーがホライズンに濡れ衣を着せられた7人を報道した。

■富士通は「ヴォルデモート」

10年ホライズンオンラインに切り替えられ「ホライズンは堅牢」とポストオフィスは結論付けた。18年にリスクを覚悟の上で集団訴訟が始まり、19年ロンドンの高等法院でポストオフィスは元局長ら555人に5800万ポンド(約107億6100万円)を支払うことで和解。和解金の大半は訴訟費用に充てられ、残ったのは1200万ポンド(約22億2600万円)だった。

元局長らは不足分を埋めるため借金したり、失職してホームレスに転落したり、妊娠中に投獄されたり、結婚生活が破綻したり、子供が学校でいじめられ自傷行為に走ったりした。これまでに少なくとも4人が自殺した。集団訴訟の和解がきっかけとなりこれまでに覆った有罪判決はわずか93件で、被害者救済を急ぐことが焦眉の課題となっていた。

集団訴訟の判事は「富士通社員が提出したホライズンの欠陥に関する証拠の信憑性に重大な懸念がある」と検察当局に書類を送付し、ロンドン警視庁はすでに偽証の疑いで富士通元社員2人を事情聴取している。富士通はホライズンを含め英国の国防省、内務省と191件、総額65億ポンド(約1兆2000万円)の契約を結ぶ。

富士通のシステムなしでは英国政府の機能はマヒするため、英官庁街でも富士通システムの問題を指摘するのはタブー視され、富士通はハリー・ポッターに出てくる「ヴォルデモート」に例えられることもある。ポストオフィスも政府も白旗を上げた今、英国民の怒りは富士通に突き付けられている。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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