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サッカー解説者リネカーが政府の密航者対策を「ナチスと同じ」と批判し、BBC降板 公共放送の公平性とは

木村正人在英国際ジャーナリスト
BBCの人気サッカー番組を降板させられたリネカー氏(写真:ロイター/アフロ)

■「1930年代のドイツと変わらない」

[ロンドン]英仏海峡を密航してくる不法入国者の小型ボートを阻止する法案について、元イングランド代表ゲーリー・リネカーが「1930年代のドイツと変わらない言葉を使い、最も弱い立場の人に向けられた残酷な政策」とツイートし、英BBC放送から「公平性」を逸脱したとして週末の人気サッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デイ」を降板させられた。

SNS上で政治論争に立ち入ることはBBCのガイドラインに反しているが、「難民を悪者にする行為に反対することは政治的な姿勢ではなく、慈愛だ。BBCの司会者だって人権を守るために立ち上がれるはずだ。なぜリネカーは自分の主義主張に封印しなければならないのか」(左派系英大衆紙デーリー・ミラー)という擁護論もある。

リネカーはBBCから135万ポンド(約2億2000万円)を得る高額司会者だからBBCのガイドラインは守らなければならない。BBCのスタッフ、ニュースや公共政策に関する番組のレギュラー司会者やレポーターは証拠に根差した専門的な判断を示すことはできる。しかし公共政策、政治的論争について個人的な見解を表明することは許されていない。

■「与党・保守党はロシアの寄付者からの献金を返すのか」

リネカーは昨年、自宅で受け入れた2人目の難民が英国の難民制度で1年半の間、地獄の苦しみを味わったと苦言を呈した。リズ・トラス英外相(当時)がリバプールFCにロシアで開かれる予定だったUEFAチャンピオンズリーグ決勝をボイコットするよう促した時には「彼女の党はロシアの寄付者からの献金を返すのか」とツイートし、BBCから注意を受けた。

欧州サッカーリーグには紛争や弾圧を逃れてきた難民出身の選手が少なくない。リネカーと同じ元イングランド代表イアン・ライトは「マッチ・オブ・ザ・デイが僕にとってどういう意味を持っているかはみんな知っているが、明日は出演しないとBBCに伝えた。連帯責任だ」とツイート。アラン・シアラーも「BBCに明日の夜に出演しないことを伝えた」と述べた。

「マッチ・オブ・ザ・デイ」が解説者なしで放送されるという前代未聞の事態に発展した。EU離脱の国民投票をきっかけに英国は強硬右派とリベラルに分断し、保守党のEU強硬離脱派は「英国はEUに週3億5000万ポンド(約570億円)を支払っている。そのお金で公共医療サービス(NHS)を救える」と天動説並みのデタラメを撒き散らしてきた。

EU離脱でNHSの窮状はさらに悪化した。

■「この2年間で小型ボートによる密航が500%増加した」

左派系英紙ガーディアンへの寄稿で元BBCエディターのロジャー・ボルトン氏は「今回の騒動では3つのことが明らかになった。第一に、国内が深く分裂していること、第二に、現政権がこの問題を選挙の重要な争点にしようとしていること、第三に、短期的には密航する小型ボートの数が大幅に減少することはないということだ」と指摘する。

スエラ・ブラバーマン内相は今月7日、下院で新たな不法入国者対策法案について「この2年間で小型ボートによる密航が500%増加した。本法案は不法入国者を国外退去させるまで拘留することを可能にする」と発表した。法案が成立すれば、英国から強制退去させられた人は将来、英国への再入国や英国籍を取得できなくなる。

昨年4月、ボリス・ジョンソン英首相(当時)は英国への密航者をアフリカ中部ルワンダへ移送する方針を打ち出したが、「人権上、問題あり」として法廷で争われている。2015年以来、英国は香港、ウクライナ、アフガニスタンなどから約50万人の難民を受け入れてきたが、現在16万6000人以上もの申請者が英国に残留できるかどうかの判断を待っている。

■英国の難民申請件数はドイツやフランスに比べて多くない

昨年の難民申請件数はドイツ21万7700件、フランス13万7500件、スペイン11万6100件、オーストリア10万6400件、イタリア7万7200件に対し、島国の英国は7万2000件(英政府)とそれほど多くない。その反面、21年時点で難民申請の平均待ち時間は英国15カ月半なのに対し、フランス8カ月半、ドイツ6カ月半、オーストリア3カ月余と短い。

「18年以降、約8万5000人が小型ボートで英国に不法入国し、その多くはアルバニアのような安全な国から来た。74%は40歳未満の成人男性で、犯罪組織に数千ポンドを支払えるほどお金を持っているのに、到着後、大半は国内のホテルに収容され、英国の納税者は1日当たり約600万ポンド(約9億7600万円)を負担している」とブラバーマン内相は強調した。

BBCの公平性を巡っては保守党大口献金者のリチャード・シャープ氏がジョンソン首相(当時)にBBC理事長に選ばれる数週間前に、同首相への最大80万ポンド(約1億3000万円)の融資保証を手助けしていた疑いが浮上している。その一方で今回のリネカー騒動を見ても分かるように保守党右派のBBC叩きは激しさを増す。

政権の意向に逆らわないことが公共放送の公平性なのか。BBCは受信料制度の廃止も取り沙汰され、危機に瀕している。

バッシングに嫌気が差したのかBBCからのエクソダスが始まっている。有名司会者が他局に移り、BBCを支えてきたベテランプロデューサーが自主退職するなど、BBCからの大量流出が続く。BBCの技術スタッフの離職率は23%に達している。有料放送へのサッカー解説者の流出も加速する可能性がある。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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