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「午前9時から午後9時まで週6日労働」文化を見直す中国 格差解消の「共同富裕」に大転換した習近平

木村正人在英国際ジャーナリスト
格差解消に舵を切る中国の習近平氏(写真:ロイター/アフロ)

「共同富裕は社会主義の必須条件」

[ロンドン発]中国共産党総書記に就任してから「トラもハエもたたく」と反腐敗運動に邁進してきた習近平国家主席が格差解消のためテクノロジー巨大企業の経営者をはじめ高額所得者の締め付けや富の再分配に力を入れ始めました。

購買力でアメリカを追い抜き、2028年には国内総生産(GDP)でも世界一の経済大国になるとも予測される中国でも貧富の格差が拡大しています。その格差を撲滅して「共同富裕」の実現を目標に掲げることで党への支持基盤を固めるのが狙いです。

中国国営新華通信や英BBC放送によると、8月17日に開かれた党中央財経委員会第10回会議で習近平氏は「共同富裕は社会主義の必須条件であり、中国式近代化の重要な特徴である」と位置付けました。

人民中心の発展理念を堅持し、質の高い発展を追求しながら「共同富裕」を推進するよう呼びかけ、「共同富裕とは平等主義や一部の人々の繁栄ではなく、物心両面の豊かさを皆で分かち合うことであり、一歩一歩前進していかなければならない」と指摘しました。

会議では、社会的公正さと公平さを促進するため、効率性と公平性の関係に適切に対処し、所得配分の基本的な取り決めを行うことや、中間所得層を拡大するとともに、低所得層の所得を増加させ、過剰な所得を調整して不正な所得を禁止するよう努力することが強調されました。

1978年に鄧小平氏が「改革開放」「先富論(豊かになれる者から豊かになること)」を掲げ、中国は市場経済に大きく舵を切りました。40年余の急激な経済成長により、中国の大半は貧困から脱却しました。

昨年、貧困削減に成功したと発表してから、中国では「共同富裕」という言葉が広く使われるようになりました。しかし富裕層と貧困層の格差は深刻で、貧富の格差を示すジニ係数(1に近いほど格差が大きく、0に近づくほど格差が小さい)は0.46~0.47と高水準で推移しています。

「3つの分配」

会議では市場経済下における所得の「3つの分配」も提唱されました。

「第1の分配」は効率性の原理に基づき市場が行う、

「第2の分配」は公平性の原理に基づき政府が徴税や社会保障制度を通じて再分配する、

「第3の分配」は道徳的な力の影響を受けて自発的な寄付によって行われる

――ことを意味しています。

この「3つの分配」政策により中国のテクノロジー企業にはすでに激震が走っています。

中国当局は昨年、アリババ集団傘下の金融会社アント・グループの370億ドル(約4兆700億円)規模の新規株式公開(IPO)を延期させ、アリババ集団に独占禁止法違反で約182億元(約3100億円)の罰金を科しました。アリババは声明で「社会に対する責任を果たす」と今後数年間で1千億元(約1兆7千億円)を「共同富裕」のため投資する方針です。

他のテクノロジー企業も「共同富裕」のための投資を相次いで発表しました。

ライドシェアリングサービスの滴滴出行(ディディ)もアメリカで44億ドル(約4800億円)規模のIPOを実施しましたが、中国当局から「個人情報の収集と使用に関する法律に著しく違反している問題がある」とモバイルアプリストアからの削除を命じられ、株価が急落しました。

また、新東方教育科技集団など校外補習を担う学習塾各社は非営利組織化を迫られました。「教育レベルを向上させるため、より包括的で公平な条件を整える」のが狙いとみられています。フードデリバリー事業を展開する美団(メイチュアン)も滴滴出行と同じような安全保障上の法令順守を求められました。

中国当局は、モバイル端末向けショートビデオプラットフォームTikTokを運営するByteDance(バイトダンス)の子会社の株式1%と取締役会の3つのポストを取得したと報じられました。(米紙ワシントン・ポスト)

過酷な「996」労働も見直し

「午前9時から午後9時まで、週6日出勤」の72時間労働を意味する「996」にも厳しい目が注がれています。アリババ集団やアント・グループの創業者ジャック・マー(馬雲)氏は「996」労働文化を称賛してきました。

「『996』で働けることは幸せなことだ。多くの企業や個人は『996』で働く機会すらない。むしろ誇りに思うべきだ。若い時に『996』をしなければ、一体いつできるのか。他人を超える努力や時間を費やさなければ、自分が望む成功を手にできるだろうか」

しかし中国当局はこのような過酷な勤務体系は違法だと企業に警告しているとBBCは報じています。

労働者には労働に見合った報酬や休憩時間、休みを得る権利があり、国の労働時間を順守することは使用者の義務と強調しています。中国の労働法では1日の労働時間は8時間、1週間の労働時間は44時間が上限とされ、それ以上働く場合には残業代を支払う必要があります。

しかし日本と同じようにサービス残業が横行し、過労死するケースも報告され、十分に法律が守られているとは言えないのが現実です。2019年、「996.ICU(996労働に対する集中治療室)」というサイトが立ち上げられ、月の労働時間は300時間など過酷な労働環境を批判する投稿が多く寄せられました。

「ブラック企業」にはアリババ集団など著名テクノロジー企業も含まれていたそうです。「996.ICU」を通じたアンケートでは、ホワイトカラーでは8割で残業が当たり前になっていたそうです。

米誌フォーブスの長者番付にはジェフ・ベゾス氏(アマゾン)、イーロン・マスク氏(テスラ)、ビル・ゲイツ氏(マイクロソフト)、マーク・ザッカーバーグ氏(フェイスブック)、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン両氏(グーグル)などテクノロジー企業の創業者がトップ10に名を連ねています。

貧困と不正の根絶を目指す国際団体オックスファムによると、世界で最もリッチな1%はボトム69億人(世界人口の87.6%に当たる)の富を合計した2倍以上の富を持っています。ここまで開いた格差を放置しておくと、社会不安の原因になるのは火を見るよりも明らかです。

(おわり)

参考: 「中国で社会的議論になった働き方『996』とは?」(JETRO海外調査部中国北アジア課、清水絵里子氏)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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