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ウィリアム王子とヘンリー公爵 ダイアナ元妃像の除幕式でつかの間の“休戦” 対立は根深く

木村正人在英国際ジャーナリスト
ダイアナ元妃像の除幕を行うウィリアム王子(左)とヘンリー公爵(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

[ロンドン発]ダイアナ元英皇太子妃が生きていれば60歳の誕生日の7月1日、対立が深まるウィリアム王子(39)=王位継承順位2位=とヘンリー公爵(36)=同6位=の2人がそろって最愛の母親を偲ぶ銅像の除幕式を行いました。2人が顔を合わせるのは祖父フィリップ殿下の葬式が営まれた4月17日以来。

「タブロイド」と呼ばれる英大衆紙はどう伝えたのでしょう。

除幕式の生中継はなし

ヘンリー公爵とメーガン夫人から忌み嫌われる大衆紙ですが、エリザベス英女王は毎朝、大衆紙の見出しをチェックして、必要があれば目を通しています。大衆紙は王室と庶民をつなぎ、庶民の目にうつる王室の姿を映し出しているからです。

銅像が設置されたのは、ダイアナ元妃が愛したケンジントン宮殿サンクン・ガーデンです。デーリー・ミラー紙は「僕たちは毎日、お母さんのことを思っているよ――ウィリアムとハリー(ヘンリー公爵の愛称)はプリンセス(ダイアナ元妃のこと)の60歳の誕生日を心から偲ぶために再会した」と報じました。

デーリー・ミラー紙の1面(筆者がスクリーンショット)
デーリー・ミラー紙の1面(筆者がスクリーンショット)

サン紙は「プリンセスと平和」と報じました。ダイアナ元妃の前ではいがみ合っている兄弟も2人の息子に戻り、一緒に最愛の母親に思いを馳せたという意味です。

サン紙の1面(同)
サン紙の1面(同)

デーリー・メール紙は「兄弟はそろったものの、依然として遠く離れたままだ――2人の王子はダイアナ像のために再会した。しかし心と心の触れ合いはなかった」と報じました。

デーリー・メール紙の1面(同)
デーリー・メール紙の1面(同)

しかし除幕式の様子はテレビで生中継されませんでした。7月19日にコロナ規制が全面解除されるイギリスですが、スポーツイベントなどを除いて屋外での集まりは30人に制限されています。

兄弟の対立が原因で除幕式を縮小

デーリー・メール紙の王室担当編集者レベッカ・イングリッシュ氏は生中継されなかった理由をこう書いています。

「チャールズ皇太子は式典に出席しませんでした。式典は大規模な祝賀会ではなく、“プライベートイベント”に変更されました。除幕式を縮小する動きは主に兄弟の感情的な対立と、メディアの報道を管理するというハリーの決意によるものでした。除幕式が終わってヘンリー公爵が去った後に放送されました」

ヘンリー公爵は式のわずか15分前の午後1時45分ごろに到着し、彼がケンジントン宮殿を去った午後3時半すぎにプール取材の映像や内容が解禁されました。除幕式にはダイアナ元妃の姉2人や弟が参加しましたが、王室からはウィリアム王子とヘンリー公爵の2人。2人が一緒に発表する姿は放送されませんでしたが、発表資料にはこう書かれています。

〈ウィリアム王子とヘンリー王子は「今日、母が生きていれば60歳の誕生日。私たちは彼女の愛、強さ、性格を覚えています。それは母が世の中のために尽くし、数え切れない人生をより良いものにした資質です。毎日、母が私たちと一緒にいてくれたらと思います。この像が母の人生と遺産の象徴として永遠に見られることを願っています」と話した〉

「言論と報道の自由」をいの一番に掲げるアメリカで「表現の自由」をこき下ろして顰蹙(ひんしゅく)を買ったヘンリー公爵のメディア嫌いもここまで来ると異常です。

ダイアナ像を制作したイギリスの彫刻家イアン・ランク・ブロードリ氏は「ダイアナ元妃は世界中のアイコンだったので、ウィリアム王子とヘンリー王子と一緒に彼女の人生を記念する銅像の制作に取り組むことができて光栄でした。銅像やサンクン・ガーデンを訪れ、プリンセスのことを思い出して楽しんでいただければ幸いです」と話しています。

カインとアベルになった2人の王子

2人はダイアナ元妃の死から20周年を迎えた2017年、母親の銅像の制作を依頼しました。しかし2人の間の溝が次第に大きくなり、除幕式が大幅に遅れてしまいました。発端はヘンリー公爵が米女優だったメーガン夫人と交際を始めたことでした。

ヘンリー公爵とメーガン夫人の王室離脱の内幕を描いた暴露本『自由を求めて ハリーとメーガン 新しいロイヤルファミリーを作る』によると、メーガン夫人と交際を始めたヘンリー公爵に対してウィリアム王子は「この女の子を理解するために必要なだけ時間をかけて」と忠告しました。ヘンリー公爵は「この女の子」という表現は軽蔑的だと感じたそうです。

この事件以降、ヘンリー公爵はウィリアム王子を違う世界に住む人間と感じるようになり、「気取り屋」と呼ぶようになります。

一方、ウィリアム王子は、メーガン夫人がケンジントン宮殿から秘書2人を追い出すために行った精神的ないじめに激怒したと報じられています。そのあとヘンリー公爵とメーガン夫人はロンドン郊外ウィンザーの邸宅フロッグモア・コテージに引っ越します。このときメディアはメーガン夫人とキャサリン妃の女性同士のケンカと思っていたのです。

英王室を完全離脱したヘンリー公爵とメーガン夫人が米人気司会者オプラ・ウィンフリー氏のインタビューに、生まれてくる長男アーチーちゃんの「肌の色」を巡る人種差別が英王室内にあったと告発したことで、ウィリアム王子とヘンリー公爵の関係は完全に破綻します。2人は今や、憎しみ合う兄弟「カインとアベル」の関係です。

ダイアナ元妃が生きていれば2人の関係を非常に悲しんだでしょう。ダイアナ元妃はヘンリー公爵にウィリアム王子の「ウィングマン(そばで支える人)」になることを望んでいたからです。

メーガン夫人の登場で幕を開けた「スペアの悲劇」

ウィリアム王子とヘンリー公爵の対立を描いた『兄弟の争い』の著者であるロバート・レイシー氏は、ヘンリー公爵は4歳の時、6歳のウィリアム王子に向かって「兄さんはいつか国王になる。僕はならない。だから僕はやりたいことができる」と言い争いになったエピソードを英紙タイムズに紹介しています。

21歳になったヘンリー公爵はウィリアム王子より先にサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業しました。自分に敬礼しないウィリアム王子に、ヘンリー公爵は「ここは軍隊であり、私に敬礼をする必要がある」と不満を懐きます。王室ウォッチャーにはヘンリー公爵はメーガン夫人にそそのかされて変わったという人が多いのですが、兄弟2人の対抗心は明らかです。

ヘンリー公爵はウィリアム王子に何かあった時の「スペア(代わり)」です。ウィリアム王子とキャサリン妃の間にジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子が誕生し、ヘンリー公爵はだんだん自分だけが置いていかれることに焦燥感を膨らませていたのかもしれません。

ジョージ王子はUEFA欧州選手権(ユーロ2020、コロナ危機で1年延期して開催)イングランド対ドイツ戦をウィリアム王子とキャサリン妃と観戦して注目を集めました。ヘンリー公爵とメーガン夫人の長男アーチーちゃんと長女リリベットちゃんはチャールズ皇太子が即位するまで王子と王女の称号が与えられません。

このことがヘンリー公爵の不安と不満をさらにかき立てたようです。ヘンリー公爵の怒りは、自分からすべてを奪い去ろうとしているように見えるチャールズ皇太子とウィリアム王子に向けられています。ヘンリー公爵の怒りの炎に油を注いでいるのがメーガン夫人という構図です。

ウィリアム王子とヘンリー公爵の対立は、ヘンリー公爵とメーガン夫人への関心が薄れるまで当分収まることはないと筆者は思います。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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