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10カ月のワープスピードを実現したファイザーの遺伝子ワクチンとは バイオテクノロジーは新時代を迎えた

木村正人在英国際ジャーナリスト
新型コロナ感染症 ファイザーがワクチン効果9割超と発表(写真:ロイター/アフロ)

コードブレーカー(暗号解読者)

[ロンドン発]第3相試験の中間分析で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)予防に90%以上有効という結果が出た米製薬大手ファイザーと独バイオ医薬ベンチャー、ビオンテックのワクチン(BNT162b2)は研究開始からわずか10カ月足らずという“ワープスピード”を達成し、これまでの常識を覆しました。

来年3月に出版される『コードブレーカー(暗号解読者):ジェニファー・ダウドナ、遺伝子編集、そして人類の未来』の著者で、米テューレーン大学のウォルター・アイザックソン教授は米紙ワシントン・ポストへの寄稿で「遺伝医学の奇跡」「バイオテクノロジーの新時代」と表現しています。

米カリフォルニア大バークリー校のダウドナ教授(56)は独マックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長(51)とともにゲノム編集技術を開発し、2020年のノーベル化学賞を受賞しました。

新型コロナウイルス・ワクチンの開発でもウイルスの遺伝暗号を解読し、スパイクタンパク質をつくる設計図となるメッセンジャーRNA(mRNA)を生成することが大きなカギでした。今年のノーベル化学賞は文字通り「バイオテクノロジーの新時代」の到来を象徴する受賞となりました。

8月初旬、アイザックソン氏は非常に有望な結果が報告されたばかりのファイザー・ワクチンの臨床試験に参加しました。ワクチンは人の免疫システムを刺激することによって機能します。従来は危険なウイルスを弱毒化したり(生ワクチン)、完全に殺したり(不活化ワクチン)して使用してきました。

しかし「mRNAを使うファイザー・ワクチンの成功は、新型コロナウイルス・パンデミックが発生した2020年が、従来のワクチンが遺伝子ワクチンに取って代わられた年として記憶されることを意味しています」とアイザック氏は指摘しています。

ファイザーのmRNAワクチンの仕組み

ファイザー・ワクチンの仕組みを同社の資料から見ておきましょう。

ファイザーの広報資料より
ファイザーの広報資料より

(1)新型コロナウイルスは表面に他のウイルスとは異なる「王冠(コロナ)」のような突起(スパイク)を持っています。この突起はスパイクタンパク質から成り、標的となる細胞表面の受容体(レセプター)結合と細胞侵入の中心的な役割を果たしています。まずスパイクタンパク質をつくる遺伝子配列を解読し、ヒトの細胞にスパイクタンパク質をつくらせる設計図となるmRNAを生成します。

(2)生成されたmRNAを封入した脂質ナノ粒子(LNP)はヒトの細胞に指令を送り込む「配達用乗り物」として使われます。

(3)いったんmRNAを封入したLNPがヒトの細胞の中に入ると、細胞機構はmRNAの設計図に従い、ウイルスのスパイクタンパク質をつくります。その結果、ヒトの免疫システムを刺激します。

(4)ファイザーとビオンテックはこうした仕組みを使った4つのワクチンをつくり、安全性と有効性、免疫反応は十分かを調べる臨床試験を開始しました。

著書『二重らせん』を探偵本と最初、思ったダウドナ氏

「遺伝暗号の知識がデジタルコーディングと同じくらい重要になり、分子が新しいマイクロチップになるというバイオテクノロジー革命の驚くべき奇跡だ」。アイザックソン氏が臨床試験に参加した理由の一つは「CRISPR(クリスパー)」として知られる遺伝子編集ツールの本を書くためでした。

アイザックソン氏によると、今年のノーベル化学賞共同受賞者ダウドナ氏は小学6年生の時、家に帰るとベッドの上にDNAの二重らせん構造を発見し、ノーベル医学・生理学賞を共同受賞したジェームズ・ワトソン氏の著書『二重らせん』が置かれていました。父親からのプレゼントでした。

最初は探偵の話と思い放ったらかしにしていました。数週間後、土曜日の雨の日、本を開いたとたん、生命の謎を解き明かそうとする研究者たちの人間ドラマの面白さに取りつかれました。高校の進路カウンセラーは女の子は科学者にはなれないと忠告しましたが、ダウドナ氏は科学者の道を選びました。

ダウドナ氏が研究したのがCRISPRというタンパク質。バクテリアは10億年以上にわたってCRISPRを使ってウイルスと戦ってきました。バクテリアはウイルスに攻撃された時、ウイルスの遺伝暗号を少しだけ覚えられます。そのおかげでウイルスが再びやって来ても撃退することができるのです。

この仕組みを使って人類は幾度のパンデミックに見舞われても生き延びることができました。ダウドナ氏とシャルパンティエ氏は協力してCRISPRをCas9(キャス9)酵素と組み合わせるとDNAを切断できることを突き止めました。

ゲノム編集技術は鎌状赤血球症など遺伝子疾患やがん治療に使用されてきました。しかし中国・南方科技大学の賀建奎・元副教授は2017~18年にかけ、カップルの受精卵にゲノム編集技術を適用、遺伝子を改変した人間の赤ちゃんを誕生させ、激しい論争を巻き起こします。

「すべての子孫がウイルスに免疫を持つよう編集できるとしたら? 遺伝子疾患の治療に使うのはどう? 生まれてくる子供の髪の色や目の色を選んだり、運動能力や知能指数を高めたりするのはどう?  ダウドナ氏らのゲノム編集技術は多くの道徳的な問題を提起しています」とアイザックソン氏は言います。

ワシントン・ポスト紙への寄稿を同氏はこう締めくくっています。

「RNAワクチンについての素晴らしいニュースは、それらが簡単に再プログラムできるということです。COVID-19を克服した後も、新しいウイルスがやってくるでしょう。その時、新しい脅威を標的とするワクチンを作るために新しいRNA配列をコード化するのにほんの数日しかかかりません」

「RNAで作られたツールは遺伝物質を編集することと簡単に再プログラム可能なワクチンを考案することの両方を可能にします。数十億年前に地球上に生命を生み出したRNAがバイオテクノロジーの新時代に新しい命を与えたのです」

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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