[ロンドン発]新型コロナウイルスによる「学びの空白」を埋めるため急浮上した「9月入学」。現在、俎上に上っているのは(1)小学校6.5年制方式(ゼロ年生案)(2)段階的移行方式(3)一斉移行方式の3案です。保育所待機児童や教員不足などの影響はどうなのでしょう。

英オックスフォード大学の苅谷剛彦教授や岡本尚也一般社団法人Glocal Academy (グローカルアカデミー)理事長(物理学博士)ら7人の研究チームが、9月入学の教育・保育への社会的影響を分析した報告書の「改訂版」をまとめました。「改訂版」を見てみましょう。

文部科学省が示す3案とは――。

(1)6.5年制方式

9月を年度開始月とし 6.5年間を小学校の在学期間とし、4~9月の期間を「ゼロ年生」として扱う。文科省が急遽提出。1学年の対象者は現学年制と同じ 4月2日~翌年4月1日生まれ。

(2)段階的移行方式

1年ではなく13カ月分の児童を1学年とし、5年かけて9月入学に対応、移行させていく。初年度の対象者は2014年4月2日~15年5月1日生まれ。次年度は15年5月2日〜16年6月1日生まれと、1カ月ずつ段階的に移行させていく。

(3)一斉移行方式

来年のみ2014年4月2日~15年9月1日生まれの17カ月分の児童を新小学1年生とし、翌22年以降は9月2日~翌年9月1日生まれを1学年とする。

苅谷教授らの報告書「改訂版」より抜粋
苅谷教授らの報告書「改訂版」より抜粋

それぞれについて保育所待機児童、学童保育待機児童、教員不足、予算について苅谷教授や岡本理事長らの研究チームが分析した結果が上の一覧表です。

【保育所待機児童】

保育所待機児童については「6.5年制方式」なら新たな待機児童は発生しません。「一斉移行方式」なら初年度の2021年に全国で26.5万人の待機児童が発生しますが、22年以降は解消。「段階的移行方式」の場合、21年に26.5万人の待機児童が発生、22年には15万6830人、23年には5万2989人、24年以降は解消する見通しです。

「一斉移行方式」で生じる待機児童数は大都市圏ほど多く、大阪が最多で2.5万人、神奈川2万人、兵庫1.6万人、東京、福岡が各1.4万人となりました。

【学童保育待機児童】

「6.5年制方式」なら2021年以降、毎年4~8月の間、39万2981人の追加利用者が生じる見込み。「段階的移行方式」では21年に6282人増加し、移行後は減少。「一斉移行方式」の場合は新たに13万586人の待機児童が発生し、移行後は徐々に減少します。

【教員不足】

「6.5年制方式」では4~8月の5カ月間、7学年となるため6万6400人の教員が不足。直近5年間で小学校教員採用試験の総受験者数が5万5000人を超えた例はなく、教員の確保が大変です。東京5761人、大阪4455人、神奈川4119人、愛知3883人です。

「段階的移行方式」なら追加の教員不足は発生しません。「一斉移行方式」では教員の不足は21年度のみで2万1800人。

【予算】

「6.5年制方式」ならかなり少なく見積もって3215億円、「一斉移行方式」の場合は2050億円。「段階的移行方式」では 2017 年ベースで333億円の増加にとどまります。

【所得と税収】

9月入学に伴い、高校や大学の卒業時期を2021年3月から8月に後ろ倒しした場合、21年4月に就職予定だった人たちが5カ月分の収入を得られなくなってしまいます。

これによって失われる所得総額は5カ月分で約7157 億円。これによって失われる国の直接税・間接税は5カ月分で約876億円。何の対策も講じられない場合、こうした放棄所得と逸失税収は毎年発生します。

「政策立案は客観的なデータに基づいて」

岡本理事長は筆者にこう説明します。

「繰り返しになりますが、もともと賛成・反対という立場をとって推計を行ったわけではありません。すぐに考えつく影響を定量的にみてみようということで始めました。使用したデータは全て省庁から公開されているものだけです」

「今回出された3案を現状のもとに分析すると、小学校もしくは保育に影響が出ます」

「“6.5年制方式”の場合、小学校に過剰に児童が在籍することになるため保育所の負担はなくなりますが、小学校児童の居場所である学童保育に大きな負担が生じます。また大きな教員不足や施設不足が発生します」

「“段階的移行方式”の場合は、保育に一時的に多く児童が在籍し、その過剰分を徐々に小学校へ移行していくことになるため、移行期間の初期は保育所への負担が大きくなりますが、教育への影響は小さい」

「“一斉移行方式”では、9月入学までの期間は保育所が児童の居場所となるため、保育所に待機児童が生じます。入学後はその居場所が小学校となるため学童保育に待機児童が増加します。1学年が非常に多くなるため教員不足が大変深刻になります」

「報告書にもあるようにいずれの案も教育・保育に負担がかかり、同時に解決するのが難しいトリレンマのような状況になっています」

「折衷案のような複雑な移行案を保育と教育への負担が小さくなるように設計しても、都道府県ごとによって教育と保育の状況が全く異なります。例えば教員採用試験の倍率に関して最高の高知と最低の北海道で3倍以上異なります」

「このため、そのしわ寄せは都道府県に行きます。私の住む鹿児島の場合、教育には余力がありますが、保育には余力があまりないため保育所待機児童問題が生じる恐れがあります」

「9月入学の実質的なメリットは就学時期を早めることによる保育面の負担と就学前教育の格差を埋めることです。保育所の7割以上は私立であるため、就学前教育に家庭の影響が強く出ます」

「こうした格差を埋めることや、欧米の大学と入学時期がそろうことにごく一部の大学には利点があります」

「本気で9月入学の導入を行うのであれば人口減が進む5年後くらいに就学時期を早める形で保育所や教員確保、就職や入試の問題などに対する準備期間を十分確保した上で行うとデメリットを最小化することができると今回の分析を通して感じました」

「少なくとも新型コロナウイルスの流行に対応するために省庁・教育委員会などが追われている中で拙速に行えることではないのではないかと思います」

「政策立案や国民の世論形成に当たって客観的なデータがその基にあることを望みます。最終的には責任ある政治の判断になります。その過程においては誰が言っているかではなく、学者やシンクタンク、省庁が可能な限り客観性の高いデータを提示し、メディアがそれを国民に届けて、それぞれが判断して欲しいと考えています」

9月入学問題とは

2 月 27 日、安倍晋三首相が全国の学校の臨時休校を要請し、3月上旬から多くの学校が休校に入りました。こうした教育機会の喪失やそれによる教育格差の問題を解消する“魔法の杖”であるかのように登場したのが先進国のグローバルスタンダードである「9月入学」です。

9月入学については東京都の小池百合子知事が「教育システム、社会システムを変えるきっかけにすべきだ」と前向きな姿勢を見せ、大阪府の吉村洋文知事も今年から全国で9月入学制を導入するよう国に要請する考えを表明しています。

安倍首相も「9月入学も有力な選択肢の1つであり、前広に検討していきたい。大切なことなので、拙速な議論は避けなければならず、しっかりと深く議論していきたい」と述べています。政府は6月上旬をメドに来秋からの9月入学について論点整理する方針です。

岡本尚也(おかもと・なおや)氏

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一般社団法人Glocal Academy理事長、物理学博士。1984 年鹿児島県生まれ。慶應義塾大学理工学部卒、同理工学研究科修了後、ケンブリッジ大学で物理学博士号取得。その後、オックスフォード大学で日本学修士号を取得する。

研究的手法を用いて社会や学術における諸課題を解決することを目的とし、後進の育成やそうした課題に取り組む個人及び企業・団体を支援している。2018年米国務省事業、インターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラムのメンバー。

(おわり)

参考:「9月入学」の根拠は? 保育所待機児童16倍、学童保育待機児童10倍、教員2.8万人不足