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小池知事「東京ロックダウン」発言 あなたも3週間後の近未来に備えよ 封鎖されたミラノからの伝言(上)

木村正人在英国際ジャーナリスト
日本人にも知ってもらうためにミラノ日記を綴ってくれたボルピさん(本人提供)

東京封鎖の可能性は?

[ロンドン発]東京都の小池百合子知事が23日の記者会見で「ロックダウン(都市封鎖)など強力な措置を取らざるを得ない状況が出てくる可能性がある」と発言したため、ネット上で不安や戸惑いが広がっています。筆者の暮らすイギリスも同日夜からロックダウンが発動されました。

世界の感染者は瞬く間に40万人を突破。英紙ガーディアンが現在、自宅待機になっているのは17億人と報じたすぐあとに、人口13億3900万人のインドも3週間のロックダウンを命じました。世界中で30億人以上が自宅に留まっています。

新型コロナウイルスで中国を上回る死者6820人を出した欧州のエピセンター(発生源)イタリア。北部ロンバルディア州ミラノで暮らすイタリア人女性セレーナ・ボルピさんに「ロックダウン」になってからの日々を綴ってもらいました。

東京もロックダウンの心づもりをしておいた方が賢明かもしれません。ボルピさんの日記を読むと、私たちも2~3週間後の未来を想像して生きなければならないようです。

3月8日、日曜日

昨夜、ジュゼッペ・コンテ伊首相は私が住んでいるロンバルディア州の完全なロックダウンを宣言しました。ベネチアを含む周辺の14地域も同様に封鎖されました。

ロックダウンされ、誰もいない通り(ボルピさん提供)
ロックダウンされ、誰もいない通り(ボルピさん提供)

今日までの2週間は学校、大学、ジム、スイミングプール、映画館、博物館の閉鎖があったものの、カフェ(夕方からは大衆酒場になる)は午後6時まで営業され、レストランは顧客間に1メートルの距離を設けることで夜間営業が許されていました。

しかし新型コロナウイルスの感染者数がどんどん増える中、より人の接触を制限する動きに出ました。営業が許されるのはスーパーマーケットや薬局のみで、生活に最低限必要な物やサービスにしかアクセスできない状態になりました。

もちろん移動も制限されます。そこで多くの人々が昨夜、南部にある家族の家を目指してミラノの主要駅へ走りました。これは予期されていなかった動きで、止める人は誰もいませんでした。他の多くの人は車でミラノを脱出したと思います。

家族のもとに戻りたい気持ちは分かります。しかし今ここで新型コロナウイルスの感染が爆発的に広がり、国内で最悪の状態です。自分が病気にかかっているかどうか分からないまま南部の家族のもとへ向かうのは無責任極まりない行為だと思いました。

感染リスクを、愛する家族だけでなく、まだ数えるほどしか発生していない地域に持ち込むことになるからです。

3月9日、月曜日

今日、政府はロックダウンがイタリアの他の地域にも及ぶことを発表しました。地域限定の「レッド(封鎖)ゾーン」はもうありません。国全体が封鎖対象になったからです。

南部の州知事と市長はイタリア北部から移動してきた人々に対して、地元の保健当局に報告し、必要に応じて14日間自己隔離するよう求めています。

人々は食料不足になるのを心配して、スーパーマーケットに群がり始めました。この現象はロックダウンの2週間前から始まりましたが、今は少数の人々しか同時にスーパーマーケットに入ることができなくなったため、店の外には長い列ができています。

距離を置いて並ぶため長い行列ができたスーパーマーケット(ボルピさん提供)
距離を置いて並ぶため長い行列ができたスーパーマーケット(ボルピさん提供)

私はまだマスクを着用していません。数週間前まで、イタリアでは誰もマスクを着けていませんでした。日本では風邪やインフルエンザにかからないようにマスクをするようですが、イタリアにはそんな習慣はありません。

私は世界保健機関(WHO)のアドバイスに従います。他の人から少なくとも1メートルの距離を保ち、頻繁に手を洗い、消毒ジェルを使用し、顔をさわらない。

WHOのサイトには、マスク使用は実際に病気にかかっている人のみが対象(幸運にも私は病人ではなく、ここ数カ月、風邪を引いたこともありません)、あるいは病人の看護をする人のためのものと説明されています。

「マスクは売り切れ」という張り紙を出した薬局(ボルピさん提供)
「マスクは売り切れ」という張り紙を出した薬局(ボルピさん提供)

このところイタリアでもマスクの需要が高まりました。そのため医療の現場で一番それを必要とするスタッフにも回らない状態です。ほとんどの薬局で売り切れてしまい、ある友人はネットで10個入りを150ユーロ(約1万8000円)で購入したそうです。

友人はとても性能が良いと言いますが、150ユーロはいくら何でも高過ぎます。とにかく2~3日前までは通りではマスクをしているのは普通ではありませんでした。今はマスクを着けていないと怒りの表情で見られます。

たとえマスクとプラスチックの手袋をしていてもタバコを吸いだそうものなら…。どんな表情でにらみつけられるのでしょう。

マスクを着用するボルピさん(本人提供)
マスクを着用するボルピさん(本人提供)

3月10日、火曜日

今日からサッカーのセリエAが全試合中止となりました。再開予定は追って通知、つまり未定です。彼らはこの数週間、いくつかの試合を延期したり無観客試合にしたりしながら検討してきました。サッカーはイタリアで最も人気のあるスポーツ。

他の全てのスポーツがセリアAのあとに続くでしょう。この決定は理にかなっていると思います。スポーツにおいて、感染を広げないようにお互い必要な距離を取ることは無理だからです。

日曜日のユベントス対インテル・ミラノ(私のひいきのチーム)の試合は一度延期された後、無観客で行われました。最も熱狂的な“ウルトラサポーター”は、試合前日ロンバルディア州のアッピアーノ・ジェンティーレにあるインテルの練習場前に集まりました。

当局が、人が集まることを規制しているにもかかわらずです。

3月11日、水曜日

85歳の母が咳をし続けているので、かかりつけ医(GP)に電話をかけました。私は、父と母のフラットのすぐ上の屋根裏部屋に住んでいます。ここ数日、母が咳き込んでいるのをよく聞きました。

ボルピさんの両親(ボルピさん提供)
ボルピさんの両親(ボルピさん提供)

母はこの2、3年、呼吸器疾患に苦しんでいます。おそらく高血圧に関連しているので、これがいつもの咳と異なるかどうかを判断するのは難しいです。

両親が新型コロナウイルスに最も弱いグループに属するので、日々の生活でも距離をとることを実践しています。2人のフラットには薬局かスーパーに行く時しか寄りません。部屋に入っても距離を取って絶対に近づきません。長く話したい場合は電話します。もちろんハグ(抱擁)やキスはもってのほかです。

ボルピさんの母親。感染予防のため近づけない(ボルピさん提供)
ボルピさんの母親。感染予防のため近づけない(ボルピさん提供)

日曜に久しぶりに顔を見せた兄には頭にきました。兄はその前日飛行機に乗ったにもかかわらず、母にグッド・バイのキスをしたのです。

ここ北部では、イタリアの他の地域(特に中部と南部)に比べて感情表現が少ないと言われます。とは言え握手、抱擁、キスは、友人や家族間で普通に行われます。

誰かがテレビで言っていました。今は人の間に距離を取ることが、近さを示す、と。不確実性の時代に生まれた親密度と愛情を測るモノサシだと。

母はどこも悪くない、大丈夫だと言い張るのですが医者を呼びました。かかりつけ医が両親宅を訪問し、父は大丈夫だったのですが、母は熱もあり咳も出ています。医者の診断は気管支炎だろうということで抗生剤を処方されました。

今夜になって熱が下がり始め、診断は正しかったようです。新型コロナウイルスであれば抗生剤は効いていませんでした。

3月12日、木曜日

誰もいなくなった公園(ボルピさん提供)
誰もいなくなった公園(ボルピさん提供)

昨日、フィレンツェの人類学の学生のために最初の講義を録音しました。実際、彼らはフィレンツェにはもう居ません。最初の新型コロナウイルスのアウトブレイク(爆発的発生)があった時、本国の大学に呼び戻されました。

生徒の大半がアメリカからで、彼らにとっては健康保険でも旅行保険でも(新型コロナウイルスにかかった場合)状況的に問題があり過ぎました。

さらにアメリカはイタリアを渡航リスクのレベル3に引き上げました。これはアメリカ国民がイタリアに旅行できないことを意味し、ここにいるアメリカ人は即刻、帰国を求められます。

一方、ドナルド・トランプ米大統領は「新型コロナウイルスはデマ、または少しきつめの風邪程度」とアメリカのテレビで言っています。海外に滞在するアメリカ人には重大事のように対処したのに国内向けには正反対の口ぶりです(アメリカでは3月19日以降、移動制限措置をとる州が相次ぐ)。

流行が始まった時、職を失うことを本当に心配しました。私が住んでいる地域で始まって、フィレンツェの大学に教えに通うことが困難になったからです。流行が私の地域だけにとどまっていれば、大学の研究所は間違いなく代わりの教員を探したでしょう。

しかし、感染はイタリア全土に広がり学生は全員帰されました。約7000人の留学生が去り、観光客もいなくなったフィレンツェの街は様相がすっかり変ってしまいました。

現在私が働いている研究所は空っぽです。新しいロックダウンは、学校や大学の閉鎖をイタリア全土に広げました。全ての教員が自宅で働くよう求められ、私は自分の講座を続けられます。ホッとしました。私の生徒たちがメールをくれましたが大概同じような話です。

「本当は留まりたかったが、半ば強制的に出るしかなかった。それが留学の条件だったから」という内容です。遠隔授業の準備を大急ぎでしました。アメリカの大学も閉じて行くのが分かりました。プログラムを大学経由でアップしてゆくのが次第に難しくなっていったからです。みな境遇は同じ、つながっていることを肌で感じました。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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