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難病患者の医薬品すでに不足「合意なき離脱」で死亡率は上昇 死体収めるボディバッグを備蓄する英国

木村正人在英国際ジャーナリスト
「合意なき離脱」で死亡率が上昇するため英国ではボディバッグが備蓄されている(写真:ロイター/アフロ)

命が危険にさらされるリスク

[ロンドン発]英国の神経内科医デービッド・ニコル氏は欧州連合(EU)からの「合意なき離脱」に備える政府の非常事態計画「イエローハンマー(スズメ目ホオジロ科のキアオジ)作戦」に協力しました。そして今「合意なき離脱」がもたらす深刻な生命リスクを告発しています。

ツイッターで「『合意なき離脱』は神経内科の患者にとって安全ではない」と訴えています。英BBC放送の人気TV番組に出演し、「政府は『合意なき離脱』によって死亡率が上昇した場合に備えてボディバッグ(遺体を収める納体袋)を備蓄しています」と証言しました。

ニコル氏は今年2月に政府に対して警告を発したスティーブン・ハモンド前保健担当閣外相のことを「隠れた英雄」と称賛しました。そのハモンド氏は保守党の党議拘束に逆らって「合意なき離脱」を阻止する法案に賛成したため、党籍を剥奪されてしまいました。

「『合意なき離脱』を支持している人たちは彼らが受け入れなければならない害がどのレベルなのか理解する必要があります」とニコル氏は強調しています。

難病患者の医薬品は半配給制に

先天的に脊椎骨が形成不全となって起きる二分脊椎症(にぶんせきついしょう)の娘を持つ父親は同じ番組の中で「『合意なき離脱』の影響を緩和する備蓄策のため娘の薬の供給不足はすでに始まっています。半分、配給制になると聞かされています」と不安を訴えました。

ハモンド前保健担当閣外相は今年2月、保守党の下院議員に書簡を送りました。民放ITVのロバート・ペストン政治部長は当時、この書簡についてツイートしています。それによると――。

「英国がEUを離脱した後、医薬品、医療用放射性同位元素、ワクチン、血液製剤、デバイス、包帯や注射器などの医療用消費財を含むすべての医薬品・医療機器の供給を維持することが不可欠になる」

「保健・社会福祉省は政府横断的に医療セクター、寸断される恐れのあるすべてのサプライチェーンの関わる産業のパートナーと協力している。これはわが省がそんな寸断を予期しているということではないものの、政府はすべての離脱シナリオに備えている」

「不可欠な製品の供給が妨げられないことを確実にする非常事態計画はEUから英国に供給されているボディバッグを含むデバイス、医療用消費財に関する重要な戦略を含んでいる。その代表的な例はサプライヤーによる非常時の備蓄です」

毎月3700万パックの医薬品がEUから英国に輸入されています。英国民医療サービス(NHS)は医薬品の供給が不足するのを防ぐための最悪シナリオに備えてきました。政府とNHSは「作戦即応センター」と呼ばれる「戦争室」を設置し、薬品業界は6週間の医薬品を備蓄しています。

世界最大の冷蔵庫の購入者に

英大衆紙デーリー・ミラーによると、マシュー・ハンコック保健・社会福祉相はマーストリヒトから輸入しているがん治療用アイソトープのような寿命の短い医薬品を運ぶ飛行機をチャーターしています。

ハンコック氏は、重要な医薬品の保管施設を整えた後、世界最大の冷蔵庫の購入者になったとミラー紙に主張しました。NHSスタッフはシステム全体の供給不足を避けるため、患者に個人的に医薬品を備蓄しないように促すことを指示されているそうです。

英日曜紙サンデー・タイムズがスクープした「イエローハンマー作戦」によると、医薬品や医療危機のサプライチェーンはドーバー海峡に大きく依存しています。医薬品の4分の3は海峡経由です。

「合意なき離脱」の1日目、医薬品の流通量は最悪の場合40%に下がり、深刻な混乱は最大6カ月続く恐れがあります。

寿命が短い医薬品もあり、6カ月分を備蓄する計画は実際的ではないと警鐘を鳴らしています。「合意なき離脱」は伝染病がアウトブレイクした時の英国の対策能力を減じることは避けられません。

同紙がスクープした別の記事によると、NHSは10月31日に「合意なき離脱」になった場合、「これまでで最大の脅威」に備えるよう警告を発しています。

NHSイングランドの内部文書では統合失調症、双極性障害、てんかん、慢性疼痛状態の三叉神経痛などの医薬品は備蓄できませんでした。

すでに深刻な医療危機に陥っている英国

2017年12月には英国赤十字社が「NHSイングランドの病院や診療所が混雑し過ぎて適切な医療を受けられない」「人道的危機だ」と警鐘を鳴らす事態に陥ったことがあります。

イングランド西部ウスターシャー州にあるNHS病院で、通路のストレッチャーに載せられていた患者2人が死亡。この病院ではクリスマスからニューイヤーにかけ最大54時間待ちになっていたと言われています。

1人は35時間待たされた挙句、心停止。動脈瘤を患うもう1人は最終的に治療を受けることができましたが、亡くなってしまいました。

NHSでは毎年、サプライチェーンに問題が生じる医薬品が1つか2つはあるそうです。「合意なき離脱」になった場合、NHSの繁忙期が始まる時期にはるかに大規模な寸断がもっと多くの医薬品について発生する恐れがあります。

「合意なき離脱」の最悪シナリオでは軍隊が出動して医薬品を運ぶ事態も想定されています。しかし、それでも十分ではありません。

ジョンソン首相は「離脱の不都合な真実」を語れ

英国がEUから離脱しさえすれば生産性が劇的に向上し、繁栄の未来が約束されているという強硬離脱派の主張は何の根拠もないデタラメです。

3年前の国民投票でボリス・ジョンソン首相は「英国が毎週EUに払っている3億5000万ポンド(約459億円)をNHSに取り戻せ」とウソをついて離脱派を勝利に導きました。

NHSイングランドの医師や看護師ら医療スタッフ6万5000人の5.5%は他のEU加盟国からやって来ています。全体の13.1%は外国籍です。英国の医療は英国一国ではもはや成り立たないのが現状です。

「合意なき離脱」で医薬品の供給が寸断し、供給不足に陥ったらどうなるのでしょう。

経済より主権こそが大事なのだと都合の良いウソを言いふらし、英国を「合意なき離脱」に導こうとするジョンソン首相は「離脱の不都合な真実」を国民に対して語らなければならないと思います。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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