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英次期首相は10月末離脱を約束するジョンソン氏当確 EU国民投票から3年 主権主義に取り憑かれた英国

木村正人在英国際ジャーナリスト
英国の次期首相当確のボリス・ジョンソン前外相(昨年秋の党大会で筆者撮影)

カギ握る30人の最強硬派

[ロンドン発]英国が52%対48%で欧州連合(EU)からの離脱を選択した運命の国民投票から23日でまる3年を迎えます。EUとの離脱交渉は難航、離脱期限だった3月29日には離脱できず、テリーザ・メイ英首相は責任を取って与党・保守党党首を辞任しました。

今、次の首相を決める保守党の党首選が行われています。英国は新たな離脱期限である10月31日までに無事、EUを離脱できるのでしょうか。英国、EU双方で強硬論が強まる中、奇跡でも起こらない限り、ウィンウィンの関係を築いて軟着陸するのは難しいでしょう。

保守党の党首選には10人が立候補。20日、候補者を2人に絞り込むため4回目と5回目の議員投票が行われ、大本命のボリス・ジョンソン前外相(55)と対抗馬の知日派ジェレミー・ハント外相(52)が約16万人の党員投票にコマを進めました。

保守党党首選下院議員投票の結果(筆者作成)
保守党党首選下院議員投票の結果(筆者作成)

党員を対象にした世論調査ではジョンソン氏が62%(保守党支持者のサイト、コンサーバティブホームの世論調査)で、11%のハント氏を大幅に引き離しており、「ジョンソン首相」が7月下旬(党員投票の締め切りは同月22日)に誕生する見通しです。

ハント氏の主張はメイ首相と代り映えせず、逆転するのは難しいでしょう。

下院を停会させても10月31日に「合意なき離脱」を実現すると息巻いていた最強硬派のドミニク・ラーブ前EU離脱担当相は最大でも30票しか集められず、2回目の下院議員投票で脱落。が、この30人がEU離脱交渉を脱線させ、メイ首相を辞任に追い込んだだけに要注意です。

面白い話をデッチ上げる「無責任男」

英名門イートン校、オックスフォード大学で学んだジョンソン氏はデービッド・キャメロン前首相より2歳年上。2008年からロンドン市長を2期8年務め、16年6月の国民投票では「ブリュッセルから主権を取り戻せ!」とEU離脱キャンペーンの先頭に立ちました。

ロンドン市長に初当選したとき、筆者はジョンソン氏の自宅を朝駆けしたり、その後も、何度も記者会見で質問したりしました。ボサボサの金髪で自転車を乗り回し、小太りな風貌(現在は減量中)で周囲を笑わせる、エリート臭を全く感じさせない気さくな人です。

12年のロンドン五輪・パラリンピックではワイヤー滑降を試みて無様に宙吊りになった「政界の道化師」。しかし、英紙タイムズの見習い時代に、退屈な記事を面白くするため談話をでっち上げて解雇されたことがある典型的な「無責任男」です。

外相時代には、休暇中にイランで拘束されたイラン系英国人女性について「(休暇ではなく)ジャーナリストを訓練していた」と発言し、謝罪しました。この女性は今もイランで拘束されており、現在、在英イラン大使館前でハンガーストライキを行っている夫は「ジョンソン氏が首相になったら国家安全保障の潜在的なリスクになる」と批判しています。

保守系紙デーリー・テレグラフのブリュッセル特派員時代から得意の諧謔(かいぎゃく)精神を発揮して「カタツムリが魚だって」「ソーセージやチップスにも規制」とEUの前身、欧州経済共同体(EEC)をこき下ろしてきただけあって、「合意があろうがなかろうが10月31日にEUを離脱する」と宣言しています。

最強硬派30人を抱き込むため、「英国にとって有利な合意でなければ390億ポンド(約5兆3000億円)のEU離脱清算金をお預けにする」と発言し、英国を「合意なき離脱」に追いやろうとしているEU内の強硬派フランスを激怒させています。

ジョンソン氏「英国が独自の貿易政策を持てるようにする」

EU離脱交渉の最大のトゲ、北アイルランドとアイルランド間に「目に見える国境」を復活させないためのバックストップ(安全策)についてジョンソン氏がどう考えているのか、質問したことがあります。

――ドイツのアンゲラ・メルケル首相はどんな形ならバックストップについて妥協すると計算していますか(筆者)

ジョンソン氏「最も大切なのはアイルランド国境を摩擦のない形にする妥協策を見つけることです。既存のテクノロジーを使って、英国が独自の貿易政策を持てるようにする。そうすればみんなが同意できるし、英国への投資も増え続けると考えています」

テクノロジーを使った通関手続きの簡素化・透明化・電子化は世界各国でかなり導入されています。EUは域外のノルウェーと付加価値税(VAT)不正防止枠組みで合意しています。

インターネット通販サイトを通じた越境電子商取引(EC)も世界中で拡大しており、それに対する税制も整備されつつあります。

そもそも英国から北アイルランドを経由してアイルランドに流入するモノはEUが目くじらを立てるほど多くありません。

100%は無理かもしれませんが、テクノロジーと税制を整備すればジョンソン氏の言うように「目に見えない国境」にできるだけ近づけることはできるはずです。しかし、そのコストはすべて、現状変更を求める英国が負担しなければならないでしょう。

バックストップ問題の謎

将来、英国とEUの通商交渉が決裂してバックストップが発動された場合、英国全体がEUとの関税同盟に残り、北アイルランドは大半の単一市場のルールに従うと説明されています。

EUはトルコとの間で農産品やサービス、公共調達を除く関税同盟を結んでいます。しかしEU域内では基本的に関税同盟と単一市場を一体運用しており、切り離すことはできません。

英国が残ることになるかもしれない関税同盟がどの範囲のモノとサービス、関税と非関税障壁をカバーするのか、英国とEUの離脱協定書を見ても筆者にはよく分かりません。599ページの離脱協定書を検索しても「関税同盟」は2カ所に出てくるだけで「関税同盟」としか書かれていないのです。

関税同盟に残ると英国の主権が奪われるというのは最強硬派30人が唱える馬鹿げた教条主義に過ぎません。英国にとって大切なのはどの範囲の関税同盟に留まるかです。それをメイ首相のように「自由貿易圏」と呼ぶか、ジョンソン氏のように自由貿易協定(FTA)と呼ぶかの違いがあるだけです。

主権主義の落とし穴

英国の主権主義は1990年10月、マーガレット・サッチャー首相(当時)が下院で行った「ノー、ノー、ノー」演説に象徴されています。

「(ジャック・)ドロール欧州委員長は記者会見でこう言った。欧州議会を欧州コミュニティーの民主的な政体にしたい、と。欧州委員会を行政機関にしたい、閣僚理事会を上院にしたいと。ノー、ノー、ノーよ」

最近、英BBC放送でドキュメンタリー『サッチャー 非常に英国らしい革命(Thatcher: A Very British Revolution)』のラストでこのシーンが流されました。BBCが「A Very British Revolution」と「The」ではなく「A」を使った意味を考え込みました。

前々から感じていたのですが、BBCは「公平さ」を建前に、市民生活と企業活動を大混乱に陥れる「合意なき離脱」を散々あおってきたジョンソン氏や新党ブレグジット党のナイジェル・ファラージ党首の主張を非常に大きく取り上げてきました。

このタイミングで「ノー、ノー、ノー」演説を流したことには「公平さ」を装った「離脱誘導」の意図が隠されているのではないでしょうか。主権主義の怖いところは正論のように聞こえても、結局は相手国の主権主義を呼び覚まし、自国を窮地に追いやってしまうことです。

英国が主権を主張すれば、他のEU27カ国にも主権を主張するベクトルが働きます。そして米国も、中国も、インドも、世界中の国々が英国に対して主権を主張しだす恐れがあります。

帝国主義のレガシー(遺産)を相続する英国が完全無欠な主権を主張するためには武力行使の裏付けが必要です。英国にその覚悟と体力が残っているのでしょうか。

国体の危機に瀕する英国

世論調査会社ユーガブ(YouGov)が保守党員に「英国の一体性を壊してもEUから離脱しますか?」と尋ねたところ、次のような結果になりました。

スコットランドが英国から離脱してもEUから離脱しますか?

離脱する63% 取り止める29%

英国経済に深刻な打撃を与えてもEUから離脱しますか?

離脱する61% 取り止める29%

北アイルランドが英国から離脱してもEUから離脱しますか?

離脱する59% 取り止める28%

保守党が壊れてもEUから離脱しますか?

離脱する54% 取り止める36%

労働党のジェレミー・コービン党首が首相になってもEUから離脱しますか?

離脱する39% 取り止める51%

サッチャー氏には社会主義国化した英国を解放し、新自由主義(競争原理)を導入して外資を呼び込み、起業を促すという明確なプランがありました。今の英国を覆っているのはEUから離脱さえすれば英国は永遠に発展するという妄想だけです。

保守党支持者の多くは、EUから離脱さえすれば英国は未来永劫の桃源郷にたどり着くとでも思っているのでしょうか。イランにも子供扱いされた「無責任男」のジョンソン氏が首相になれば英国に神風が吹くのでしょうか。ジョンソン氏が信じられないようなマジックを連発して奇跡を起こすとでも言うのでしょうか。

EUはもちろんのこと、国際社会の現実は英国のハードブレグジット(強硬離脱)派が考えているほど甘くありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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