歌謡曲で日本の心を世界に伝える歌手、鈴木ナオミさん 被災地支援コンサート100回を超える
[ロンドン発] 人気ロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」の新曲「HINOMARU」がネットで炎上した問題で「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」について先のエントリーで考えてみました。
自分の生まれた国を好きなことに何の問題もありませんが、伝え方によってはまっすぐには届かないこともあるようです。
ロンドンを拠点に活動する歌手の鈴木ナオミさんは「Bridge Together Project(日本へ行こうよプロジェクト)」と題して今年4、5月に米ニューヨークやボストンで日本の歌謡曲をジャズ風にアレンジしてコンサートを開催したところ大盛況でした。
2020年東京五輪・パラリンピックに向け、世界に日本をPRするプログラム「beyond2020」の一環だったそうです。ナオミさんは「歌謡曲は日本が高度成長を遂げて元気だった時代を代表しています。歌謡曲が日本を元気にしたように思います」と言います。
「和田アキ子さんの『古い日記』(1974年)、ピンキーとキラーズの『恋の季節』(68年)、金井克子さんの『他人の関係』(73年)、山口百恵さんの『いい日旅立ち』(78年)、ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』(67年)、テレサ・テンさんの『時の流れに身をまかせ』(86年)、坂本九さんの『上を向いて歩こう(スキヤキ)』(61年)をジャズ風に演奏してもらって日本語で歌いました」
「歌詞の意味は分からないはずなのに、日本を元気にしてくれた歌謡曲は米国人の心に届きました。日本語の歌が英語の歌より心を打ったんです。日本のメロディーがアレンジ次第でニューヨーカーにも受け入れてもらえることが分かりました」。来年はブロードウェイでの講演を目指しています。
ナオミさんは7年前の東日本大震災をきっかけに岩手・宮城・福島3県や、熊本地震、九州北部豪雨の被災地を支援するコンサートを始め、その回数は100回を越えました。コンサートで集めた寄付金の総額は数百万円にのぼります。
東京五輪・パラリンピックに向けて「日本へ行こうよプロジェクト」に取り組んでいるのも「五輪と震災を一緒にするなという意見もありますが、海外の皆さんに東北に目を向けてもらいたいという思いの延長線上にあります」とナオミさんは言います。
歌謡曲のメロディーに乗せて「日本に来てね」と世界に呼びかけ、東日本大震災の被災地支援に結びつけていきたいそうです。
東日本大震災があった時、ナオミさんは肝機能不全で白血球が減少し、体調を崩していました。震災直後、被災者から「音楽で被災者を救って」というメッセージがナオミさんのツイッターに寄せられました。
その被災者は震災で自宅が全壊しましたが、愛用のベースが瓦礫の中から見つかりました。ナオミさんは被災者と協力して歌詞を書き上げ、被災地やロンドンでメモリアル・コンサートを開くようになりました。
震災から5年を迎えた時はロンドンのホールに600人を集め、被災地からの「ありがとう」と英国の「忘れない」をつなぐ「架け橋プロジェクト」コンサートを開きました。自作の東北復興支援ソング「Smile at me」も披露しました。
支援活動が認められて5月6日には楽天生命パーク宮城で行われた東北楽天ゴールデンイーグルス対埼玉西武ライオンズ戦で2万5千人の観客を前に国歌を斉唱しました。
今回のニューヨーク講演前、持病が悪化して体調を崩していたそうです。それでもナオミさんが力を振り絞って歌い続けているのには理由があります。
「私自身、被災地とかかわることで生かしてもらいました。震災から7年が経ち、壊れた建物は撤去され、道路は復旧し、仮設住宅が減るといった見た目の変化はあります。しかし、人々は心の中にもっと深い悲しみを抱えるようになりました」
「取り残されたと感じている人が本当にたくさんいます。20~30人の子供たちの前で歌っていても、精神的に不安定で突然、泣き出したり、興奮して鼻血を出したり、人と目を合わすことができない子供もいます」
「子供自身が直接、震災を経験していなくても、母親が夫を亡くしていたり、娘をなくしていたりすると、子供にも目に見えない影響があるのです」
「震災直後は被災者に元気を出してもらおうと一緒に歌えば良かったのです。しかし今は、本当に私は子供たちの気持ちを分かって歌っているのだろうかと考えるようになりました。被災地支援はセンシティブです」
「聴きに来てくれている被災者の気持ちがステージから少しずつ分かるようになりました。被災地への思いがないと、とても歌えません」。日本を歌うとはこういうことを言うのではないのでしょうか。
(おわり)