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#MeTooに異を唱えたカトリーヌ・ドヌーブが大炎上した理由 あなたは「口説く自由」を認めるか

木村正人在英国際ジャーナリスト
ポランスキー監督と第70回カンヌ国際映画祭に現れたドヌーブさん(写真:Shutterstock/アフロ)

「男尊女卑の豚野郎を引きずり出せ」

[ロンドン発]フランスを代表する往年の大女優カトリーヌ・ドヌーブさん(74)とそうそうたる仏女性作家、役者、学者ら100人が男性に女性を「口説く自由」を認めるべきだと公開書簡で主張したところ、「セクシュアル・ハラスメント(権力を笠に着て性的行為を強要すること)を擁護している」と批判され、ドヌーブさんは謝罪に追い込まれました。

米ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏が長年、映画界での影響力を乱用して複数の女優に性的関係を迫っていたことが明らかになり、ツイッター上でセクハラを追放する「#MeToo」運動が始まりました。フランスでも「#BalanceTonPorc (男尊女卑の豚野郎を引きずり出せ)」というセクハラ追放運動が広がりました。

米ゴールデングローブ賞の授賞式に女優たちがセクハラに抗議してそろって黒のドレスで出席。式で黒人女性として初めてセシル・B・デミル賞を受賞したオプラ・ウィンフリーさんがセクハラ被害を公表した勇敢な女性たちを称えたため、セクハラの象徴、ドナルド・トランプ米大統領に対抗して次期米大統領選に出馬するよう促す声が高まりました。

ドヌーブさんら女性100人はこの直後、仏夕刊紙ルモンド(中立系)に今回、激しい論争を呼び起こした公開書簡を発表したのです。「『性の自由』とは切っても切り離せない『口説く自由』を私たちは守ります」と題したルモンド紙の公開書簡から内容の一部を拾ってみました。

女性の膝に触り、唇を奪おうとするのは許容範囲?

「レイプは犯罪よ。でもしつこく迫ったり、不器用に近づいたりするのは犯罪じゃない。男尊女卑の侵害でもない」「ワインスタイン事件の結果、特に一部の男が権力を乱用している職場での女性に対する性暴力が広く知られるようになったのは正当なことです」

「しかし、被害の告発が今日あらぬ方向に大きな影響をもたらしています。そうした主張に同調することを拒むと男尊女卑の共謀者、裏切り者とみなされます」「魔女狩り。ピューリタニズム(潔癖主義)の押し付けでしかない。女性の保護を言いながら、実は女性を永遠の被害者、弱い小さな存在に縛り付けるものです」

「#MeToo運動は被害者を生み出しています。女性の膝を触ったり、唇を奪おうとしたり、仕事絡みの夕食で『親密な』ことを話そうとしたり、 その気のない女性に誘いのメッセージを送ろうとしただけで、仕事を失ったり、辞任を強いられたりしています」

「『豚ども』を屠殺場に送れという運動は、女性の解放とは遠くかけ離れたものです。性の自由の敵、宗教的な過激主義者を助けるだけです。ビクトリア時代の道徳観の押し付けで、女性を大人の顔をした子供とみなし保護を求めているのです」

「一人ひとりが検察官になって告発する全体主義社会のような雰囲気です」「潔癖主義は止まるところを知りません。エゴン・シーレの裸体画を検閲せよ、小児性愛を擁護しているとバルテュスの作品を美術館から取り除けという声が上がり始めています。そして(ポーランド出身の巨匠)ロマン・ポランスキーの作品を映画館から追放せよ、と」

「女性として、権力の乱用に対する批判を超えて、男性や性への敵意の顔をしたフェミニズムの中に女性を見出しません。女性を煩わせる自由を認めないことには、性的な申し込みを断る自由も存在しません。私たちを餌食の立場に押しとどめるよりも、口説く自由にどう対処するかを知らなければなりません」

「セクハラは女性の肉体に影響を与えても、必ずしも女性の尊厳を損なうとは限らないし、そうであってはならないでしょう。また必ずしも女性を永遠の被害者にするとは限りません。私たちの内なる自由は決して敗れることはありません。この自由を享受するためには自ずとリスクと責任を伴います」

あまりにフランス的

ロンドンで暮らす筆者から見ると、あまりにもフランス的な女性論、性の自由、芸術論が展開されているように思いました。イタリアのシルビオ・ベルルスコーニ元首相(81)がドヌーブさんを支持したことを見ても、ドヌーブさんら女性100人の主張がベルルスコーニ的な男性を喜ばしたのは間違いありません。

結局、ドヌーブさんは仏紙リベラシオン電子版で、公開書簡はセクハラを擁護するものではないが、「公開書簡で感情を害されたかもしれないすべての被害者に心より謝罪します」と述べました。しかしツイッターが魔女狩りのように使われている現状には馴染めないとの主張を繰り返しました。

ドヌーブさんや自叙伝『カトリーヌ・Mの正直な告白』がベストセラーになった作家カトリーヌ・ミエ氏が「#MeToo」運動に強く反発している理由はいくつかあると思います。

まずピューリタン的なアングロ・アメリカン・フェミニズムをフランスに押し付けるなという主張です。そしてフランスの文化や芸術がアングロ・アメリカンの価値に侵略されているという危機感です。

フランスとドーバー海峡で隔てられたイギリスの価値観は全然、違います。フランスから見ればイギリス流の市場主義は邪悪そのもので、イギリスからすればフランス流の「性の自由」は男尊女卑社会の遺物のように見えてならないのです。しかしドヌーブさんの公開書簡にはフランス国内からも批判が寄せられました。

サフラジェットvsサフラジスト

まずドヌーブさんらが批判しているピューリタン的な女性解放運動をイギリスの女性参政権運動から見ておきましょう。

1903年、マンチェスターで女性参政権を求める「女性社会政治連合(WSPU)」が結成され、「言葉より行動を」を合言葉に掲げました。労働者階級の女性たちが中心になってハンガー・ストライキ、爆弾・放火・器物損壊闘争、自殺といった過激な行動を展開、治安当局から「テロリスト」として監視されました。彼女たちは「サフラジェット」と呼ばれます。

これに対して合法的な手段を通じて女性の権利を獲得すべきだと考える人は「サフラジスト」と呼ばれました。イギリスで男女に等しく選挙権が認められたのは1928年。穏健なサフラジストより、過激なサフラジェットが第一次大戦で戦争協力したことが大きく影響しました。

これに対してフランスの女性参政権は1944年、ド・ゴール将軍の臨時政府によって与えられたものです。今回の「#MeToo」運動を過激なサフラジェット、ドヌーブさんの公開書簡は穏健なサフラジストにたとえられるかもしれません。女性の権利は男性から与えられるものではなく、奪い取るものだという根本的な違いがあるように思います。

フランス流自由恋愛

フランスでは、フランソワ・ミッテラン大統領(故人)が愛人との間に娘をもうけていたことが、政権末期の1994年に週刊誌にスクープされるまで長らく報じられませんでした。フランスの民法第9条が「各自は私生活を尊重する権利がある」とプライバシー保護を明確にうたっているからです。

支持率が4%まで落ちたフランソワ・オランド前大統領はエリゼ宮(大統領府)から黒ヘルメット姿でスクーターの後部座席にまたがり、愛人のもとに馳せ参ずる様子をパパラッチされ、世界中を呆れさせました。セックス・スキャンダルは政治に付き物と言うものの、国際通貨基金(IMF)の専務理事だったドミニク・ストロスカーン氏の女性スキャンダルにはビックリしました。

これがフランス流の「性の自由」「恋愛の自由」なのでしょうか。

ドヌーブさんが主演した『昼顔』(1967年)を最近見直しましたが、正直言って「時代遅れ」だと感じました。夫に従属して生きていた有閑マダムが売春を通じて奔放な性と愛に目覚め、夫への愛を再認識するというストーリーです。

表現の自由と芸術

前出の作家カトリーヌ・ミエ氏によると、ロマン・ポランスキー監督に13歳の時にレイプされたと訴えているアメリカ人サマンサ・ゲイマーさんら複数の性的被害者が公開書簡に名を連ねているそうです。

芸術を語る上で「表現の自由」は非常に繊細な問題です。

男女の愛欲の極限を描いた大島渚監督の『愛のコリーダ』(1976年)や12歳の少女への中年大学教授の一方的な愛を描写したウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』と同じような芸術表現をするのが今の時代、難しくなっているのはドヌーブさんらの指摘する通りです。

「禁断の恋」は現実社会では許されないからこそ、芸術の世界ではある一定の範囲内で許されるべきだという主張は成り立つかもしれません。しかし現実社会では禁断の恋が許される時代ではなくなりました。

カトリーヌ・ミエ氏らは「#MeToo」運動は「性行為をする前に弁護士と契約を結ぶまで満足しない」と主張しています。がしかし、おとぎ話の世界では王子が無断で「眠れる森の美女」に口づけするのは許されても、現実社会では口づけする前に女性の同意が必要なのは言うまでもありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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