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国連で目の当たりにした不正と腐敗 1000年続く国際送金ネットワーク(中)【フィンテック最前線】

木村正人在英国際ジャーナリスト
「ワールドレミット」CEOのイスマイル・アハメド(筆者撮影)

 オンライン国際送金サービス「ワールドレミット」(本社・ロンドン)の創業者で最高経営責任者(CEO)イスマイル・アハメド(57)は、産油国の湾岸諸国に出稼ぎに行った兄や親戚がどのようにしてソマリランドの首都ハルゲイサに送金してきたかを分かりやすく説明してくれた。

 ハルゲイサの貿易商人が湾岸諸国に赴き、ソマリランドからの出稼ぎ移民からお金をかき集める。それを元手に建設資材や他の物資を買い付けて船積みし、ハルゲイサに戻って売りさばく。

 売れたら貿易商人に預けたお金が家族に届けられる仕組みだった。手数料は一切かからない。その代わり、現金化されるまで3カ月から数カ月待たなければならなかった。

 「1000年以上前からインドや中東・北アフリカに伝わる『ハワラ』と呼ばれる方法で、出稼ぎ移民は働いたお金を祖国の家族に送っていたのです。親戚の1人が送金に関わっていた関係で、歴史的な国際送金の仕組みをイチから学ぶことができました」

 学業を終えたイスマイルはハルゲイサで世界銀行のプロジェクトに参加した。1988年、ロンドンの大学の博士課程に進むため世銀の奨学金を獲得し、航空券を予約した直後に内戦が勃発した。足止めを食らったイスマイルはジブチ経由で何とかロンドンに到着する。

 3年後、ソマリランドは一方的に独立を宣言するが、ハルゲイサは破壊され、住民の大半は難民となってエチオピアに逃れた。

 家族を助けるため、イスマイルは学業の合間にアルバイトを始めた。一番過酷な仕事は農場でのイチゴ狩りだ。週6~7日はジョギングをするイスマイルは体力には自信があったが、イチゴ狩りは本当に骨の折れる仕事だった。日差しが強い日も、暑い日も、風の日も、雨の日も農作業は行われた。

 夕刻、安宿のホステルにたどり着いてベッドに腰を下ろすと、泥まみれの靴、果汁や土で汚れたシャツのまま眠り込んだ。すべてにイチゴの匂いが染み付いて、何もノドを通らなかった。朝、目覚まし時計で起こされると、農場行きのバンが迎えに来ているという日々の繰り返しだ。

 ソマリランドの家族にバイト料を仕送りする際、イスマイルは農場からロンドンまでの往復乗車券を買った。乗車券だけで日給の3分の1もした。さらに祖国までの送金手数料を、収穫しなければならないイチゴ箱の数に置き換えると気を失いそうになった。

 「湾岸諸国からソマリランドへの送金には時間がかかり、イギリスから故郷への送金にはお金がかかりました」とイスマイルは言う。

 夏休みのバイトが終わったあと、ソマリア地域、エチオピアやジブチに代理店のネットワークを広げ、イギリスから送金するサービスを始めた。

 子供の頃から慣れ親しんだ「ハワラ」の知識が役立った。現地の代理店に連絡する国際電話料だけ送り手に課金した。為替でほんの少し収益が出るようにした。

 手数料がほとんどかからないイスマイルの送金サービスは口コミで1年もしないうちに急成長した。当時の日本では為替取引(資金移動)は銀行に独占されており、イスマイルの行為は銀行法違反の「地下銀行」事件として摘発されていただろう。

 「食料安全保障に関する博士課程の調査を進めるため、内戦が終わったソマリランドに一時帰国し、人々がどのようにして戦争を生き延びたかを調べました。40%の人々にとって出稼ぎに出ている家族からの国際送金が生命線となっていたことが分かりました」

 98~99年の現地調査によると、ソマリランドでは全人口の約3分の1に当たる推定12万世帯が平均で年4170ドルの送金を受け取っていた。送金総額は年間約5億ドルに達し、家畜輸出額の4倍に及んでいた。

 しかし送金の恩恵にあずかれたのは都市部の住民だけで、地方に行くとその割合は5%未満に下がっていた。国際送金は故郷のハルゲイサを豊かにしたものの、送金サービスを利用できる人とできない人の格差を広げていた。

 2001年9月の米中枢同時テロで、テロ資金をストップするため、ブッシュ(子)米政権は国際送金に厳しい規制をかけた。ソマリアにあったアフリカ最大の国際送金サービス「バラカート」が資産凍結措置を受けた。

 テロ資金の流れを止める一方で、合法的な国際送金を促進させる国連開発計画(UNDP)のプロジェクトが立ち上がり、05年、イスマイルは法令順守アドバイザーに任命される。

 「国際送金には数百万の人々を貧困から救い出す力がある」という強い信念があった。しかし、わずか2~3週間でイスマイルは思いもしなかった事態に巻き込まれる。

 ナイロビでUNDPのマネジメントやコンサルタントに関わっていた上層部に不正と腐敗がはびこっていたのだ。

 「ケニアのような国では、ほとんどの国連職員が自分の身の安全を守るため、不正には目をつぶり、黙っていました。報復のリスクを顧みず不正を告発するのか、それとも沈黙するのか、深刻なジレンマに陥りました」とイスマイルは肩を落とした。

 眠れない夜を数日過ごした後、イスマイルは不正に立ち向かう覚悟を決める。06年2月19日、日曜の朝だった。ナイロビのインターネットカフェから国連の不正告発ホットラインに匿名で不正の詳細を伝えた。ニューヨークから調査チームがすっ飛んできた。

 しかし、彼らの目的は不正を暴くことではなく、内部告発者を探し出すことだったのだ。(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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