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国民1人当たりの論文数世界40位「内向き志向をぶっ飛ばせ!」ロンドンから仕掛ける日本の逆襲とは

木村正人在英国際ジャーナリスト
夏目漱石ワークショップで発表作品を作る子供たち(筆者撮影)

落ちこぼれだったノーベル賞学者

[ケンブリッジ、ロンドン発]2012年のノーベル生理学・医学賞を京都大学教授の山中伸弥iPS細胞研究所長(54)とともに受賞した英ケンブリッジ大学のジョン・ガードン名誉教授(83)は7月24日、講義室で日本とイギリスの高校生を前にやさしく話し始めました。

ケンブリッジ大学で講演したガードン名誉教授(筆者撮影)
ケンブリッジ大学で講演したガードン名誉教授(筆者撮影)

ガードン名誉教授の研究室には、15歳のころ在学していた名門私立イートン校の校長先生から渡された「科学の通信簿」が張り付けられています。

「私が見るところ、ガードンが科学者になる考えを持っているのは間違いない。しかし、現在の状況を見ると、それは全くばかげている」

「簡単な生物学の事実を学ぶ力もないのなら、科学者として仕事をするチャンスはゼロだろう。それは彼にとっても、彼を教えないといけない先生の側にとっても完全な時間の無駄になろう」

ガードン名誉教授はそのころ同学年の生徒250人中、生物の成績は最下位でした。いったん科学の道を進むのを諦め、古代ギリシャ語とラテン語を学びます。ギリシャ神話の中に「プロメテウスの神話」があります。プロメテウスは天上の火を盗み出して人間に与え、生活を豊かにします。

それを知った全知全能の神ゼウスは怒り狂い、プロメテウスを「火泥棒」の罪でくくりつけ、鷲に肝臓を食らわすという罰を与えます。1日経つと肝臓は再生しているので、プロメテウスは毎日肝臓を食べられる激痛を味わうという非常に残酷な刑罰でした。

ガードン名誉教授はこのエピソードを紹介しながら、「なぜだか分からないけれど、古代ギリシャの人々は肝臓が再生するのを知っていたのです」と子供たちに語りかけました。

進学したオックスフォード大学で古典を学び始めたものの、科学者になる夢を捨て切れず、専攻を動物学に変えます。

そしてアフリカツメガエルのオタマジャクシの細胞から核を取り出し、受精していない卵子の核と入れ替えて、新たにオタマジャクシを誕生させることに成功します。

それまでの生物学の常識では、卵子から胚(はい)、そして分化した細胞による成体になり、決して未分化細胞には逆戻り(初期化)はしないと考えられてきました。

しかし、ガードン名誉教授は成体の分化細胞から核を取り出し、未分化細胞(卵)の核と入れ替えると、移植した分化細胞の核が初期化することを実験で証明してノーベル賞を山中教授と共同受賞したのです。

一方、山中教授は4つの遺伝子を核に導入することで、分化細胞の中にある核が初期化することを発見しました。

ガードン名誉教授は「山中教授がヒトの卵を用いない初期化のテクニックを見つけたのは大きな貢献です。こうした科学の進歩を医療に応用すると多くの患者を救えるのに、規制当局や法曹界が大きな障害になっています」と問題点を指摘しました。

日本の高校生からプレゼントを受け取るガードン名誉教授(筆者撮影)
日本の高校生からプレゼントを受け取るガードン名誉教授(筆者撮影)

実験がうまくいかない時、ガードン名誉教授は校長先生の「通信簿」を見て「ひょっとしたら先生は正しかったのかも」と考えて気をまぎらわせているそうです。ガードン名誉教授は気さくに子供たちの質問にも答えました。

日本ではノーベル賞を受賞しようものなら、まるで神様のように祭り上げられてしまいます。

内向き志向をぶっ飛ばせ!

冒頭紹介したのは2015年にスタートした日本とイギリスの高校生がロンドンに集うユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)-ジャパン・ユース・チャレンジ(7月21日~30日)の一コマです。3回目の今年は、16歳を中心に日本から45人、イギリスから30人弱の高校生が参加しました。

「アメリカ・ファースト(第一主義)!」を唱えるアメリカのドナルド・トランプ大統領の誕生やイギリスの欧州連合(EU)離脱など、日本だけでなく、世界中で内向き志向が目立ってきています。

海外に出ると日本でのキャリアパスにブランクができると海外駐在員の子供たちに現地で日本と全く同じ教育を受けさせるサービスが普及したり、若者の間にも海外留学を敬遠したりする傾向が一段と強くなってきています。

ユース・チャレンジは、UCL眼科学研究所の大沼信一教授とイギリスで活躍する日本人の若手研究者が中心になって企画しています。イギリスの高校生と交流しながら世界最先端の研究に触れ、日本の高校生に海外留学や海外で仕事をすることを身近に感じてもらうのが狙いです。

UCLの大沼信一教授(筆者撮影)
UCLの大沼信一教授(筆者撮影)

ご存じの方も多いかもしれませんが、UCLと日本のつながりは非常に深いのです。UCLなかりせば、日本の近代史、いや、世界の歴史は変わっていたと言っても過言ではないでしょう。幕末、長州藩の伊藤博文(初代首相)、井上馨(初代外相)、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の5人が1863年横浜を出港し、ロンドンに到着します。

オックスフォード大学やケンブリッジ大学は当時、イギリス国教徒にしか入学を認めていませんでした。これに対してUCLは信仰や人種の違いを超えて、いろいろな留学生に門戸を開いていたのです。

ロンドン化学協会の会長を務めていたUCLのアレクサンダー・ウィリアムソン教授は「長州ファイブ(五傑)」を温かく受け入れます。薩英戦争で敗れた薩摩藩もイギリスに留学生を送ることを決め、「薩摩スチューデント」と呼ばれる留学生15人、視察員4人を派遣します。

UCLの中庭には「長州ファイブ」と「薩摩スチューデント」の名前が刻まれた記念碑が建立されています。ウィリアムソン教授は長州ファイブや薩摩スチューデントら多くの日本人留学生を世話するだけでなく、志半ばで客死した若者も丁寧に葬ってくれました。「現代の日本はUCLが作ったという感じです」と大沼教授は話します。

明治初期、イギリスに留学していた日本人は2万人ぐらいいたと言われています。日本学生支援機構によると、日本人留学生は2015年度で8万4456人です。明治5年の日本の総人口は約3500万人(現在は約1億2700万人)ですから、当時の日本人の海外留学熱は相当、高かったことが分かります。

今年はクラウドファンディングで200万円が集まり、日本人の高校生4人が参加できました。

大沼教授は「日本で内向き志向が強まる中で、より多くの高校生に海外を経験してほしい、海外も日本とあまり変わらないことを知ってほしい。10日間、イギリスに滞在して現地の高校生とインターナショナル・フレンドシップを構築し、たくさんの友だちを作るのがユース・チャレンジの大きな目的です」と話しています。

留学しようにも先立つものがなくなってきた日本

大沼教授の話を聞いてみましょう。

「UCLやケンブリッジのような海外のトップレベルの大学で勉強することがどんなことか体験してもらいます。試験のハードルは日本の大学よりイギリスの大学の方が低い。日本の学校が語学を重視し、使える英語をみんな勉強しているので、語学レベルはアップしてきました」

「海外に行く人の割合が減っているのは事実です。大手企業でも海外赴任を好まない人たちが増えてきて、海外赴任者を探すのが大変だと言います。日本政府もかなりの予算を短期留学に付けていますが、グローバル化を活性化するところまでは、まだ行っていないような気がします」

「日本とイギリスでは大学のレベルは全く違ってきていると思います。日本の大学は国際的な評価が落ちてきています。統計的に見た大学のクオリティーとか大学の生産性も海外の大学に比べると、かなり落ちてきています。国民1人当たりの論文数で言うと、日本は世界で今40位ぐらいです。発展途上国にも抜かれています」

(注)筆者がSJR(Scimago Journal & Country Rank)の国・地域別の論文数(2016年)を単純に国連の世界人口見通し(17年7月)で割ってみると、日本のランキングはなんと52位に落ちていました。

「日本は全体的に世界の中で戦うという意欲が落ちてきているのかなという気がします。中国やアジアの他の国と比べても、国際性という点で日本は圧倒的に劣っています」

イギリス留学生問題協議会(UKCISA)によると、欧州連合(EU)域外の留学生(15年度)では中国が断トツで9万1215人。2位はマレーシアの1万7405人です。9位はタイで6095人。日本は10位以内にも入っていません。

日本人は留学したくても留学するお金がなくなっているのが実情です。

漱石と違って元気はつらつ

25日はUCLに場所を移して、UCLアカデミーのティナ・コートニー=トンプソン先生の指導で、UCLに留学した明治の文豪、夏目漱石のイギリス生活をもとにしたワークショップが行われました。漱石は孤独な留学体験から、猫の目で人間生活を描く『吾輩は猫である』を発表します。

ユース・チャレンジに参加した日本の高校生は、漱石と違って、元気はつらつ。画用紙や色紙を使って自分たちの目を通したイギリスを表現し、現地の高校生たちと一気に打ち解けました。

イギリスでの異文化経験を表現する武谷誠太郎君(右端、筆者撮影)
イギリスでの異文化経験を表現する武谷誠太郎君(右端、筆者撮影)

パントマイムでイギリスに到着した自分を表現して喝采を浴びた兵庫県の伊川谷北高校2年、武谷誠太郎君(17)は「将来の夢はオリンピックの陸上で金メダルをとることです。もう一つは貧しい人たちのためにマラソン大会を開いて走る喜びを体験してもらうことです。ユース・チャレンジに参加して、留学したくなりました」と話しました。

大阪府の清教学園2年、黒越伊吹さん(17)は「文系なので理系の講演は良く分かりませんでしたが、いろいろな方とかかわれてとても楽しいです。ドイツに留学したいけれども、スペイン語圏にも行ってみたい」そうです。

あれこれ考えずに、若いうちにまず飛び出してみるのが大切です。無責任かもしれませんが、先立つものは、きっと安倍晋三首相や企業のお偉い人が考えてくれると思います。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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