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「核シェルター」「ホームステイ」のどちらで難民を受け入れますか?

木村正人在英国際ジャーナリスト
3月20日、ギリシャ・レスボス島に漂着したシリア難民の母子(写真:ロイター/アフロ)

難民に背を向けるEU

海を越えてギリシャに渡った難民をトルコに送り返すという欧州連合(EU)とトルコの最終合意が20日から発効したものの、ギリシャのレスボス島などには新たな難民を乗せたゴムボートが次々と漂着しています。

EUとトルコの最終合意については、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルなどが「EUは世界規模の難民危機に背を向けている」と批判しています。合意内容を整理しておきましょう。

(1)3月20日以降、トルコから非正規にギリシャに入った難民はギリシャ当局が1人ひとりから聞き取りを行って審査した上で、トルコに送り返す。送還したシリア難民1人につき1人の割合でEUが再定住を受け入れる。上限は7万2千人。EU加盟国に不法入国を試みていないシリア難民を優先的に受け入れる。

(2)EUが定めた72項目の基準を満たせば、6月までにトルコ国民はシェンゲン圏(旅券なしで国境を自由に行き来できる協定を結んでいる欧州26カ国)に渡航する際、査証が免除される。シェンゲン協定を結んでいない英国には適用されない。

(3)EUはすでに約束している対トルコ支援30億ユーロ(約3770億円)の実行を加速させ、2018年までにさらに30億ユーロの支援を行う。

(4)トルコのEU加盟交渉を7月までに持つなど、加盟交渉に再び弾みをつける。

ギリシャのマケドニア国境には劣悪な環境で1万500人がキャンプを張るなど、ギリシャに滞留するシリア難民は4万7500人にのぼっています。EUとトルコの最終合意はこれからギリシャに向かう難民が急増するのを防ぐ緊急措置に過ぎず、将来の見えない難民をさらに不安に陥れる恐れがあります。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は「難民が求めているのは拒絶ではなく保護だ」と不信感をにじませていますが、EUの中にはハンガリーなど5つの加盟国が最終合意に異を唱えているそうです。

中東・北アフリカで国際支援活動に携わってきた田邑恵子さんが、EUには加盟していないもののシェンゲン協定国のスイスから「食」を通じた難民との交流を報告してくれます。

核戦争の到来に備えた「核シェルター」が…

[ジュネーブ発、田邑恵子]2006年まで、スイスにはユニークな法律が存在した。冷戦時代、周到なスイス政府は核戦争の到来に備え「核シェルター」を完備していた。地域におけるシェルターもあれば、新築される公共の建物も、個人の家も、地下に「核シェルター」の備えが義務付けられていた。

壁にドアがあるだけなので「核シェルター」には見えない(田邑恵子撮影)
壁にドアがあるだけなので「核シェルター」には見えない(田邑恵子撮影)

どのアパートの地下にも核シェルターがあり、各戸にトイレを完備した個別区画が割り当てられている。共同のシャワー室もある。実態は、こういった核シェルターは、物置として使われているだけなのだが、入り口には厚さ30センチはありそうな遮断扉が設けられている。オフィスの地下にもシャワー付きシェルター・ルームがあった。

核シェルター内部。天井のダクトで完全空調されている(同)
核シェルター内部。天井のダクトで完全空調されている(同)

ジュネーブ市内の観光地のど真ん中にも、地域住民200人を収容できるシェルターがあった(数年前に大改装され、今はギャラリー、防音室、録音スタジオとして一般利用が可能となっている)。地下なので、当然日光は入らない。逆に、音の反響が良く録音スタジオとして人気という説明を聞いた。

山岳地帯には、大規模なシェルターが設置されており、5つの学校、病院を完備した大規模シェルターの存続を検討する写真付きの新聞記事を読んだことを思い出す。スイス国内の、どんな小さな自治体にもこういったシェルターが必ず設置されていた。

みぞれまじりの雪が降る寒い3月の日曜日、私はそんな「核シェルター」の入り口に立っていた。無駄なことはしないスイス人、今回、かれらは「核シェルター」を難民収容センターとして転用し、そこに、 シリア人、アフガニスタン人、ソマリア人、エリトリア人などの若者、約60人が生活しているという。

今回、生粋のジュネーブっ子の友人一家が企画した「難民受け入れセンターで生活する新しい隣人とのランチ会」に参加するため、多少アラビア語が理解できる私がボランティアとして駆りだされ、彼らのお迎えに参上したのだった。

センターでは食堂で用意される料理を食べているだけなのだろう。私が持参し、展示したシリア食の写真を見た誰もが「ケバブが食べたい」「マグルーベが食べたい」「ケッベが食べたい」と大興奮だった。異国にいて故郷の味が恋しいのは万国変わらない。

トルコで撮影したシリア料理と封鎖地域からの逃避行の記事に見入るスイス人女性(同)
トルコで撮影したシリア料理と封鎖地域からの逃避行の記事に見入るスイス人女性(同)

特に彼らの多くが1人、あるいは友人とスイスにたどり着いた男子ばかりなので「おふくろの味」がひときわ恋しいのだろう。誰もが「スイスのご飯はいま一つ」と正直に言う。確かに、料理法も素材も様々なシリア料理と比べるとスイス料理は単調で、基本的にチーズとジャガイモだから、彼らにとってはつまらないだろうな。

一緒に行ったジュネーブの大学院に留学中のシリア人留学生とフランス語とアラビア語を交えて、彼らの生活について聞いてみた。大体、みな到着後4~5カ月くらいが経過したところで、毎日フランス語のクラスを受けているだけあり、中には結構しゃべれる人もいる。若者が多く、まるで学生寮のように冗談が飛び交う。

彼らの多くがバルカンルートを超え、スイスにたどり着いていた。タイミングが良く、資金力のあるグループは、シリアを出てからわずか10日間で、それほど歩くこともなく到着したらしい。

後発のグループは、2カ月くらいかけてヨーロッパにたどり着いたという人もいた。彼らの多くは徒歩でバルカンルートを北上してきた。ただ誰もが地中海を超えるボートが一番の難所で、沈まないようにひたすら祈ったという。

迎えの車に乗り切れない数人はバスで移動するので、私もそのグループに入った。当然のことながら「核シェルター」はちょっと町外れにあり、いささか不便なため、彼らは公共交通をよく使っているらしい。

バス停でバスを待つ間、顔見知りらしいご近所のマダムに盛んに話かけている。人里離れた郊外にアジア系、アフリカ系、中東系の若者が15人くらい固まってバスを待っているのは「目立つなー」と感じる。

ジュネーブの街中はむしろ国際色が豊かだから全然目立たないけれど、ここは隣を見ると牧場だったりするので、やっぱり目立つ。だからこそ、こうやってバス停であったご近所さんに挨拶したり、「今日はこれからご飯にいくんだ」「その後、プールに泳ぎにいくんだ」なんて、ちょっとした世間話をしたりするということは大切だなと思う。そして、彼らが覚えたてのフランス語を使って、それを実践しているのも偉い。

コミュニティーセンター(キッチン、サッカーゲーム、卓球台、ソファなどあり)で彼らを迎えるのは地域住民や学生たち。前日から仕込んだというメニューは、ラクレットという正統派スイスチーズ料理。

チキンを料理する地元のマダム達(同)
チキンを料理する地元のマダム達(同)

ただ、これは、万人受けはしないという自覚はスイス人側にもあるようで、主催者の挨拶でも「今日は、ラクレットをごちそうしますけど、これはひょっとすると、ちょっと変なご飯かもしれない。とっても伝統的なスイス料理だから。でも、心配しないで!鶏肉もあります!」とフォローを忘れない。

地域の人にこのイベントに参加した理由を聞いてみた。ジャン・ミシェルさんは「難民の人とは今まで会ったことがなかったし、こんなに近くに住んでいるなんて全然知らなかった。でも、このイベントを知って、知り合う機会なので、参加しようと思った」と言う。大学2年生という若者2人は「このイベントがクールだから、参加した」と明るい。

大学生ばかりのテーブル(同)
大学生ばかりのテーブル(同)

すごく社交的で、フランス語もそこそこできるクルド人の元大学生軍団は、ちゃっかり、スイス人女子学生のいるテーブルに、〈おいおい、座れないよ!〉というくらい押し寄せていた。その一方、笑顔が可愛いけれど、英語とフランス語がまだちょっと苦手で、とてもシャイなはにかみ系のアフガン人ボーイズはスイス・マダム軍団とテーブルを囲んでいる。

うーん、こういうのは国が変われど同じだなどと思う。唯一、調子の良いアフガンボーイは〈ここは大阪のナンパ橋?〉と思うほど、女の子に声ばかりをかけていたので笑ってしまう。

さて「奇妙な料理」と主催者も認めていたスイスの伝統料理ラクレットだが、意外と大丈夫だったらしい。ラクレットを求めて長い列ができていた。

それでも、シリア料理は恋しいはずだ。次のイベントでは、各国からの新しいゲストが、それぞれのお国料理を作って、スイス人にごちそうしたらいいのにね、という話をした。シリア料理、エリトリア料理、どれも美味しい。

トルコにある難民キャンプ内の学校に届けるスイスからのメッセージを作る子供(同)
トルコにある難民キャンプ内の学校に届けるスイスからのメッセージを作る子供(同)

今回のセンターには、若い男子ばかりが生活している。その一方、新しい試みとして、難民をホームステイのように家庭で預かるというケースもある。これは、言語の習得や、ホスト側とホストされる側との相互理解が進むので、恐らく一番望ましいやり方だろう。ただ、始めたばかりのため、ジュネーブ近郊で10ホストファミリーと規模はまだまだ小さい。

私が初めて語学留学でイギリスに滞在した時も、ホームステイだった。ご夫婦2人で学生2人を受け入れているこじんまりしたご家庭で、3食付き。引退した旦那さんは料理好きで、それこそ、毎日数時間はキッチンにこもって料理をしていた。

奥さんはキプロス出身の方だったから、それは美味しい地中海料理を作ってくれて、4カ月で5キロくらい太った。毎日ご飯を一緒にしながら、いろいろなことを教えてもらった。フランス語の勉強をしている時はスイス人夫婦と同居した。そちらの旦那さんはワインが好きな内科医だったので、絶対、試験には出ないワイン関連のフランス語だけ、ずいぶん鍛えられたような気がする。

学生寮のような賑やかさがある「核シェルター」と「ホームステイ」。選べるなら、どちらがいいだろうか?来月には難民受け入れをしているホストファミリーのお話を聞かせていただく予定だ。

(おわり)

田邑恵子(たむら・けいこ)

北海道生まれ。北海道大学法学部、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院卒。人口3千人という片田舎の出身だが、国際協力の仕事に従事。開発援助や復興支援の仕事に15年ほど従事し、日本のNPO事務局、国際協力機構(JICA)、国連開発計画、セーブ・ザ・チルドレンなどで勤務。中東・北アフリカ地域で過ごした年数が多い。美味しい中東料理が大好きで、食に関するアラビア語のボキャブラリーは豊富。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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