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【難民危機、クロアチア国境ルポ】自由に向かって走れ! 希望のバトンは渡された

木村正人在英国際ジャーナリスト
クロアチア国境を目指してトウモロコシ畑の道をゆく難民たち(筆者撮影)

有刺鉄線に引っ掛かったぬいぐるみ

[セルビア・ホルゴシュ、シド発]欧州連合(EU)加盟国のハンガリー・ロスケと非加盟のセルビア・ホルゴシュの国境を目指して、ギリシャのアテネから高速バスに乗車した。23時間の長旅だ。料金は61ユーロ(8265円)。洪水のように押し寄せる難民をシャットアウトするため、高速道路の国境は閉鎖されていた。

ホルゴシュの隣町スボティッツァのガソリンスタンドで下ろされた。20日の午前6時前。外はまだ真っ暗で、少し肌寒い。店員に教えてもらった近くのバスステーションでホルゴシュ行きのバスを確かめる。ハンガリー国境が完全に閉鎖されているため、ホルゴシュ行きのバスは1台も運行していないという。

国境まで、まだ30キロ前後ある。タクシーで国境検問所を目指すことにした。セルビア通貨はディナールだが、ユーロなら片道料金で30ユーロ(約4千円)という。1キロ当たり1ユーロ。少し高いと思ったが、ギリシャ・コス島と同じ料金だ。タクシーに乗ってしばらく走行すると、暗闇の中から国境に設けられた鉄の扉とカミソリ付き有刺鉄線の不気味な影が浮かび上がってきた。

ハンガリー国境には有刺鉄線が張り巡らされ、警官が警備していた(筆者撮影)
ハンガリー国境には有刺鉄線が張り巡らされ、警官が警備していた(筆者撮影)

国境につながる道路には人っ子一人いない。16日には、数百人のシリア難民らが金網を突破して、警官隊が催涙ガスと放水銃を使用した。少なくとも警官20人と子供2人が負傷、「テロリスト」1人を含む29人が拘束されたという(ハンガリー当局の発表)。

有刺鉄線に引っ掛かったアヒルのぬいぐるみ(筆者撮影)
有刺鉄線に引っ掛かったアヒルのぬいぐるみ(筆者撮影)

いくつもの簡易テントが道路端に放置され、子供たちの靴、洋服、ぬいぐるみや毛布など生活用品が泥まみれになって散乱していた。有刺鉄線のフェンスに近づくとハンガリー側から強いライトで照らされた。不審者が近づかないか、屈強な警官が厳重に見張っていた。有刺鉄線にアヒルのぬいぐるみがポツンと引っ掛かっていた。

難民の残した生活用品を拾う人たち

難民が残していった生活用品を拾うロマの人たち(筆者撮影)
難民が残していった生活用品を拾うロマの人たち(筆者撮影)

夜が明けると、一人、二人と人影が動き出した。難民が残していった生活用品を拾いに来た流浪の民ロマの人たちだ。厳しい冬を越すために、使える毛布や衣類を集めに来たのだ。難民は完全封鎖されたハンガリー国境を避け、クロアチア国境に迂回している。クロアチア国境を目指して歩き始めると、スボティッツァ方面からタクシーが走ってきた。

呼び止めて料金を交渉する。難民たちが目指すクロアチア国境の街シドを取材して、今夜泊まるホステルのあるノービサードまで送ってもらうと走行距離は300キロに達する。運転手の男性は「300ユーロ(約4万円)」という。やはり1キロ当たり1ユーロ換算だ。

「200ユーロにならないか」と値段交渉すると、英語を話す息子のイワン・パリヤさん(35)をガイド役兼運転手として使ってくれという。イワンさんはプロのカメラマンで、難民問題も追いかけてきた。「渡りに船」とはこういうことだ。父親からの携帯電話で起こされたイワンさんの運転で国境の街シドを目指した。

グーグルマイマップで筆者作成
グーグルマイマップで筆者作成

「私も難民でした」

24年前、11歳のとき難民としてサラエボを脱出したイワン・パリヤさん(筆者撮影)
24年前、11歳のとき難民としてサラエボを脱出したイワン・パリヤさん(筆者撮影)

カリブ海巡りのクルーザーに乗り込み、写真を撮影していたというだけに、イワンさんの英語は舌を巻くほど流暢だ。車中、怒りをぶつけるように話し出した。

「ハンガリーの警官隊と難民が国境検問所で衝突した際、難民の1人がカミソリ付き有刺鉄線の下からハンガリー側に子供を潜りこませようとしました。その時、子供の頬が有刺鉄線で切れたのです。にもかかわらず、ハンガリーの警官隊は子供をセルビア側に押し返したのです」

「私はハンガリーの人々を一括りにして糾弾するつもりはありません。しかし、これが人間のすることなのでしょうか。まず子供を助けて手当てをしてから、越境問題について処理すれば良いでしょう」

「ハンガリーはセルビア国境に敷設した高さ3.5メートル、全長175キロの有刺鉄線をルーマニア国境やクロアチア国境にも延長しようとしています。自分の国を難民から守るため有刺鉄線の壁で囲い込もうとしているのです。これがハンガリーの現在の姿です」

イワンさんの父親は26年間、セルビア陸軍で働いた。ユーゴ内戦が始まった1991年、家族は多民族のボスニア・サラエボで暮らしていたが、父親は妻とイワンさんら子供2人をスボティッツァに疎開させた。イワンさんは11歳、妹は6歳だった。ユーゴ内戦では約200万人が難民になった。

「今のシリア難民と同じで、家も何もかも失いました。ビデオやレコード、オウムのカゴ、衣服を持って逃げました。二度と思い出したくない悪夢です」

死ぬ恐怖を味わった人間の流れは止められない

「ハンガリーは警官隊、騎馬隊、催涙ガス、放水銃を使って、難民たちを脅して国内に入れないようにしています。しかし、内戦で、そのまま留まれば殺害されるというこれ以上ない恐怖を味わった人間の流れを止めることはできません。彼らを受け入れて、安全な場所を提供してやるべきなのです」

シドへの道中、難民が空き家で雨露や寒さをしのぐ簡易の「難民キャンプ」は1カ所にしかなかった。パキスタンやバングラデシュ、アフガニスタンからの難民ばかりで、シリア難民は1人もいなかった。道中、道路を歩いている難民とも、まったく出くわさなかった。

イワンさんの解説では、難民はギリシャやマケドニアから高速バスで次から次へとやってくる。セルビアのベオグラードからタクシーで国境を目指す難民も少なくない。1キロ当たり1ユーロは「難民価格」だったのだ。

ギリシャ・コス島で感じたように、難民は比較的裕福なシリア難民、そうでないシリア難民、クルド人のシリア難民、次にイラク、イランからの難民とそれ以外のパキスタンやバングラデシュ、アフガニスタンからの難民に分かれている。

合法な脱出ルート

クロアチアとの国境に近づいてきた。高速バスはクロアチアとの国境検問所には向かわず、トウモロコシ畑の脇道に入っていく。バスから下りてきた難民たちとトウモロコシ畑の中を歩いて行く。「この道はどこに続いていますか」と大声を出すと、向こうから来たボランティアの女性が「非公式だけど、合法な脱出ルートよ」と笑顔で話した。

笑顔で国境を目指す難民の女性たち(筆者撮影)
笑顔で国境を目指す難民の女性たち(筆者撮影)

道端で国際的な非政府機関(NPO)の「国境なき医師団」や人権団体のボランティアが問診を行ったり、食料や飲料水を配ったりするなど、支援活動をしていた。イワンさんの話では、長距離を歩き続けたため流産したのに治療を受けられなかった女性や、肺炎を起こしているのに放置されていた少女もいたという。

イランを脱出してきたアリ・モハメディさん(31)は10人の仲間と一緒にスウェーデンを目指している。「トルコ、ギリシャ、マケドニア、セルビア経由で、2週間かかりました」。シリアから逃れてきたムハメッド・ミシェルさん(40)は8人家族。「通りでどんどん人が殺されるところで、生活することはできません」

国境を目指して走りだす2人の少年。家族の姿はなかった(筆者撮影)
国境を目指して走りだす2人の少年。家族の姿はなかった(筆者撮影)

両親を失ったのか、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から支給された支援物資の袋を2人で持って、走り出す幼い少年もいた。笑顔の少女もいた。みんながクロアチア国境を目指していた。

自由まで、あと、もう少しだ(筆者撮影)
自由まで、あと、もう少しだ(筆者撮影)

放水銃や催涙ガスで泥まみれになった子供の靴や洋服が散乱するホルゴシュの道に比べ、国境に繋がるトウモロコシ畑の道は暖かかった。太陽の温もりが足の底から伝わってくるようだった。クロアチアの警察がパトカーを止めて待っていた。遠くにクロアチアの国旗と国境検問所が見える。

クロアチアの警官は難民たちの国境越えを黙認した(筆者撮影)
クロアチアの警官は難民たちの国境越えを黙認した(筆者撮影)

難民の男性が聞く。「この道は開いていますか」。クロアチアの警官は黙って頷いた。希望のバトンは、かつてユーゴ内戦を戦ったセルビアからクロアチアに渡された。難民はクロアチア経由で再び、ハンガリーやスロベニアなど領域内の移動が自由なシェンゲン協定国を目指すのだという。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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