さらばエリート 左派の反骨が旋風おこす――英労働党コービン人気の理由を探った
「生産手段の再国有化を」
筋金入りの左派、ジェレミー・コービン氏(66)が英最大野党・労働党党首選の先頭を走る。投票は10日に締め切られ、結果は12日に発表される。「保守党サッチャーの跡取り」「米国のプードル」と揶揄されるブレア元首相とは明確な一線を画すコービン氏。影の薄い他の3候補とは人間の厚み、言葉の重みが違う。
1990年代後半、若きブレアに率いられ、「ニューレイバー(新しい労働党)」ともてはやされた労働党は先の総選挙で惨敗して瀕死の状態。赤よりも赤いコービン人気は社会主義ユートピアへの束の間の陶酔を意味するのか、それとも新しい政治の誕生か。コービン氏を追いかけた。
ロンドンのリバプールストリート駅から列車で1時間40分弱。英東部ノーフォークのディス駅に着いたのは日曜日の7日正午過ぎ。偶然、コービン氏と同じ車両に乗り合わせ、「日本のジャーナリストです」とあいさつした。
コービン氏は洗いざらしのシャツを着て、襟元には下着がのぞく。使い古しのカバンを持つ老学者、また街のどこにでもいそうな、少し学がある初老のおじいちゃんといった感じだ。実際、孫の男の子がコービン氏にまとわりつく。
「1時からバーストン・ストライク・スクールでイベントがあるよ」とコービン氏。「その取材で来ました」と筆者が握手を求めると気軽に応じてくれた。その手は柔らかく、優しかった。コービン氏の一行は、アフリカからの難民女性、孫を含め5人。車中でもまったく目立たない。
バーストン・ストライク・スクールは1914年、児童たちが自分たちの先生と解雇された農業従事者を支援するため長期間ストを打った歴史的な場所だ。夏のような日差しの下、芝生の広場にコービン人気を自分の目で確かめようと座りきれないほどの人が集まった。
筋金入りの社会主義者
コービン氏は社会主義者である。それも筋金入りの。ブレアが無効にした生産手段の国有化条項を生き返らせようとしている。「強欲な金融街シティーを私たちの手に取り戻そう。再国有化しよう」とコービン氏が演説で訴えると、聴衆たちから歓声が起きる。
どうしてバンカーたちのマネーゲームのつけを貧者の血税で払わなければならないのか。しかも緊縮財政で社会保障費は切り捨てられる。その元凶を作ったのは他ならぬブレアとブラウンという労働党の首相なのだ。労働党の支持者は自己嫌悪に陥っている。
コービン氏の新しさは、党エリートによる密室政治との決別を訴えていることだ。1人ひとりの有権者と同じ目線で政策を訴える。「どんな政治をするのか。どのように政策を発展させていくのか。あなたたちのインスピレーションとイマジネーションが求められています。私たち全員が政治と政策決定に参加するのです」
「大切なのは草の根のアイデアです」。そこから政治と政策が生まれてくるというデモクラシーへの楽観主義。政治をエリートから私たちの手に取り戻そう。「レーガンやサッチャーの唱えた新自由主義の息の根を止めよう。強欲な資本主義に代わる選択肢を」
コービン氏の唱える経済政策は荒唐無稽だ。「英中央銀行のイングランド銀行は公共インフラに投資する資金を作り出すため、いつでもお金を刷ることができる」「租税回避や脱税を取り締まれば1200億ポンド(約21兆7千億円)の税収が生まれます」
これに対し、英国の経済学者55人が「生産手段の再国有化は税金の無駄遣い」「コービン氏が唱える経済政策コービノミクスは主流の経済学とは相容れない」と批判する公開文書を発表した。
NHS(国営医療制度)職員のジョー・ライスさん(38)は「労働党はブレアに率いられるようになってから経済政策でも外交・安全保障政策でも右旋回してしまった。コービンはブレアとは違います。次の党首になるにふさわしい人物です」という。
これまで1度も選挙で投票したことがないセバスチャン・ギバートさん(26)はバイクを飛ばして青空演説会にやってきた。「コービンが労働党の党首になったら、投票に行こうと思っています。これまでは最悪か、それよりちょっとマシという選択肢しかありませんでした。それなら投票に行かない方がマシでした。しかしコービンは違います」
この20年、労働党を支持するのをやめていた化粧品会社勤務、シャーロット・アームストロングさん(40)は娘のリアノンさん(17)を連れてきた。「コービンは真実を人間の言葉で語ってくれます。純粋だと感じます。難民の問題でも政治家には責任があるはずです。コービンはそれを理解している政治家です」と目を輝かせた。
子供の教育めぐり離婚
コービン氏の政治に対する信念を物語るエピソードがある。選抜制の英国伝統の進学校グラマー・スクールに11歳の息子を進学させるかどうかで、妻と対立したときだ。
妻は言った。「子供の教育は私の絶対的な優先事項です。息子はグラマー・スクールに行かせるべきです。それ以外の選択肢はありません」
コービン氏は政治的信念を曲げようとはしなかった。「教育は皆が平等に受けるべきものだ。11歳で選別するのは間違っている。息子は地元の総合制中等学校コンプリヘンシブ・スクールで学ばせる」
労働党のブレア元首相、ハーマン元社会保障相も口先では選抜制のないコンプリヘンシブ・スクールを支持していた。しかし実際には限られた人しか進学できない国庫補助学校やグラマー・スクールに自分の子供を進学させたことが大きな論争を呼んでいた。
「子供の教育をあなたの政治キャリアの犠牲にはできないわ」。妻は夫婦関係の継続より、息子のグラマー・スクール進学を選んだ。夫婦は1999年に離婚した。
「オサマ・ビンラディン暗殺は悲劇」
「保守党の政策と大して変わらなかったのが総選挙の敗因だ。労働党は党員を増やし、強い社会運動を引き起こさなければならない。結局、労働党に求められているのは不平等と貧困を英国からなくすという絶対的な情熱なのだ」
こう訴えるコービン氏にブレアのような派手さはかけらもない。しかし、その支持は燎原の火のごとく広がっている。
最初は立候補に必要な下院議員35人の推薦も集めるのに四苦八苦した。「左派の議論も必要」という同情票で最終的に36人の推薦人を集めることができた。
それが世論調査で本命バーナム影の保健相を抜いて首位を独走している。「コービン氏が労働党の党首になれば、次の総選挙は勝ったも同然」と、裏で保守党がコービン人気を盛り上げているという謀略説まで流れる。
先の総選挙で旋風を巻き起こしたスコットランドの地域政党・スコットランド民族党(SNP)のスタージョン党首が原潜による核ミサイル・システムの廃止、医療・教育制度の充実を掲げるのと同じように、コービン氏も核抑止システムの廃絶、反緊縮、富裕層への課税強化を唱える。
コービン氏はかつてサッチャー首相を狙った爆破テロの直後にIRA(アイルランド共和軍)の前科者を議会に招待して批判されたことがある。レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラやパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスにも一定の理解を示す。
そして今、「米中枢同時テロも国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディン暗殺も同じように悲劇だ。解決策は戦争ではなく法律によるべきだ」という過去の発言が物議を醸している。
ブレアの警告
コービン氏は、ブレア政権が誕生した1997年以降、実に500回も労働党の方針に背いて議会で投票している反骨者だ。
労働党党首選の投票方法は、4人の候補者に順位をつける「順位指定投票制」で得票率が過半数に満たない場合、最下位の候補者の票から順に50%を超えるまで残りの候補者に振り分けていく。
投票権者を登録する最終日、実に16万人の駆け込み登録があり、計61万人が労働党の明日を決める。ブレア元首相は「わが党は目をつぶり、下に尖った岩がある絶壁に手をかけながら歩いている」と警告するが、もはや誰にもコービン氏を止められそうにない。
(おわり)