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日本の民主主義は目覚めるか 橋下市長が問いかけた直接民主制のインパクト

木村正人在英国際ジャーナリスト

高まる関心

大阪市を5つの特別区に解体する大阪都構想の住民投票は否決された。が、日本でも憲法改正の国民投票法が整備され、安倍晋三首相が憲法改正を政治目標に掲げているため、直接民主制への関心が否が応でも高まっている。

アイルランドでは、同性同士の結婚(同性婚)を認める憲法改正の是非を問う世界初の国民投票が行われ、賛成62.1%で承認された。アイルランドは8割以上の国民がカトリックで、同性愛が処罰の対象でなくなったのは一昔前、1993年のことだ。

それだけに国民投票の結果が今後、アイルランド社会に与える影響は極めて大きい。ダブリン大司教区のディアミド・マーティン大司教は同国の公共放送RTEに「社会革命が起きている。カトリック教会は現実に向き合う必要がある」と述べ、時代の変化に柔軟に対応する考えを示した。

これまで国民投票や住民投票を通じた直接民主制は、多数意見をマイノリティーに押し付ける「多数の専制」をもたらす恐れがあると批判されることが多かった。しかし、アイルランドの国民投票は、同性愛者というマイノリティーの権利を促進した例として歴史に刻まれるだろう。

日本では4月1日から、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認めて証明書を発行する条例が全国で初めて東京・渋谷区で施行されている。しかし、渋谷区以外では法的権利を守りたい同性愛者はこれまで通り養子縁組をしなければならない。

間接民主制(議会制民主主義)では利益団体による圧力、政治的妥協を通じて法律が制定されたり、政策が決定されたりする。そのため既得権に縛られ、政治や政策の判断が保守的になりがちだ。日本でも、アイルランドのように直接民主制(国民投票)で同性婚を認める日が来るのだろうか。

青空議会

答えは「ノー」である。なぜなら今の日本国憲法で認められている直接民主制は(1)最高裁判所裁判官の国民審査(2)都構想の住民投票のような地方特別法の制定に関する住民投票(3)憲法改正に関する国民投票――の3つだからだ。

しかし同性婚を認める地方自治体の住民投票が行われる日は日本でも遅かれ早かれやってくるかもしれない。総選挙で選ばれた議会が絶対的な主権を持つ「議会主権」の国、英国でも1970年代から国民投票が頻繁に行われるようになっている。

昨年9月にはスコットランド独立を問う住民投票が行われ、2017年末までに今度は欧州連合(EU)に残留するか、離脱するかを問う国民投票が実施される。直接民主制が国のかたちを決める時代がやって来たのだ。

スコットランド独立の住民投票は否決されたものの、先の総選挙で地域政党・スコットランド民族党(SNP)が同地方の定数59のうち56議席を占めた。英国は現在の「連合王国」から「連邦国家」に移行する可能性が強まっている。そうしなければ、国家としての統合を維持するのも難しくなる。

間接民主制を補完する形の直接民主制は、現代の国家にとって、もはやなくてはならないものになっている。直接民主制と言って、すぐに思い浮かぶのはスイス。アッペンツェル・インナーローデン州とグラールス州の「ランツゲマインデ(青空議会)」は直接民主制の形をそのまま今に残している。

ランツゲマインデとは、州のすべての有権者を広場に集めて法案の可否を問う集会のことだ。中央の台で議長が読み上げる議題に対して挙手によって票決をとっている。

地域の自治会やマンションの管理組合レベルの規模なら可能かもしれないが、完全な直接民主制を現代に再現するのは難しい。しかし、スイスにならって、有権者が一定数の署名を集めれば国民投票を要求できるようにしている国は欧米、南米諸国でも増えてきている。

直接民主制の是非

直接民主制が世界的に注目されているのは、間接民主制が金属疲労を起こしているからだ。利益団体の圧力と密室で行われる分かりにくい政治的な妥協が有権者をうんざりさせている。

しかし間接民主制を担ってきた既存政党は、1人ひとりの有権者に高度な政治判断はできないと直接民主制の弊害を指摘してきた。その他にもさまざまな問題点がこれまでに取り沙汰されている。

(1)直接民主制は最初は新鮮味があるかもしれないが、国政選挙、地方選挙に加えて住民投票や国民投票の機会が増加すると投票率を押し下げる。

(2)スコットランド独立や都構想の住民投票でも見られたように、有権者は最後の最後で「現状維持」を選択する傾向が強い。

(3)少数派の権利を侵害する。争点を単純化して、対立を深める。スコットランド独立の住民投票をきっかけに、スコットランド・ナショナリズムとイングランド・ナショナリズムが覚醒してしまった。都構想の住民投票では大阪維新の会VS自民・民主・公明・共産といった既存政党の対立が先鋭化した。

(4)為政者の権威付けに利用される危険性がある。この恐れがある場合は、レファレンダム(国民投票、住民投票)ではなく、「プレビシット」と呼ばれる。ナポレオンやヒトラーが行ったことで有名だ。

(5)キャンペーン資金の潤沢な方が有利だ。

日本では住民投票は原発や在日米軍基地の是非をめぐって行われることが多い。都構想の住民投票と異なり、こうした条例に基づく住民投票は法的拘束力を伴わないものの、日本では慎重な意見が目立つ。

政治のアカウンタビリティー

しかし、筆者は今回の都構想の住民投票を通して、間接民主制を活性化させる意味で直接民主制の役割が非常に大きいことを実感した。

都構想を推進する橋下市長や大阪維新の会が600回以上のタウンミーティングを実施したことからも明らかなように、直接民主制は政治のアカウンタビリティー(説明責任)を格段に増す。

有権者の地方自治への関心が高まった。何より政治家と有権者の距離、政治の距離を一気に縮めることができた。残念なのは都構想へのネガティブキャンペーンが氾濫したことだ。

大阪市議会の自民、公明両党が対案として出した大阪府と大阪市間の「調整会議」、行政区の権限を強化する「総合区」制度と、都構想の長所、短所が十分に議論されなかった。

難しい法制定や政策決定は職業政治家に任せていれば良いという考え方は時代遅れだ。政治家が有権者に政策を丁寧に説明し、その判断を仰ぐ。橋下市長は敗れたとは言え、49.6%もの支持を得たことが政治手法の正しさを物語る。

住民投票で否決されたあと、橋下市長が政界引退を表明したことからも分かるように、この住民投票がヒトラーやナポレオンがやった政治的権威付けの「プレビシット」でなかったことは明らかだ。橋下市長は独裁者ではなく、徹底的に都構想という政策にこだわっただけだ。

憲法改正の国民投票

さて次の関心は憲法改正の国民投票だ。筆者は30年以上、憲法改正を支持してきた。しかし、安倍首相とその周辺の保守派が推進しようとしている憲法改正には正直言って、大きな疑問を感じている。

米議会上下両院合同会議で演説する安倍首相(首相官邸HPより)
米議会上下両院合同会議で演説する安倍首相(首相官邸HPより)

まず、米議会上下両院合同会議での演説からも感じられるように、安倍首相は岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎と続く一門のレガシー(遺産)を強く意識している。

次に政権を長期化するため、解散権を行使した点である。欧米社会では、自らの政権基盤を強化するため解散権をむやみに行使すると、厳しい批判にさらされる。安倍首相の場合、総選挙を「プレビシット」に使ったという見方もできる。

高齢化のため医療・年金などの歳出が膨らみ、財政再建が大問題になる中、長期的にじっくり政権運営に取り組む必要がある。政府債務が国内総生産(GDP)の240%を超える日本に無用な解散をしている余裕などない。

権力は中央から地方へ、上から下へと分散している。それが世界のトレンドだ。家父長型の政治スタイルを好む安倍首相が憲法改正の国民投票を通じて目指しているものは何か。中央集権体制の強化か、それともレガシー作りの総仕上げか。

21世紀、憲法改正の主役は安倍首相ではなく、国民1人ひとりであってほしい。国民投票は政治的権威と権力を国民から首相1人に吸い上げるものではなく、国民1人ひとりに分け与えるものだからだ。

(おわり)

参考文献:シリーズ憲法の論点(2)「直接民主制の論点」国立国会図書館調査及び立法考査局

世界が注目、スイスの直接民主制(swissinfo.ch)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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