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新冷戦「プーチン露大統領の次なる標的はバルト三国」英国防相

木村正人在英国際ジャーナリスト

大ロシア主義が拡大するリスク

米国とソ連が核兵器による「恐怖の均衡」上でにらみ合った冷戦とはスケールも性質も異なるものの、欧州とロシアは新しい冷戦時代に入ったようだ。この冷戦は「本格的な戦争(ホット・ウォー)」に発展する危険性をはらんでいる。

英国のマイケル・ファロン国防相は18日、アフリカのシエラレオネに向かう機中で、「ロシアがバルト三国の不安定化を試みる現実的な危険が今そこにある。北大西洋条約機構(NATO)はあらゆる形の侵略に備えるべきだ」と語った。

2008年のグルジア紛争と14年のクリミア編入強行に端を発したウクライナ危機で、ロシアが欧州の仲間に入るというNATO東方拡大の甘い理想は完全に潰えた。プーチン大統領は、ロシア人が旧ソ連諸国の他民族に対して特権的に振る舞う大ロシア主義を掲げる。

危険な不確実性を増すプーチン大統領(ロシア大統領府HPより)
危険な不確実性を増すプーチン大統領(ロシア大統領府HPより)

「自分はロシアの子供たちを守る母なるロシアに仕える役目を負っており、国境の外側にいる子供たちも、守らなければならない」(米外交雑誌フォーリン・アフェアーズより)

この言葉がグルジアやウクライナでプーチン大統領がとった行動を雄弁に説明する。ロシアナショナリズムを前提とする領土回復主義・民族統一主義は旧ソ連諸国を恐怖に陥れるが、ロシア連邦内でも非ロシア系民族の分離独立運動を高めるリスクも秘めている。

ますます頑なになるプーチン大統領

ウクライナ危機での欧米諸国による経済制裁、原油価格とロシア通貨ルーブルの急落、ロシアからの資本逃避で窮地に陥るプーチン大統領はへたるどころか、ますます頑なになり、不確実性を増している。ロシアと国境を接する国々のリスクは確実に上昇している。

グルジア紛争やウクライナ危機で浮き彫りになったように、ロシアはロシア系住民と緊密に連携し、武器を提供、さらに通常の武力行使にサイバー攻撃やプロパガンダ戦争を組み合わせ、緊張をあおり、後方撹乱を謀る「ハイブリッド戦争」を仕掛けてくる。

ロシアの爆撃機がイギリス海峡上空など英国の領空に近づき、ロシアの潜水艦は北海で密かに活動する。ファロン英国防相の警鐘は、次は脆弱なバルト三国が狙われるということ以上に、NATOそのものの集団防衛力がロシアに試されているということだ。

戦車3台でバルト三国は守れない

バルト三国の国防力をここで確認しておこう。

ロンドンにある有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)の「ミリタリー・バランス2015」によると、エストニアの人口は125万7921人。陸軍5300人、海軍200人、空軍250人。戦車なし。戦闘機なし。

リトアニアの人口は350万5738人。陸軍7500人、海軍500人、空軍950人。戦車なし、戦闘機なし。

ラトビアの人口は216万5165人。陸軍1250人、海軍550人、空軍310人。戦車T-55が3台。戦闘機なし。

バルト3国には戦闘機は1機もなく、戦車が計3台あるだけだ。エストニアには戦争博物館に使われなくなった老朽戦車が展示されている。

どうしてこんなことになったかと言えば、クリントン米政権時代、冷戦終結で不要になった旧東欧諸国の戦車をバルト三国に回すつもりだったが、ロシアに配慮して実行せずに終わった。非常事態には米国の艦隊が戦闘機や戦車をバルト三国に急展開するという作戦だった。

しかし、ゴルバチョフ、エリツィン両大統領時代の雪解けムードはプーチン大統領が権力を掌握すると一変。グルジア紛争でプーチン大統領の本心が露わになり、NATOはあわててバルト三国や旧東欧諸国がロシア軍に侵攻された場合の非常事態対処計画を策定した。

バルト三国はNATOとの国防協力を強化。リトアニアにコントロールセンターを設け、365日24時間体制でバルト三国の領空を警戒するなど、ロシアの脅威に備えている。

一方、ロシア系住民はラトビアが全人口の26%で約52万人(2014年時点)。エストニアは全人口の7%で約9万6千人(10年時点)。リトアニアは全人口の5.8%で約17万7千人。

プーチン大統領がロシア系住民の保護を口実に動き出せば、バルト三国はひとたまりもない。東部の親露派に事実上、敗北したウクライナ軍でも戦車700台、戦闘機116機を備えていた(ミリタリー・バランス2015)。

宥和的なドイツ

08年のNATO首脳会議でウクライナとグルジアを次期加盟の「候補国」とするかどうかが議論されたが、ロシアに配慮するドイツとフランスの反対で持ち越された。

ウクライナでは10年、親露派のヤヌコビッチ大統領が誕生し、「非同盟」の立場を定めた関連法を成立させたため、NATO加盟の話は立ち消えとなった。

ドイツやフランスなど一部NATO加盟国の宥和的な態度はプーチン大統領を増長させ、ウクライナ危機を招くスキをつくってしまった。

フランスは、ヘリコプター16機と上陸用舟艇4艇、戦車13両、兵士約450人を輸送できるミストラル級強襲揚陸艦2隻をロシアから受注した。しかし、ウクライナ情勢が悪化したため、1隻目の引き渡しを「当面延期」せざるを得なくなった。

さらに問題なのはドイツが地政学をまったく理解せず、地理経済学的に欧州を支配しようとしていることだ。ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)との交渉が決裂すれば、ロシアがつけ入るスキをうかがうバルカン半島に危険な「真空地帯」を作ってしまう。

ウクライナ危機でも当初からドイツのメルケル首相が地政学に配慮してヤヌコビッチ前政権との交渉に臨んでいれば、状況をここまで悪化させずに済んでいたはずだ。ギリシャが単一通貨ユーロ圏から離脱するようなことになればバルカン半島は不安定化する。

NATOは非常事態に対応する即応部隊を1万3千人から3万人に増強し、ロシアやイスラム過激派組織「イスラム国」の脅威に備えている。ギリシャ危機再燃も含め、欧州が結束を示すことができなければ、2つの大戦を経て構築された現在の国際秩序は欧州から崩壊する危険性をはらんでいる。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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