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アベノミクス最後の賭け 日銀が予想外の追加緩和に円安・株高進む

木村正人在英国際ジャーナリスト

奇襲作戦

米連邦準備理事会(FRB)が29日、量的金融緩和の終了を決めたことから動かないとみられていた日銀の黒田東彦総裁が31日、市場に衝撃を与える最後の賭けに出た。

FRBの出口が確実になり、「来年半ばにも利上げ」の声も出る中、放って置いても円安→株高→円安が進み、安倍政権が浮揚するアベノミクス的展開が期待できると市場は考えていた。

そんな常識をくつがえすように、勝負師の黒田総裁は年60兆~70兆円ペースで増やすとしていたマネタリーベース(資金供給量)を約80兆円まで拡大する奇襲作戦に打って出た。

FRBが引き締めに向かう中、日銀が緩和を拡大すれば、日本の円安・株高は一気に進む。

黒田総裁は追加緩和の理由について、2年程度で2%のインフレという「物価目標の早期実現を確かなものにするため」と強調したが、果たしてそれだけだろうか。

これは安倍晋三首相への強烈なメッセージだ。日銀は「異次元緩和」の追加アクセルを踏んだから、次は安倍政権が来年10月に予定通り消費税率を10%に引き上げる番だ――。

経常収支の赤字転落は2016年という予測もあったが、昨年下半期と今年下半期の2半期連続で経常収支は赤字となった。国債を国内で消化できるのは早くて17年、遅くても20年ごろまでという声も出始めている。

だから「20年度に国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化」するという政府目標が至上命令になっている。

クロダノミクスの狙い

日銀は中長期国債の買い入れペースも現在の約50兆円から約30兆円増やして約80兆円にするという。平均残存期間もこれまでの7年程度から最大3年程度延長する。

新発国債だけでなく、既発国債もどんどん日銀が吸い上げていくことになる。

中央銀行がいわゆるプリンティング・マネーをする必要に迫られるのは、バブル経済が崩壊し、銀行や企業が負債を減らすバランスシート調整のサイクルに入ったときだ。

このときにいくら金利を引き下げても効果がないので、中央銀行が通貨と信用を供給してやらなければならない。しかし、金融バブル崩壊を1990年代に経験した日本の場合、企業や民間銀行は最初の「失われた10年」でバランスシート調整を終えている。

バランスシート調整が必要なのは国内総生産(GDP)の240%もの債務残高を抱えた日本政府なのだ。インフレになれば政府債務は軽くなる。長期国債を購入すれば長期金利の上昇を押しつぶせる。

日銀による国債買い入れで民間銀行の国債保有率を下げることができれば、将来発生するかもしれない金融危機リスクを縮小できる。

異次元緩和で時間を稼いでいる間に消費税増税、年金受給年齢や医療費の自己負担率などの引き上げで単年度の財政健全化を進める。クロダノミクスにはそんな隠れた狙いも込められていると筆者は考える。

誤算

黒田総裁に誤算があったとすれば、世界金融危機後の円高で生産拠点の海外移転が進み、クロダノミクスで円安転換しても輸出量が増えなかったことだ。日本製品は国際競争力を失ってしまった。

福島の事故で原発再稼働の見通しが立たず、石油・天然ガスへの依存度が高まる中での円安は輸入コストを押し上げる。経常収支の赤字転落で、通貨安政策は日本にとってゼロサムどころかマイナスになっていることがはっきりしてきた。

それでもなお日銀が円安を促進しようとする理由は何かを考える必要がある。予想外の追加緩和について金融政策決定会合は賛成5、反対4に大きく割れた。

約130兆円の公的年金資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は国内債券を現行の約6割から中長期的に35%に下げる一方、国内株式を25%に上げる見通しだ。

追加緩和による円安・株高に加えて、GPIFの運用見直しがさらに株価を押し上げるのは間違いない。問題は有権者が株価上昇に浮かれるか、消費税増税やインフレによる実質賃金の低下に痛みを感じるかである。

デフレマインドの一掃

「このところ消費税率引き上げ後の需要面での弱めの動きや原油価格の大幅な下落が、物価の下押し要因として働いている」。黒田総裁は、これまで着実に進んできたデフレマインドの転換が遅延するリスクの顕現化を未然に防ぐため、追加緩和は適当と判断した。

黒田総裁が指摘するように、国内にこびりついたデフレマインドを一掃する必要がある。価格引き下げ競争に狂奔し、若者や女性に過酷な低賃金労働を強いてきた国内サービス産業のデフレ構造をまず破壊しなければならない。

非正規雇用が拡大し、正規雇用との間に厳然たる格差が存在することも早急に解消すべきだ。デフレ脱出の大きなカギは、円安による輸入インフレではなく、賃上げ→消費拡大→賃上げの好循環を生むことだ。

中央銀行によるプリンティング・マネーは不動産や株式を所有する富裕層や外国人投資家を潤わせ、貧富の格差を拡大する危険性をはらんでいる。このため政府が富の再配分を行うことが必要になってくる。一方、高齢者に医療・社会保障の応分の負担を求めることも避けては通れない。

金融政策は株価や為替を一時的に動かすことはできても、一国の潜在成長率を向上させることはできない。長期的に潜在成長率を上げていくには構造改革に取り組むしかない。

安倍首相が首相官邸の株価チャートに一喜一憂するのではなく、極めて複雑で繊細な問題に果断に取り組むことを願っている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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