欧州は「日本化」より悪い!? 秘策・欧州中銀のマイナス金利 果たしてその効き目は
一難去ってまた一難。債務危機がようやく落ち着いた欧州の単一通貨ユーロ圏(18カ国)で5月のインフレ率が0.5%まで下がり、デフレ、低成長の「日本化」が現実の恐れになってきた。
というわけで、 「やれることはなんでもする」という名セリフで獰猛な市場を一気に手懐けた「スーパー・マリオ」こと欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁がついに奥の手を出した。
5日の定例理事会で、ECBは主要政策金利を史上最低の0.25%から0.15%に引き下げることを決定。さらに主要4中銀の中では初となる「マイナス金利」を導入、下限の預金金利を-0.1%に下げた。
これはかなり衝撃的な決定だ。ECBが未知の領域に大きく踏み出したことを意味している。
バブル崩壊後の1990年代の日本と同じで、欧州の銀行は膨らみすぎたバランスシートを一生懸命、調整している。そのため貸し剥がしや貸し渋り現象が起きて、0.25%の史上最低金利でも零細・中小企業にオカネが回らない。
これが低成長の原因とみて、ECBに民間銀行が資金を預けると逆に利子を支払わなければならない「マイナス金利」を切り札として導入しようというわけだ。
簡単にECBの金利調整について説明しておこう。主要政策金利を中心に、上限の貸出金利と下限の預金金利を設けている。翌日物銀行間取引金利はすでに下限の預金金利に近づいている。
下限の預金金利は現在0%。さらに金融緩和をしようと思ったら、この0%をマイナスにする必要がある。しかし、マイナスにすれば、民間銀行が余剰資金をECBに預けると罰金のような金利をとられる。
それなら、民間銀行は零細・中小企業に貸し出したり、国債や株式、海外資産を購入したりした方がまだマシと考えるだろう。景気浮揚、国債金利の低下、株価上昇、ユーロ安につながるかもしれない。というのが「マイナス金利」に込められた思惑だ。
2012年夏、重債務国の国債を無制限に購入すると表明して市場を味方につけ、実際には国債を買わずに済ませてしまったマリオ・マジック。今度は「マイナス金利」で二匹目のドジョウを狙っている。
金融市場は利息がつくことが大前提だ。これを中央銀行自ら崩すというのだから、効果のほども影響も予測がつかない。
英中銀・イングランド銀行のマーク・カーニー総裁もすごいが、ドラギ総裁はもっとすごい。ドイツのメルケル首相は国内世論の動向には敏感だが、市場の機微はまったく理解しようとしない。選挙に関係ないからだ。
そのメルケル首相を説得しながら、市場の空気を読み取り、対話しているドラギ総裁の手腕は相当なものだ。(これに対して、日銀の黒田東彦総裁には出身省庁・財務省の主張を代弁しているような印象を払拭できない時がある)
ECBの緩和策で市場はリスクオンに転じている。少々のリスクをとっても、これだけ金利が緩ければ確実にリターンを期待できる。
ギリシャの最大手銀行もロンドンで銀行債を発行するのに成功した。うまくいけば銀行債の発行で欧州の銀行は自己資本を増強できるかもしれない。これがマリオ・マジック第2弾のシナリオだ。
「ユーロ」という制約に縛られない英国のオズボーン財務相とカーニー総裁は、緩和策を拡大しなければならないECBとは違って、利上げの時期を慎重に見極めている。
世界金融危機で英国は一気呵成に、民間銀行のバランスシートから不良債権を切り離し、公的資金を注入して資本を増強、財政出動して危機を脱した。その後、いち早く財政再建に取り組み、住宅購入支援策を緩和した。
ロンドンの不動産市場は現在、過熱気味だが、カーニー総裁は「解決策は住宅購入支援策を締めることではなく、新しい住宅を建設することだ」と明快だ。日本もバブル崩壊後、政治と日銀がもっと大胆に正しく行動していれば「失われた20年」はなかったかもしれない。
ECBと欧州が最も恐れているのは、日本の「失われた20年」を繰り返すシナリオだ。
筆者は、欧州は日本よりもっとひどい「失われた20年」を経験することを懸念している。まず、欧州というシステムが複雑すぎる。第二に、欧州連合(EU)官僚に危機感がなさすぎる。
新著『アンハッピィー・ユニオン(不幸な連合)』を発表した英誌エコノミストのジョン・ピート欧州部長はブリュッセル(EU本部の所在地)を訪れた際、EU官僚から「欧州は危機を脱し、何の問題もないのに、どうしてそんな本を書くのか」と嫌味を言われたそうだ。
先の欧州議会選では懐疑派が台頭。フランスではEU解体を唱える極右政党・国民戦線(NF)が国内第一党になった。次のフランス大統領選を考えると、頭がクラクラしてくる。
フランスの有権者は国民運動連合(UMP)のサルコジ大統領に嫌気が差し、社会党のオランド大統領を選んだものの、これがとんでもないハズレ。消去法で欧州議会選では国民戦線のマリーヌ・ルペン党首を選んだ。
これは一時のムードではなく、潮流のような気がしてならない。
欧州の未来を大きく左右するのは、EU首脳会議でも、欧州委員会でも、欧州議会でもない。各加盟国の国内政治だ。ルペン党首が次のフランス大統領選に勝って、フランスがEUから離脱すれば、欧州プロジェクトは完全に崩壊する。
こんな大きな時限爆弾が足元で音を立て始めているのに、EUでは次期欧州委員長をめぐって、欧州議会とEU首脳会議、連邦主義者と政府間主義者の間で猛烈な綱引きが始まっている。
欧州懐疑派が欧州議会で3割近い勢力を占めているのに、欧州委員長に連邦主義者のユンケル前ユーログループ議長(ルクセンブルク前首相)を選んだら、亀裂は決定的になる。
連邦主義者は「モア・ヨーロッパ」を唱え、懐疑派は「レス・ヨーロッパ」を叫ぶ。未知の領域に踏み込んだECBのドラギ総裁にはこんな状況下、「マイナス金利」を含む緩和策しか道が残されていなかったのだ。
2013年、ユーロ圏の成長率は域内総生産(GDP)で前年比マイナス0.4%。ギリシャはマイナス3.9%、キプロスはマイナス5.4%だった。今年4月の失業率はユーロ圏が11.7%。25歳未満の若年失業率はギリシャが56.9%、スペイン53.5%、イタリア43.3%。
これで「何の問題もない」と言い切れるEU官僚の感覚にはあきれるばかりだ。
欧州の銀行はまだ大きな問題を抱えている。世界銀行の13年データから不良債権比率(Bank nonperforming loans to total gross loans,%)を見ると、ユーロ圏でギリシャ31.3%(フィナンシャル・タイムズ紙による最新数値は32%)、キプロス30.3%、アイルランド24.6%(同27.8%)、スロベニア18%、イタリア15.1%(同16.9%)、スペイン8.2%(同12.6%)。
EU加盟国でルーマニア21.6%、ハンガリー17.6%、クロアチア15.4%、非EUではセルビア20.6%、ボスニア15.1%だ。
これはバブル崩壊後の日本に比べても相当悪い。日本は現在2.3%、米国は3.2%、英国3.7%(12年)。
EUはこれからストレステストを実施して、10月に結果を発表する予定だ。日本は民間銀行のバランスシートを調整するのに10年かかった。意思決定メカニズムが日本よりはるかに複雑なEUではどれぐらいの速度でバランスシート調整が進むのだろう。
FT紙は欧州の銀行のバランスシートは30兆7千億ユーロ規模と報じている。2018年までに1兆ユーロの追加資産圧縮が必要だが、資産圧縮のペースはゼロに近づいているそうだ。
このため、公的資金から4千億ユーロの資本注入が避けられないと言われても、懐疑派に投票した有権者が果たして首をタテに振るのだろうか。筆者の目には、「マリオ・マジック」は低成長と高い失業率という激痛を弱めるモルヒネにしか見えないのだが。
(おわり)