Yahoo!ニュース

特定秘密保護法「知る権利」「報道の自由」を考えよう

木村正人在英国際ジャーナリスト

「デートもできない警職法」

安倍政権は25日、国家機密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案を閣議決定し、国会に提出した。

安倍晋三首相の祖父、岸信介首相が1958年、警察官の職務権限を強化するため警察官職務執行法の改正案を出したが、「デートもできない警職法」と反対運動が高まり、撤回に追い込まれたことがある。

夜、公園でデートしていると警察官に不審尋問され、予防検束されるようになるぞ、というわけである。

反対77%

特定秘密保護法案に関するパブリックコメントは77%が反対、賛成はわずか13%。法案審議を強引に進めれば、「知る権利」や「報道の自由」を損なうとの反対意見がさらに強まる恐れもある。

それこそ「取材もできない特秘法」というキャンペーンが起きるかもしれない。

日本版の国家安全保障会議(NSC)を運用するのに機密保持が欠かせないためだが、特定秘密保護法案は「知る権利」と「報道の自由」に密接に関わる問題だけに拙速は禁物で、安倍政権は法案を十分に説明する必要があるだろう。

情報を握るのは国家か国民か

「米合衆国憲法の父」と呼ばれる米国の第4代大統領マジソンは「国民が情報を持たず、情報を入手する手段を持たないような国民の政府というのは、喜劇への序章か悲劇への序章か、あるいはおそらく双方への序章に過ぎない」と述べている。

情報を管理する国家が国民を支配するのか、情報を手にした国民が国家を形作るのか。一から建国した米国は後者の道を選んで発展を遂げ、前者の形に固執し続けた大英帝国は崩壊した。

米国が日本に特定秘密保護法制定を求めた背景には、日本からの機密漏洩に加え、告発サイト・ウィキリークスへの米軍機密文書・米外交公電流出や米中央情報局(CIA)元職員エドワード・スノーデン氏の機密漏洩などへの危機意識があるのは間違いない。

メルケル独首相の携帯まで盗聴していた米国

その米国からデジタル化された情報が大量に流出し、ドイツのメルケル首相ら同盟国首脳の携帯電話まで米国が盗聴していたことが発覚、同盟国間の不和を引き起こしているのは皮肉である。

デジタル化の時代、厳罰化だけでは機密漏洩は防げないことを米国自らが証明してみせた格好だ。

知る権利や取材の自由を尊重

菅義偉官房長官は「情報漏洩に対する脅威が高まっている」と特定秘密保護法案の必要性を強調する一方で、「国民の知る権利や取材の自由を十分に尊重」して法案を検討したと説明した。

特定秘密とは(1)防衛(2)外交(3)スパイ活動(4)テロの4分野で「日本の安全保障に著しい支障を与える恐れがある」とみなされたものを指す。

故意に漏洩した公務員は懲役10年以下、提供を受けた者も懲役5年以下。現行の国家公務員法では守秘義務違反は1年以下の懲役だから、かなり厳罰化されている。

取材活動を萎縮させかねないという批判を受け、法案は「国民の知る権利の保障に資する報道または取材の自由に十分配慮しなければならない」と定めた。

秘密国家・英国の現実

筆者が暮らす英国では、かつて1911年公務秘密法第2条で秘密か否かを問わず公務員が職務上知り得た情報の伝達を禁じ、ほとんど無制限に公務員の職務上の知識が漏洩処罰の対象とされていた。

サッチャー政権下の89年、同2条は削除されたが、情報開示には新たな制限が加えられた。各大臣は国民の開示請求に応える必要はなく、議会への説明責任を果たせば十分と考えられていたからだ。

英国は「国民主権」ではなく「議会主権」の国として知られるが、政府の権限が強い「秘密国家」だったということもできる。

ブレア政権になってようやく2000年に情報公開法が制定されたが、施行されたのは5年後。それでも情報公開は十分には進まなかった。

英兵士の義憤が暴露した議員経費不正

09年に英政界に激震を走らせた議員経費の不正請求問題。公開に先駆け、職員により重要情報を黒く塗りつぶす作業が行われていたが、情報が外に漏れないようにアルバイト警備員が見張っていた。

アルバイト警備員はイラク戦争から帰還し、次はアフガニスタンに派兵されることになった英軍兵士だった。自分で装備を補強する資金をつくるため、アルバイトをしなければならなかったのだ。

イラクやアフガンでは十分な装備が支給されず、たくさんの兵士が命を落とした。議員経費の不正請求に義憤を感じた兵士が、全資料が入力されたディスクを持ち出し、英メディアに持ち込んだ。

住宅ローンの支払いからアダルト映画視聴料、アヒル小屋の費用までありとあらゆるものを経費として国民につけ回しするという議員たちのあきれた実態が暴露された。

ディスク持ち出しの犯人探しは行われなかった。

スノーデン・ショック

英国で機密を公開したり、メディアにリークしたりした情報員や公務員が摘発された例はこれまでにもあったが、スノーデン氏の機密漏洩は国家の安全保障を根底から揺るがす事態を引き起こしている。

イスラム過激派によるテロ防止の最前線に立つ英情報局保安部(MI5)のアンドリュー・パーカー長官は今月8日、ロンドンで講演し、「情報機関による情報活動の詳細を明らかにすることはテロリストを利するだけだ」と述べ、暗に英紙ガーディアンの報道を批判した。

同紙は6月以降、スノーデン氏から入手した機密資料を基に米国家安全保障局(NSA)や英政府通信本部(GCHQ)による個人情報の収集活動を暴露している。

電子メールや動画投稿サイトのユーチューブ、フェイスブックやツイッターなどのソーシャル・メディアの普及で電子データは幾何級数的に増殖し、「ビッグ・データ」と呼ばれるようになった。

報道の意義

スノーデン証言を連続スクープしたガーディアン紙は「個人データの量も情報活動の範囲も飛躍的に拡大する中で、サイバー空間で密かに行われている情報活動の是非を問い直す必要がある」と報道の意義を強調した。

NSAが大手検索サイトのヤフーやグーグル、フェイスブックと協力して個人情報を収集したり、インターネット上の情報を第三者に傍受されないようにする暗号化技術を解読したりしていた実態を暴き出した。

暗号化技術の解読に成功すれば、フリーパスであらゆるインターネット上の個人活動を監視できるようになる。

一体誰が、いつ、インターネット上を飛び交うすべてのプライバシーにアクセスする権利を情報機関に与えたのかというのがガーディアン紙の問い掛けである。

記者のパートナーを拘束

しかし、ガーディアン紙がスノーデン氏から入手した資料には命懸けで情報活動に携わる情報員の名前まで含まれていた。

このため、キャメロン政権は同紙にスノーデン氏から入手した資料の破棄を命じたり、記事の執筆者のパートナーを拘束して所持品を没収したりする強硬手段に出た。

「報道の自由」は「国家の安全」を守るためには制限されてもやむを得ないというわけだ。

薄っぺらな論理

9・11後に初代英内閣安全保障・情報問題委員会議長を務めたデービッド・オマンド元GCHQ長官はシンクタンク、英王立国際問題研究所での講演で、「2005年のロンドン同時爆破テロ以降、10数件のテロ計画があった」ことを明らかにした。

年間のテロ対策費は米国が1兆ドル(約97兆円)、英国が30億ポンド(約4700億円)にのぼっているという。これだけの予算をかけて集めた機密をスノーデン氏1人に暴露されたわけだ。

そのオマンド氏は英メディアに対して「インターネットの自由を問うことこそ公共の利益だというスノーデン氏の論理は薄っぺらだ」と切り捨て、「スノーデン氏による漏洩は英国の情報機関にとって最も破局的な損害だ」と指摘した。

漏洩したデータを中国やロシアが詳細に分析しているとみて間違いないだろう。

情報活動にも必要なチェック・アンド・バランス

オマンド氏は「議論のために必要な内部告発と、国家の安全に深刻なダメージを与える機密の大量漏洩は明確に分けて議論する必要がある」という。

国家の安全をオマンド氏とスノーデン氏のどちらに託すかと聞かれれば、筆者はためらわずオマンド氏を選ぶだろう。国際都市ロンドンは常にテロのリスクと背中合わせである。

携帯電話やインターネット上の通信傍受、防犯カメラ、クレジット・カードや公共交通機関のパスの使用記録がテロ対策に活用されていることに疑問を持つ人はいないだろう。

いつ、どこで起きるか分からないテロに対抗する有効な手段がそうした情報活動だからだ。しかし、国家権力による情報活動はもちろん無制限であって良いはずはなく、議会の秘密会などによる監督が必要になってくる。

藤原紀香さんのブログ

日本では女優の藤原紀香さんが自身のブログで特定秘密保護法案について「国に都合よく隠したい問題があって、それが適用されれば、私たちは知るすべもなく、しかも真実をネットなどに書いた人は罰せられてしまう。。。なんて恐ろしいことになる可能性も考えられるというので、とても不安です」と書き込んだ。

特定秘密保護法案に対する国民の率直な感想だろう。

その一方で、死者13人、負傷者約6300人を出した1995年の地下鉄サリン事件の記憶が生々しいが、テロを防ぐための情報収集能力がいったい、どれだけ向上したのだろう。

「国家の安全」を守る秘密国家か、それとも「知る権利」や「報道の自由」を重んじる自由主義国家か。

二者択一の問題というより、両者のバランスをとり、国家の機密活動が暴走するのを防ぐチェック機能を働かせることが肝要なのだろう。

英国流・報道の自由

筆者が主宰する「つぶやいたろうジャーナリズム塾」でも「知る権利」と「報道の自由」を議論した。以下は2期生Yayoi Kikuchi Hassallさん(シティー大学ロンドン・ジャーナリズム学部)が執筆したコラムである。日本と英国のメディアの違いがよく出ている。

機密を漏らした公務員らの罰則を強化する特定秘密保護法案をめぐり、「知る権利」や「報道の自由」について、さまざまな議論がなされている。

法案が成立した場合、「知る権利」や「報道の自由」にどのような影響があるのか。ジャーナリズムを学ぶ者にとって、とても興味深いトピックだ。

私たちは、情報がコントロールされることでの影響や弊害を、これまで以上に真剣に考える必要があると思う。日本における「知る権利」をめぐる議論は、英国の基準と照らし合わせたときに、不十分と感じられるからだ。

私が英国に来て、一番、目を見開かされたのは、テレビ番組の内容だった。日本人の常識からすると、「ここまで表現することが許されるのか」と考えさせられた。

日本のメディアとの差に驚き、私たちが本当に知りたい情報が、どのようにコントロールされているのかが非常に気になるようになった。それが、英国でジャーナリズムを学ぶ動機へつながった。

私の記憶に最も残っているのは、英BBC放送の「Kill It Cook It Eat It」。牛、豚、羊などの家畜が屠殺され、食肉へと加工された後、食卓に料理として出るまでの過程を見せる番組だった。

家畜銃を頭に打ち込んで屠殺し、体を吊るして血抜きする場面には衝撃を受け、恐ろしい光景を目にしてしまったと感じた反面、実際に起こっているこの出来事を理解することで、食物を口にすることへのありがたさを再確認できるのだと思った。

子どもに学ばせる目的で見せるには、衝撃が強すぎるかも知れない。しかし、百聞は一見に如かずという言葉の通りで、見ることでしか学べないことがあるのは事実である。

英民放Channel 4の性教育番組「The Sex Education Show」にも驚かされた。ある放送では、高校生の男女生徒たちを前に、何人かの全裸の男性が登場する。

そこで、男性の性器の形状 は人により様々で、そこにいた男性のどれもが正常で、心配はいらないのだと医師が説明する。映像に、ぼかしなどの処理はされていない。

現在、同チャンネルでは、「Sex Box」という番組を放送しており、こちらは大きな議論を呼んでいる。男女、もしくは同性愛者のカップルがスタジオに登場し、性生活について赤裸々に、番組出演者を前に話し合う。

それから、スタジオの中心に設置された小さな部屋の中で実際に性交し、その体験と感想を話す。

これが、テレビで全国に流す内容であるのか、放送倫理を逸脱しているのではないか、との懸念は残るものの、放送することが許されているこの国の基準、そして実験的で改革的な挑戦には感心する。

リビアのカダフィ大佐が拘束され流血している場面、その後、殺害され、その遺体が民兵によって運ばれる場面をとらえた映像は、英国のテレビでそのまま放映され、新聞には写真が掲載された。

英国でも通常、遺体の映像は放送されないが、カダフィ大佐が殺害された場面については「知る権利」が優先され、視聴者への配慮は二の次になったわけだ。

このバランスを、伝える側はどうやってとっていくのか。時代の流れや各事例によっても変わってくるだろうが、何を判断基準にしていくかは、結局は、国民の一人ひとりが「知る権利」や「報道の自由」をどう考えるかに深く関わってくる。

先日、英国の電気通信、放送等の規律、監督を行う英国情報通信庁(Ofcom)のチーフ・エグゼクティブであるエド・リチャーズ氏が、私が通う大学で特別講演を行った。

その中でも、ガダフィ大佐の最期をとらえた映像について話が出た。この放送については、BBC、Sky News、ITVなどの英国の主要テレビ局へ数百件にものぼる苦情が寄せられ、Ofcom へも百件以上の相談があった。

しかし、Ofcomは 、この衝撃映像を「過激」とはみなさず、「有害」な放送内容から視聴者を守るための基準に反していないとして、調査対象には当たらないと判断した。

私は大学の授業で、記事を書いたり、テレビ・ラジオの報道番組を製作したりする実践的な勉強のほかに、英国の政治、ジャーナリズムの歴史、そしてメディア論、報道倫理、法律などを学んでいる。

その中でも、 ジャーナリズムの存在意義についての議論は重要視されている。

ジャーナリストは公平で、権力の監視役であること。デモクラシーのため、個々や国全体の関心を反映し、健全な選択をするために必要な情報を伝えること。さらに、マイノリティー(少数派)を守り、 社会の多元性や多様性に配慮すること。

私は、これらが英国の報道において最も大切なことだと学んできた。自分も、こうした観点から、伝えるべき情報とは何かを判断すべきだと信じている。

翻って、日本のメディアは、英国のメディアと同じ水準で国民の「知る権利」に応えているのだろうか。

日本のメディアは、広告主や取材先、購読者層からの影響を受けて「監視役」になりきれていないのではないか、との疑念を私は拭いきれないでいる。

英国と同じように日本のメディアも、経営側が編集には介入しないという方針を持っているが、どこまで徹底されているのだろう。

特定秘密保護法案をめぐっては「報道の自由」が制限されることへの懸念が指摘されているが、これをきっかけに、より多くの人が自分たちの「知る権利」がどこまで保障され、メディアがどこまでそれに応えているかについて活発に議論されることを願っている。

(おわり)

参考:英国ニュースダイジェスト「スパイ国家は是か非か」(木村正人)

「英国における情報公開―2000年情報自由法の制定とその意義」(田中嘉彦)

「英国メディア史」(小林恭子、中公選書)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事