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靖国にみる親米保守・安倍首相の帰結

木村正人在英国際ジャーナリスト
靖国参拝を牽制した米国のケリー、ヘーゲル両長官の千鳥ヶ淵訪問(米国防総省HP)

米国要人の千鳥ヶ淵訪問

安倍晋三首相が秋季例大祭に合わせて靖国神社を参拝するのを見送り、真榊(まさかき)と呼ばれる供物を奉納した。首脳外交が停止している中国や韓国への配慮に加え、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が10月3日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れたことも大きく影響している。

外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)のため来日したケリー、ヘーゲル両長官は東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、無名戦没者の遺骨35万8260柱が安置される六角堂に献花した。

同墓苑管理事務所によると、在日米国大使館から直接、ケリー、ヘーゲル両長官が訪問するという事前連絡があった。訪問は米国側からの要請だったが、「極めて異例で、聞いて驚いた」という。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑には昭和54年にアルゼンチン大統領、平成18年にパプアニューギニアのブーゲンビル特別自治州大統領が訪れているほか、イタリア訓練艦隊の一行、同国空軍士官学校研修団、ドイツ軍の空軍大将など多くの軍関係者が訪れている。

戦争の怨讐を超えて、平和と友好の印として交戦国の戦没者墓地を訪れるのは外交的な慣習といえる。しかし、戦後7年にわたって日本を占領し、超国家主義と軍国主義を解体し、靖国神社の性格を変えた戦勝国の米国が千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れたのは極めて異例だった。

日中関係の緊張恐れる米国

領土問題と歴史問題が複雑に絡んで日中、日韓関係が極度に悪化する中、ケリー、ヘーゲル両長官が同墓苑を訪れた背景について、アジア情勢に詳しいオーストラリア国立大学のキャサリン・モートン博士は筆者に「米国は尖閣問題で突発的に日中両国が武力衝突するのを回避するため、日中関係を落ち着かせようとした」と解説する。

米国は、中国が南シナ海や東シナ海の境界を力づくで書き換える事態を抑えたいものの、尖閣問題をめぐる日中の突発的な武力衝突に巻き込まれて対中戦争に発展するシナリオを最も警戒している。

しかし日中関係は、日本が門戸を開いているのに対し、国内保守派の突き上げを恐れて「対日協調」にカジを切れない中国が拳を下ろす口実をほしがっているのが現状だ。

日韓関係にいたっては、拳を振り上げすぎた韓国の朴槿恵大統領が下ろし場所を見失ってしまっている。真榊奉納についても、韓国外務省報道官は「歴史に対する謙虚な反省に基づき、周辺国や国際社会から信頼を得られるよう求める」と非難した。

米国要人が靖国神社の秋季例大祭に先駆けて千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れたのには、第1次内閣で靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極み」と悔いる安倍首相の靖国参拝を牽制する狙い、日米同盟を強化する米国は日本の軍国主義復活を後押ししているわけではないというメッセージを中国に送る意図が込められていたのだろう。

しかし、ケリー、ヘーゲル両長官が仮に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れていなかったとしても、結局、安倍首相は靖国参拝見送りという同じ結論を出していたに違いない。

親米保守の本質

「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相について、欧米メディアは「ナショナリスト(国家主義者)」「レビジョニスト(歴史の修正主義者)」というレッテルをはり、「日本の右傾化」に警鐘を鳴らしてきた。

しかし、中曽根康弘元首相が「戦後政治の総決算」を主張したように、親米保守の自民党政治家がこうしたレトリックを掲げるのは珍しいことではない。

保守であるがゆえに国のために命を落とした軍人や軍属らが祀られている靖国神社への参拝や憲法改正にこだわり、親米であるがゆえに米国が植えつけた戦後レジームを受け入れざるを得ないというジレンマを親米保守の自民党政治家は抱えている。

その最大の象徴が在日米軍の存在だ。

在日米軍がなければ冷戦下、ソ連陣営に対峙できなかったし、現在は日増しに強まる中国の圧力を押し返すこともできない。しかし、その一方で、日本だけでなく世界の発展と繁栄は中国抜きでは語ることはできなくなったのもまた、事実である。

親米保守の特徴の1つに、教条主義にはとらわれない現実主義がある。日本にとっても中国と対立ばかりしているより経済関係をさらに発展させたいのが本音だが、譲歩のしようがないというのが現実でもあった。

だから、参拝するつもりだったが、近隣諸国の感情に配慮して参拝を取りやめたという日本側の独り芝居が必要だったのかもしれない。

無視とセンセーショナリズム

旧知のアーサー・ストックウィン英オックスフォード大学日産日本問題研究所名誉所長は筆者に米誌タイム10月7日号の「日本復活 アジアの旧勢力が再び軍備を修復する理由」という特集記事を示し、「典型的な日本報道だ」と顔をしかめた。

そして、「欧米メディアの日本報道はまったく無視するか、センセーショナリズムに走るか両極端を振幅してきた。安倍政権下で実際にどんなことが起きているかを私たち日本研究家は正確に分析する必要がある」と指摘した。

悲しいかな、メディアにはステレオタイプのニュース、わかりやすいニュースにしか反応しないという特性がある。例えば英国では「英国は孤立している」「英国の主権が侵害されている」というタイプのニュースが理屈抜きで受ける。条件反射的に関心を呼ぶニュースだ。

ディビッド・ウォレン前駐日英国大使は「英メディアの東京特派員にとって日本のストーリーをロンドンのデスクに売り込むのはそんなに簡単なことではない」と打ち明ける。

「靖国参拝」「従軍慰安婦」「日本の右傾化」「軍国主義復活」という定番の見出しにしか本社のデスクは反応を示さないのだ。これが英メディアによる日本報道の現実である。

決定打だった麻生氏の「ナチス」発言

一方、日本メディアの報道も政策の是非というよりも親安倍か反安倍か、右か左かの論点で発信される記事が多く、欧米メディアに無用の誤解を拡散させる大きな原因になっている。

「戦後レジームからの脱却」という政治信条、従軍慰安婦問題に関する河野談話の見直し発言、「侵略の定義」答弁、靖国神社をめぐる認識が断片的につなぎ合わされ、日本は戦後の平和主義、国際協調主義、法の支配の順守を破棄して戦前の軍国主義に回帰しようとしているのではないかという疑念を欧米メディアがかき立てる。

4月に靖国神社を参拝した麻生太郎副首相のナチス発言は決定的な自殺点になってしまった。政治家の内輪話は国際社会には通用しない。

研究室に海上自衛隊の旭日旗を飾っている親日家の英キングス・カレッジ・ロンドンのアレッシオ・パタラーノ講師でさえ「一連の動きをみると安倍政権の性格を疑う声が海外で出始めても仕方ないのではないか」と筆者に漏らすようになった。

1990年代に英国で反日感情が噴き出した際に、日英関係の促進を訴えたサー・ヒュー・コータッツィ元駐日英国大使は「当時は日英関係を強化することが現実的で、天皇の戦争責任を問えないことを理解する必要があった」と振り返る。

その上で「日本は歴史問題の繊細さに注意深くあるべきで、ナショナリスティックなレトリックに浸ってはいけない。相手を挑発するだけだ。中国は日本の現在、未来にとって重要な国だ。日本の政治家は併合された歴史体験を持つ韓国の繊細な国民感情を理解すべきだ」と指摘した。

靖国を政治問題化してしまった日本

そもそも靖国神社の参拝を政治問題化したのは中国や韓国ではなく、日本自身だった。昭和50年、当時の三木武夫首相が終戦記念日に私人と断った上で靖国神社を参拝したことで「私人」「公人」の区別が問われるようになり、終戦記念日の参拝で「靖国」は先の大戦に対する首相の歴史認識を問う踏み絵になってしまった。

その後、東京裁判の判決で処刑されたA級戦犯が靖国神社に合祀されたことで問題はさらに複雑化する。A級戦犯が祀られる靖国神社を首相が参拝するのは、東京裁判史観の否定であり、軍国主義の肯定だという日本の国内報道が中国や韓国の反発を呼び起こした。

国のために亡くなった軍人や軍属らの霊に国家指導者が頭を垂れることすら許されないというのは異常事態だ。それが首相、官房長官、外相だけではなく、他の閣僚の参拝まで問題視されるようになってしまった。

戦没者の追悼を政治問題化、外交問題化してしまった日本の一部政治家、メディアの責任はあまりにも重いといえるだろう。

靖国はアーリントン国立墓地か

安倍首相は米外交専門誌フォーリン・アフェアーズで、米アーリントン国立墓地を例に挙げ、「靖国神社は国のために命をささげた人を慰霊する施設であり、日本の指導者が参拝するのは極めて自然だ」と主張していた。

これに対してケリー、ヘーゲル両長官の千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問に同行した米国防総省高官は「同墓苑はアーリントン国立墓地に最も近い存在だ」と述べたそうだ。

米国務省のブリーフィングで「千鳥ヶ淵は宗教とは無関係の戦没者墓地だ。同墓苑訪問は第二次大戦で憎しみ合った敵だった米国と日本が最も親しい友人になった癒しのプロセスの象徴である」とも説明している。

国立の千鳥ヶ淵戦没者墓苑は環境省の管轄だ。もともと厚生省の管轄だったが、環境庁が設立された昭和46年に移管された。

明治維新の後、創建された靖国神社が国家管理され、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の改革で一宗教法人になったのに対し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は昭和34年に開設された無宗教の墓地である。

靖国が形作った近代日本の国民精神

靖国神社は近代日本の国家精神、国民精神そのものだった。

ラフカディオ・ハーン (小泉八雲)は『神国日本 解明への一試論』の中で靖国神社についてこう書いている。

「日本の真の力は、 この国の一般庶民の百姓とか漁夫とか…の精神力のなかに存するのである。 この国民のあの自覚しない英雄主義の行為は、 すべてこういう人たちのなかに存するのである。異口同音にいっている希望は、『招魂社』(靖国神社の前身)に長く名をとどめたいということだけである。そこには天皇と祖国のために死んだ人すべての魂が集まるものと信じられているところなのである」

そして、その悪夢も見ていた。

「この国のあの賞讃すべき陸軍も勇武すぐれた海軍も、 政府の力でもとても抑制のきかないような事情に激発され、 あるいは勇気付けられて、 貪婪(どんらん、欲のたいそう深いこと)諸国の侵略的連合軍を相手に無謀絶望の戦争をはじめ、 自らを最後の犠牲にしてしまう悲運を見るのではなかろうか」

ハーンの予見通り、靖国神社と国家神道は国民精神総動員の原動力として利用され、軍国・日本の拡大と破滅をもたらした。

戦後、GHQによる焼却計画もあった靖国神社について、GHQの 宗教政策を担った宗教課長のバンス博士は 「靖国神社は戦争で肉親を失くした遺族の方々の気持ちの安息所だ、 というのが当時の私の考えだったと思います。 だから、 日本国民が靖国神社を残しておきたいなら、 当然日本人の生活の中にあってよいのではないかと思ったのです」と書き残している。

靖国神社は戦没者遺族の安息所として生き残った。もう靖国神社に国家精神、国民精神を求める人はいないだろう。首相が靖国神社に参拝できなくなった今、国民一人ひとりが靖国神社と戦没者の慰霊について改めて考える必要があるだろう。

(おわり)

参考資料:『靖国神社とはなにかー資料研究の視座からの序論』春山明哲氏

大和日英基金、シェフィールド大のセミナー「Why Japanese Studies? Considering the Past, Present and Future」(10月3日)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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