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メルケルノミクス、それともアベノミクス?

木村正人在英国際ジャーナリスト

消費税率引き上げの意味

安倍晋三首相は1日、消費税率を来年4月に5%から8%に引き上げると表明した。消費税率の引き上げは橋本龍太郎首相が3%から5%に引き上げた1997年4月以来2度目。

前回の消費税率引き上げが景気後退につながったとの見方が根強く残るため、安倍首相は経済対策や補正予算を合わせて実施し、景気への影響を極力抑える方針だ。

安倍首相の経済政策アベノミクスは大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略の3つの矢からなる。国内総生産(GDP)比で245%に達する恐れがある日本の政府債務残高は文字通りの時限爆弾。3つの矢はこの時限爆弾を爆発させないように放つ必要がある。

アベノミクスは「名目成長率目標3%」と「インフレ目標2%」を掲げた。円安効果で輸出産業が息を吹き返し、日本経済も元気を取り戻したかに見える。しかし、インフレが進行すれば長期金利が上昇、国債の利払いが膨らみ、財政が発散するリスクもはらんでいる。

日銀は長期金利の上昇を抑えるため、ありとあらゆる手段を講じるとみられるが、政府が財政を再建する意思を見せなければ、それこそザルで水を汲むのと同じようなものだ。

アベノミクスは大胆な金融緩和と機動的な財政出動でまず痛みをやわらげながら、本丸の構造改革(社会保障制度改革、労働市場改革)に着手する経済政策だ。改革を実行しなければ日本は本当の意味での競争力を取り戻すことはできない。

市場では「消費税率引き上げは消費を冷ます間違った政策だ」と指摘するが、消費税率引き上げは日本の国際公約でもあり、財政再建と構造改革の第1歩となる。

安倍首相は消費税率引き上げの意味を丁寧に国民に語るべきだろう。有権者の理解が得られなければ財政再建も構造改革も実行できない。

欧州の「消費税」事情

筆者がロンドンで暮らすようになって、もう6年以上になる。ご存じのように、欧州諸国の付加価値税(VAT)は日本の消費税に比べるとかなり高い。欧州債務危機で各国とも財政再建を進めるため税率を引き上げたため、さらに高くなった。

EU統計局のまとめ(今年7月時点)では、欧州連合(EU)加盟国の中でVATの税率が一番高いのはハンガリーの27%。スウェーデン、デンマーク、クロアチアの25%。フィンランド、ルーマニアが24%。

債務危機の震源地になったギリシャは23%。EUや国際通貨基金(IMF)の支援を受けているアイルランド、ポルトガル各23%、スペイン21%。

景気回復の光明が見え始めた英国は20%だが、食料品、子供服、新聞にはVATはかからないので大助かりだ。

一方、欲望民主主義の権化と化したイタリアのベルルスコーニ元首相は、レッタ政権が財政再建を実行するためVATを21%から22%に引き上げることを決めたのに対して「最後通牒は受け入れられない」と反発、自派・自由国民の全閣僚を引き揚げてしまった。

高度成長が期待できない先進国が高福祉を維持するために税収を消費税に頼るのは世界的な趨勢だ。法人税を上げれば外資系企業が逃げ出すため、英国では法人税率の引き下げを実施している。

自分の政治生命を守るためVATの税率引き上げを逆手に取ったベルルスコーニ氏の行動は論外だが、国内の低所得者層に配慮しながら、国際競争力を強める税制改革が日本にとっても焦眉の課題になっている。

メルケルのアベノミクス批判

6月、英国・北アイルランドのリゾート地ロックアーンで開かれた主要8カ国(G8)首脳会議(サミット)で、ドイツのメルケル首相はアベノミクスを激しく批判した。

「デフレを脱却する必要は理解するが、日本は大変な財政赤字を抱えている」「金融緩和の出口戦略をどうするつもりなの」「労働コストが安い国から競争条件が不利になるという指摘もある」

容赦のない批判に、サミット終了後の記念撮影で安倍首相がご機嫌をなだめようとメルケル首相に満面の笑顔で話しかけたのもうなずける。

メルケル首相は先の総選挙で3選を確実にし、フランスのオランダ大統領、英国のキャメロン首相に比べて頭一つ抜け出した。拡大を続けるEU帝国の女帝と呼ぶにふさわしい存在になった。

メルケル首相は日本とEUの経済連携協定(EPA)締結交渉のカギを握る最重要人物でもある。しかし、ドイツ経済のエンジンである自動車大手フォルクスワーゲンが中国市場で日本のトヨタと競合しているため、ビジネス重視のメルケル首相は親日というより親中に色分けできるだろう。

メルケルノミクスの正体

仏経済紙レゼコーが「アベノミクスかメルケルノミクスか、どちらの道をとるべきか?」というロランス・ダジアノ・パリ政治学院講師の寄稿を掲載したことがある。

「アベノミクス」は数カ月間で効果を現し、今や4%の年間経済成長率が見込まれ、失業率は6月に3.9%にまで低下した。アベノミクスには欧州の政財界も注目しているが、多くのエコノミストは最後の賭けともいうべきリスクの高い政策だと見ている。アベノミクスの対極に位置するのが、財政の均衡化、正統派の金融政策などを主軸とするドイツの経済政策で、これを「メルケルノミクス」と呼ぶことができるだろう。競争力向上のための構造改革だけがわずかにアベノミクスとの共通点となっている。西欧諸国にとってアベノミクスは短期的には魅力的なモデルに見えるが、中期的に見た場合には危険なモデルであり、メルケルノミクスを見習うべきであろう。

(外務省ホームページ「世界が報じた日本」より)

ドイツメディアのアベノミクス批判はこの論説よりさらに手厳しいトーンになっている。

「ファウスト的契約 安倍氏の極端な金融緩和と大規模な景気対策は国民には人気だが、政府債務は現在のペースより早く増える」(中立系日刊紙・南ドイツ新聞)、「兆単位の賭け さらに国の借金増やすリスク冒す」(リベラル系週刊紙ツァイト)

「安倍たたき」の急先鋒として知られる南ドイツ新聞のクリストフ・ナイトハルト東京特派員は「ダメな魔法 アベノミクス」という論説で「日本経済に必要なのは社会改革だ。しかし、保守的な安倍氏は社会を変えていこうというタイプではない」と切り捨てた。

ドイツはなぜ、こうもアベノミクスが嫌いなのか。

日本の政府債務残高はGDP比245%に達すると聞くだけでもドイツ人は背筋が寒くなるのに、財政出動に加え、日本銀行への圧力を強めて「異次元の緩和」に踏み切るのは許しがたいことだ。

ドイツは第一次大戦で敗戦国となり、巨額の賠償金を課せられた。紙幣の大量発行でハイパーインフレに見舞われ、さらに世界恐慌に直撃されたドイツが拍手喝采で迎えたのがヒトラーだった。

ヒトラーは国債を大量発行し、アウトバーン建設などの公共工事で雇用創出に成功した。しかし、その後、軍事費を捻出するため当時の中央銀行・ドイツ帝国銀行を国有化し国債を乱発したため、敗戦とともにマルクは崩壊する。

アベノミクスの大胆な金融政策(第1の矢)と機動的な財政政策(第2の矢)はドイツ国民に歴史の悪夢を思い起こさせる。ドイツ的な価値観からすればアベノミクスは「絶対悪」なのだ。

ドイツの1人勝ち

アベノミクスはまず麻酔をかけてから、外科手術をしようとしている。しかし、まだ、外科手術が実際に行われるか否かは定かではない。これに対して、メルケルノミクスは景気後退期にユーロ圏の財政調整を強行した。

EUは来年から景気は回復するとの見通しを立てるが、麻酔をかけずに外科手術を行うメルケルノミクスは南欧諸国での投資減少、失業率上昇、若者の国外脱出という相当な副作用をもたらしている。

ドイツ総選挙の取材でベルリンを訪れた際、レストランは深夜までにぎわっていた。ベルリンの地価もかなり上昇している。知人とドイツ料理と地元ワインに舌鼓を打ちながら、ギリシャの失業者はどうしているのだろうと思わずにはいられなかった。

こうした恩恵がギリシャやポルトガルなど南欧諸国に広がればいいのだが、今のところメルケルノミクスはドイツの1人勝ちと言って良い状態を生み出している。

英紙フィナンシャル・タイムズの欧州コラムニスト、Wolfgang Munchau氏は最新コラムで、2007年前半と13年前半を比べると、ユーロ圏の実質GDPは1.3%縮小。スペインでは5.3%、イタリアは8.4%縮小したと指摘する。

投資は同じ期間にユーロ圏で19%減少、スペインでは38%、イタリアでは27%も減った。

失業率はユーロ圏12%、ギリシャ27.9%、スペイン26.2%、ポルトガル16.5%、アイルランド13.6%、イタリア12.3%。若者の失業率はギリシャ61.5%、スペイン56%、イタリア40.1%、ポルトガル36.8%だ。

これを死屍累々と呼ばずして、何と表現すれば良いのだろう。アベノミクスを「アホノミクス」と呼ぶアナリストもいるようだが、アベノミクスはこれからどこまで年金など社会保障制度改革、労働市場改革、農政改革を進めていけるかが勝負なのだ。

長期金利が上昇すれば日本の財政は発散する。最悪シナリオを慎重に避けながら、「緩和と成長」政策を進めるアベノミクスはどう見ても今の時点ではメルケルノミクスよりも優れているように思うのだが。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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