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日本版NSC、成功のカギは?

木村正人在英国際ジャーナリスト

NSCの原点

英国の官庁街ホワイトホールはロンドンの観光名所トラファルガー広場のすぐ近くにある。財務省の地下にあるチャーチル博物館に戦時内閣の閣議室がそのまま残されている。

チャーチル英首相は第二次大戦中、この戦時閣議室で野党・労働党のアトリー党首も加えて協議し、作戦を練ってナチスドイツとの戦いに勝利した。戦時閣議室が国家安全保障会議(NSC)の原点となった。

米国のルーズベルト大統領は政権内に多くの政敵を抱え、独断専行で重要な政策を決定することが多かった。また、第二次大戦で陸軍と海軍の一体運用が不可欠なことが浮き彫りになった。

こうしたことを教訓に1947年、英国の戦時閣議室をモデルにした米国の国家安全保障会議(NSC)がスタートした。米ソの緊張が核戦争寸前まで達した62年のキューバ危機で米NSCは脚光を浴びた。当時のケネディ米大統領は「国内政策は私たちを打ちのめすだけだが、外交政策は私たちを殺してしまう」とNSCの重要性を強調している。

英国でもイラク戦争で労働党のブレア首相が独善に陥った反省から2010年、保守党のキャメロン首相はNSCを発足させた。リビア軍事介入の際、英NSCはチャーチル首相の戦時閣議室と同じ役割を果たしたと高く評価された。

ブレア英首相と側近数人がソファに座って重要政策を決めるスタイルは、第二次大戦時のルーズベルト米大統領のそれと似ていたと言えるのかもしれない。米NSCにも英NSCにも外交・安全保障政策の調整機能を強化するとともに国家指導者の独断を防ぐ狙いも込められていた。

NSCの強みと弱み

日本政府は7日の閣議で、首相官邸主導で外交・防衛政策を立案する日本版NSCを創設するための関連法案を決定した。秋の臨時国会での成立を目指している。

首相と官房長官、外相、防衛相の「4大臣会合」を月2回程度開催、外交・防衛計画の基本方針を決定する。国防の重要事項については現行の安全保障会議の枠組みを残し、「9大臣会合」で審議する。

国家安全保障担当首相補佐官(National Security Adviser, NSA)を新設して現在の首相補佐官の中から任命。内閣官房に100人規模の「国家安全保障局」を新設する。

NSCに詳しい英国の元合同情報委員会委員長、ポーリン・ヌヴィル=ジョーンズ上院議員は筆者の取材に「NSCの強みは2つある。まず、すべての関係閣僚を1カ所に集めて議論することで首相のリーダーシップが強化される。次に国防、外交、国際援助、国内治安をすべて関連付けて政策を決定する文化を培える」と答えた。

英国の合同情報委員会は、海外諜報を担当する情報局秘密情報部(MI6)、国内防諜を担う情報局保安部(MI5)、通信などの諜報を受け持つ政府通信本部(GCHQ)などを統括する情報機関の元締めだ。現在、内閣官房内で合同情報委員会はNSCに情報を提供している。

ヌヴィル=ジョーンズ上院議員は外務省出身でボスニア内戦の戦後処理も担当したことがあるだけに、その証言には説得力がある。

イラクでもアフガニスタンでも戦端を開くのは簡単だが、その後の復興支援、英国内でのテロ対策まで事前に考慮すれば自ずと外交政策、軍事政策に大きな違いが生じる。ヌヴィル=ジョーンズ上院議員は「NSCを機能させようと思うと、議論のため周到な準備が必要となる。こうした要求がNSCをより機能的にしていく」と指摘する。

しかし、英NSCはイランの核開発問題、アフガニスタンでのイスラム原理主義勢力タリバン掃討作戦、シリア内戦など日々の重要課題に追われ、中・長期的な視野に立った議論や政策調整・決定を行うことができなかった。

英下院の国家安全保障戦略合同委員会は、英NSCについて「スコットランド地方の独立を問う住民投票や、欧州連合(EU)からの離脱を問う国民投票、また欧州単一通貨ユーロ圏の債務危機が英国の外交・安全保障に与える影響を議論した形跡がまったくない。重要な国防政策についても国防省だけで決定されていた」と指摘した。

また、英NSCの事務局が外務省、国防省、情報機関の関係者を中心に構成され、学者など外部の専門知識が十分生かされていないと国家安全保障戦略合同委員会は改善を求めた。

キーパーソンは国家安全保障担当首相補佐官

日本版NSCの全容はまだ明らかになっていない。国家安全保障担当首相補佐官(NSA)と事務局を務める国家安全保障局長の役割分担、NSCと内閣危機管理監の調整に加え、外務省、防衛省、警察庁、公安調査庁から上がってくる情報をいったい誰が集約・分析するのかまったくわからない。

英国ではNSCについて議会やシンクタンクで徹底的に議論されており、それらを参考に日本版NSCについていくつか問題提起してみたい。

英NSCのキーパーソンは何と言っても、NSAだ。NSCの成否はかかってNSAの双肩にある。英NSAは議題設定、NSCの議事進行、政策調整の要となる。現在のNSAは外務省出身のキム・ダロック氏。

ダロック氏はキャメロン首相の外遊にすべて同行し、外交・安全保障政策上の助言を与える文字通りのアドバイザーだ。「いくら外相でも時々刻々のアドバイスまではできない」とダロック氏はNSAの強みを説明する。しかも、NSCの事務局を束ねる重責も担う。

ダロック氏はキャメロン首相、クレッグ副首相と相談してNSCの議題を決める。NSAは首相に影のように付き添うため、能力と同等に首相との相性も重要になってくる。

一方、日本の首相官邸ホームページをみると、旧自治省出身の首相補佐官、礒崎陽輔参院議員が国家安全保障会議担当とある。

日本版NSCでは、100人のスタッフを擁する国家安全保障局の局長とNSAの役割をどう分担するのか。首相に助言するNSAがすべての情報を集約できる国家安全保障局長を兼ねた方が合理的ではないのだろうか。

また、NSAと国家安全保障局長が同じように優秀なら「両雄並び立たず」で、主導権争いが始まる恐れもある。

情報の集約

次に誰が情報を集約するのかでも、日本版NSCはもめそうだ。

外交・安全保障政策を決める上で、情報ほど大切なものはない。現在、日本の内閣官房には内閣情報官、合同情報会議があり、建前上は外務省、防衛省、警察庁、公安調査庁の情報を集約することになっている。

しかし、実際は省庁の縦割りがきつく、情報はバラバラに上がっている。これを国家安全保障局で集約するのか、それとも合同情報会議を強化して英国の合同情報委員会と同じぐらいの権限を与えるのか、制度設計はこれからだ。

英プロスペクト誌から「世界最高の知性100人」に選ばれたこともある英国の上級外交官ロバート・クーパー氏は筆者の取材に「情報と政策の分離は明確に行うべきだ」と指摘した。

クーパー氏はかつてEU理事会の対外関係担当事務総長を務め、現在、アシュトンEU外交安全保障上級代表の顧問。先進国による人道介入を唱えた氏の「新リベラル帝国主義」理論はブレア政権の外交戦略の主柱となった。

02年9月、ブレア政権は「イラクの大量破壊兵器は45分以内に配備可能」という間違った情報を公表し、イラク戦争開戦に向けて世論をミスリードした。「45分以内に配備可能」という誤情報は意図的に脚色されたと指摘されている。

情報と政策の分離をおろそかにした場合、意図的な情報操作が行われたり、政策決定者の意向に沿った情報だけを報告したりするなどの弊害に陥る。このため、日本版NSCでも国家安全保障局で情報を集約するのか、NSCに集約した情報を上げるのか、慎重に議論する必要がある。

英NSCのスタッフは200人でスタートし、15年までに155人にまで絞り込む予定だ。日本版NSCの国家安全保障局は100人規模とされるが、組織のダブリと対立を避けながら、少なくとも英NSCと同レベルの陣容を確保してもいいのではないだろうか。

英国では日々の危機対応は「COBRA」と呼ばれるオペレーション・ルームで行われている。英保守系シンクタンク「ボウ・グループ」は「COBRA」を「国家安全保障オペレーション・センター」に改変するよう提言している。

基本的には日本版NSCは政策調整・決定の場、非常事態などへの対応は内閣危機管理監の役割と仕分けされているが、有事の際、NSCとNSA、国家安全保障局長と内閣危機管理監の連携と棲み分けをどうするのかの議論も残されている。

NSCは万能ではない

日本版NSCの狙いについて、政府関係者は「たとえばTPP(環太平洋連携協定)は農水省の反対でまったく動かなかったが、安倍晋三首相がリーダーシップを発揮したことで一気に交渉参加を表明できた。省庁の権限争いが起きる心配をするよりも、省庁を越えた課題は省庁を越えた場で議論しなければ政策決定できない」と語る。

国際政治は首脳外交の占めるウエイトが大きくなっており、首相に情報を集約してリーダーシップを強化する日本版NSCには首脳外交力を強める効果も期待されている。

しかし、前出のクーパー氏は日本版NSCを発足させるだけで、日本の外交・安全保障政策が充実するとの考え方には疑問を唱える。

「米NSCの過去10数年を見れば一目瞭然だ。混乱の極みだった。賢明な政治のリーダーシップがなければ、いくら制度を整えても救いようがない」

クーパー氏には英国のイラク戦争参戦を食い止められなかったことへの悔いが残っている。ブッシュ米大統領がパウエル国務長官を遠ざけてイラク戦争へ突き進んだことをクーパー氏は暗に批判している。

問われるのは安倍首相のリーダーシップ。そして、それを補佐するプロフェッショナルなNSAの存在だ。その意味でもNSAと国家安全保障局長を一本化させることを議論する必要があるだろう。

内閣官房参与の谷内正太郎早大教授は沖縄県・尖閣諸島について「領有権の問題はどちらかが譲歩することはあり得ない。日本は、領土問題は存在しないという立場だが、中国が望むなら国際司法裁判所(ICJ)で公平な判断を受ける態度をもっていい。間違いなく日本は勝つ」と述べている。

クーパー氏も同じ考え方を示した。「日中両国とも成熟した国家であり、凄惨な歴史を体験している。NSCを作ること以上に、日中両国間で戦争が起きないよう政策を決める賢明さこそが大切だ」と強調した。

英国の戦時閣議室。チャーチルが座ったイスの手すりには、かきむしったツメの跡が生々しく残されている。ナチスドイツに勝つためにチャーチルがもがいた苦悩の跡だ。日本版NSCの首相席には、中国との衝突を避けるため、どんな苦悩が刻まれるのだろう。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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