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ブレードランナーはなぜ、ガールフレンドを撃ったのか

木村正人在英国際ジャーナリスト

両足が義足のスプリンターとして初めてオリンピックへの出場を果たしたスーパースター、南アフリカ代表オスカー・ピストリウス選手(26)が14日未明、南アの首都プレトリアの自宅でガールフレンド(30)を銃で撃って死なせた。ピストリウス選手は地元警察に拘束され、取り調べを受けている。ガールフレンドを屋内強盗と誤って撃った疑いがあるという。

南アや英国のメディアが伝えた。

国連薬物犯罪事務所(UNODC)の2010年統計では、南アの意図的殺人の発生件数は世界ワースト7位。人口10万人当りの発生率は世界ワースト12位。英BBC放送の2010年5月当時の報道では、1日平均50人が殺害され、年間の殺人件数は約1万8000件。このうち8割は顔見知りの犯行だ。殺人未遂も約1万8000件発生している。アパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃された直後の1995年当時に比べると殺人の発生件数は約44%も減少したが、それでも英国(人口約6200万人)の年間殺人件数662件に比べると、南ア(人口約5000万人)の同1万8148件は突出している。

屋内強盗の発生件数は1万8438件。傷害の意図を持った暴力事件は20万3777件に達していた。

ピストリウス選手は口径9ミリの短銃を持っていた。南アでは警察の許可があれば銃の保有は認められ、犯罪歴などのバックグラウンドや銃の保管場所がチェックされる。銃規制を求める声に対して、銃のロビー団体は米国と同様に、「護身のために銃の保有は必要」と規制強化に反対している。

ピストリウス選手がガールフレンドを屋内強盗と間違って射殺したのかどうかまだ断定できないが、もしそうだとすると、南アの犯罪多発が招いた悲劇だといえる。

ピストリウス選手は先天的な身体障害で両足に義足をつけている。昨年のロンドン・パラリンピック陸上男子200メートルT44クラス決勝で、ブラジル代表のアラン・オリベイラ選手(20)に敗れ、論争を呼び起こした。

ピストリウス選手は前回北京大会で、100メートルT44、200メートルT44、400メートルT44で三冠を達成した。初出場となったロンドン・オリンピックの陸上男子400メートルでも準決勝進出を果たし、世界中の喝さいを浴びた。

ロンドン・パラリンピック陸上男子200メートルT44クラス予選でも21秒30の世界新記録を樹立。しかし、アテネ・パラリンピックからの三連覇がかかった決勝で、ピストリウス選手は後半100メートルでオリベイラ選手にかわされ、無念の2位に沈んだ。

オリベイラ選手は21秒45、ピストリウス選手は21秒52だった。

ピストリウス選手はレース後、オリベイラ選手の義足について、「長い。彼は素晴らしい選手だと思うが、100メートルを過ぎてから8メートルもの差を追いつくなんてありえない」と不満を爆発させた。9月3日になって、「私の発言で他の選手の勝利への関心をそらせるつもりはなかった」と謝罪したが、義足の基準に問題があるとの考えは変えなかった。

ピストリウス選手側はその6週間前と2週間前の2度にわたって国際パラリンピック委員会(IPC)に義足の基準を変更するよう申し入れていた。これに対し、IPCは「全選手の義足はレース前、IPC規定にのっとってチェックされている」との声明を発表した。

2011年に発行されたハンドブックによると、1、ひじから手首までの長さ 2、胸から水平に伸ばした手の指先までの長さーの2つから、義足を装着したときの制限身長を算定。IPCによると、ピストリウス選手の義足装着時の制限身長は193・5センチで、185・4センチのオリベイラ選手に比べて8センチ以上も高くなっている。

しかし、200メートルT44クラス決勝のときに撮影された2人の写真を見比べると、義足装着時の身長はほとんど変わらなかった。

ピストリウス選手はオリンピック出場のため、短いブレードを選んでロンドンに乗り込んでいたのだ。背景には「ブレードが健常者とのレースで有利になってはいけない」という国際陸上競技連盟(IAAF)などの要請があった。

オリンピックには短いブレード、パラリンピックには通常の長いブレードで臨むという選択肢もあったが、短いブレードと長いブレードでは使う筋肉が異なり、短期間で調整するのは至難の業である。「ピストリウス選手はオリンピック出場という大志をかなえるために、パラリンピック三連覇という夢を失ったのだ」と、金メダル11個を獲得した車いすの英国人女性パラリンピアン、タニー・グレイ=トムプソンさんはBBCで解説していた。

ピストリウス選手の敗北は、オリンピックとパラリンピックの距離が縮まったことで、義足などパラリンピックの基準を見直す必要が出てきたことを浮き彫りにした。

奇跡のブレードランナーは栄光の絶頂から悲劇のどん底に転落してしまった。事件の真相はまだわからない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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