Yahoo!ニュース

老害が選ぶべきは『PLAN 75』か、集団自決か。他人事なら何とでも言える

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
自分が老害か、身内が老害か、他人が老害かで見え方が違う。右は早川千絵監督(写真:つのだよしお/アフロ)

私も62歳、たぶん老害となった

心臓病で手術をし健康保険にお世話になる一方で仕事ははかどらず、コスパも悪化した。パフォーマンス(私が生み出すお金)をコスト(社会が私を維持するお金)が上回る日も近い。

たまたま 『PLAN 75』で良かったけど、仮に『PLAN 65』なら死ぬか、生きたとしても世間の目は冷たい。社会の嫌われ者として肩身の狭い思いをするなら死んだ方がまし、と今頃思っているかもしれない。

当然ながら、『PLAN 75』とか『PLAN 65』のような制度が成立した社会は、高齢者にはまったく優しくない。

老害が政界を牛耳っていては『PLAN 75』が可決しないので、選挙権や被選挙権にも上限ができ、「65歳以上は投票禁止」とか「政治家は65歳定年」とかになっている可能性が高い。プラン拒否者には、年金減額とか医療費自己負担増とか生活保護打ち切りとかのペナルティもあるだろう。

そんな社会で、私が生きる決心をしたとすれば「あなた、一緒に生きよう」とか「父ちゃん、頑張ってよ」とか「おじいちゃん、死なないで」とかの言葉をもらった時だけだ。

■時を経て楽しみ方が変わる作品

映画『PLAN 75』は、見る者の年齢によって見え方が違う

主人公の角谷ミチ(78)と同年代なら、『PLAN 75』は自分事になる。

後生のために、息子や孫たちのために身を捧げようか、という気になる。本音では死にたくないから止めてほしいのだが、妻も息子も孫も何も言ってくれなかったから……いや、そもそも妻も息子も孫もいないので、切なく黙って消えていく者へ感情移入する。

ミチをサポートする市役所職員ヒロムとコールセンターの瑶子のような20代、30代なら、『PLAN 75』の受益者となる。

75歳以上が死ねば死ぬほど、浮いた医療費や年金で自分たちの社会は豊かになる。

なので、高齢者が安心して死んでいけるよう一所懸命にサポートするわけだが、人間には情というものがある。

同情もするし共感もする。死んだ方がまし、と思い至った事情に耳を傾けると涙がこぼれたりもする。

そのうちに、高齢者に祖母や父の姿が重なってくればもう他人事ではない。老害のせいで苦しい生活を強いられている若者にして、そうなのだ。

※作品の公式WEBはこちら

■まだ若いから。被害者、受益者で

75歳になった両親に対して「お父さん、お母さん、社会のために死んでね」とか、祖父母に対して「おじいちゃん、おばあちゃん、私たちのために犠牲になってください」とは普通は言えない。

言えたとすれば、むしろ発言者の人間関係の希薄さの方が心配だ。

22年のカンヌ映画祭では新人監督賞を受賞。プレゼンターのスペイン人女優ロッシ・デ・パルマと
22年のカンヌ映画祭では新人監督賞を受賞。プレゼンターのスペイン人女優ロッシ・デ・パルマと写真:ロイター/アフロ

話題になっている「集団自決」も同じである。

「おじいちゃん、潔く腹をかっさばいてね」とか「お母さん、そろそろ自決よろしくです」とか「先輩、バッサリいっちゃってくださいよ」なんて言えない。世間一般に対してなら言えるし、机上の論理としてなら言えるけど。

いや、そもそも自分が老害で「率先して自決します」と言う日を想定しているのだろうか?

まあ、まだ若いから、老害の被害者としての自分、自決の受益者としての自分しか見えていないのかもしれない。老害の加害者としての自分なんて、まだまだ先のことだから。

■スペインでは日本を映す鏡として

『PLAN 75』はスペインではフィクション=映画というより、ノンフィクション=現代日本を映す鏡、としてとらえる見方が目立った。なぜ、日本でこんな制度が生まれかねないのか、という視点である。

その理由として、

①姥捨て山という民話

映画『楢山節考』はこちらでもよく知られている。

②集団のために個を犠牲にするメンタリティ

③自己責任論の蔓延

自立できないと社会のお荷物とされる。

④プライドが高く生活保護に頼りたがらない

が挙げられていた。

“あまり自主的ではない安楽死”という見出しを付けた評もあった。スペインは安楽死が認められている国。一見、自主的な死のようだが、実は社会や貧困に後押しされた半ば強制された死であるからだ。

映画『PLAN 75』は、10年後にもう一度見たいと思っている

未来の日本は、72歳の私に『PLAN 75』で生死選択を迫るのだろうか? 自決を迫るのだろうか? それとも、優しく接してくれるのだろうか?

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

木村浩嗣の最近の記事