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スペイン版もののけ姫、映画『Irati』。自然VS文明のバトルの勝者は?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
彼女がIrati。この作品のもののけ姫だ C:David Herranz

昨年のシッチェス・ファンタスティック映画祭で観客賞を受賞した『Irati』は、設定が『もののけ姫』に似ている。

●作品名がヒロインの呼び名であること。

●ヒロインが「もののけ」であること。Iratiは人間として生まれたが、後に半獣半人のもののけとなった。

●ヒロインが森に棲むもののけたちに仕える者であること。

●ヒロインが人間と交流し、人ともののけたちのリンク役になること。

●ヒロインとヒーローの間に恋心が芽生えること。

Iratiは自然と自然崇拝を代表する存在である。対するヒーローは人間であり、文明とキリスト教を代表する存在である。

自然VS文明という対立構造の中、ヒロインとヒーローがそれぞれの代表として憎み合ったり、葛藤したり、共通の敵を前にして協調したり、愛し合ったり……というお話である。

世界観も物語も非常にシンプル。血の肉弾戦が出てくるのでU-16の年齢制限があるが、小学校高学年くらいから理解できる、あまり頭を悩まさずに楽しめる正統派ファンタジーだ。

『Irati』の1シーン
『Irati』の1シーン

■『もののけ姫』の“あの役”がいない

もっとも、そのシンプルさが『もののけ姫』との決定的な違いだ。

『もののけ姫』は見終わった後にわだかまりが残る。自然VS文明というバトルの勝者が決まらなくてスッキリしない。一方『Irati』はスッキリする。

なぜなら、「エボシ御前」に相当する登場人物がいないからだ。

エボシ御前は、文明の豊かさと民主社会の素晴らしさと同時に、自然を容赦なく破壊する文明の残酷さ、という二面性を代表していた。彼女こそ、“文明って良いよね、でも良くないよね”、という葛藤の源だった。『もののけ姫』鑑賞後にいろいろ考えさせてくれる張本人だった。

『Irati』にはそういう葛藤がない。となると、どうなるかというと、“やっぱり自然は大事だよね”という、お約束のメッセージを発することになってしまうのである。

『Irati』の1シーン
『Irati』の1シーン

自然を守りましょう、というのは子供向けメッセージとしては正しい。

『Irati』の舞台はスペイン北部、森の豊かなバスク地方である。乾いたスペインには珍しく、川が流れ、霧がかかり、苔がむし、サンショウウオが這う、まるで日本のような緑の風景の中で物語は展開する。

この美しい自然を私たち人間は破壊している、という自覚を子供たちが持つことで、自然を愛する心と保護する心が生まれるはずだ。

だが、大人はこれだけでは納得しない。

■自然を守れ、と言われても…

なぜなら、自然が大切、なんてわかり切ったことだから。

問題は、自然も大切だが、私たちの文明も大切で、どっちをどこまで優先するか? これの答えはなかなか出ない。

『Irati』の1シーン C:David Herranz
『Irati』の1シーン C:David Herranz

文明は間違いなく自然を破壊している。森を切り拓き、動物の居場所をなくし、川と海と土と空気を汚染し続けている。だが、今さら馬に乗る生活には戻れない。

文明を諦めることは、便利さを諦めることで、どこまで不便さを我慢して自然を守ればいいのか? これの答えはなかなか出ない。

映画という娯楽自体が文明の産物であり、映画のある文化的な生活を享受していると、ふと、自然が懐かしくなる。

だが、この真逆。大自然の脅威の下で不便な生活をしている人間には、自然への郷愁などない。そんな暇も心の余裕もない。

つまり、『Irati』のような映画が生まれることこそが、文明のもたらした豊かさのお陰である、と言える。

『Irati』の1シーン C:David Herranz
『Irati』の1シーン C:David Herranz

今のまま自然を破壊し続ければ、私たちの文明をも破壊される。何かをしないといけない。

だから、自然と文明の共存、という発想になるのだけど、こちらを立てればあちらが立たず。対立する両者をどうやって共存させるのか?――なんてことは『もののけ姫』を見終わった後考えさせられることで、『Irati』を見終わった後に悩むことはないので、安心して子供さんと見てください。

※写真提供はシッチェス映画祭

『Irati』の1シーン
『Irati』の1シーン

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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