毒母を描いて物議を醸す。映画『ラ・ピエダ』は日本で見られるか?(少しネタバレ)
ラ・ピエダ=La Piedadとはスペイン語で「慈悲」のこと。ミケランジェロの彫刻『サン・ピエトロのピエタ』像は、磔にされて死んだ息子キリストの亡骸を腕に抱く聖母マリアをモチーフにしている。
あのように慈悲深い母が、この『ラ・ピエダ』に出てくるかというと、似ているようでちょっと違う。
※この評には少しネタバレがあります。
上の写真のように、『サン・ピエトロのピエタ』像を意識したポーズをしているわけだが、息子を愛する慈悲深い母なのはポーズだけで、中身は正反対。無慈悲でエゴの塊で、息子への愛なんてこれっぽっちもない。
■慈悲深い母を演じるために息子を使う
母にとって息子は、そう「道具」なのだ。「ペット」とか「アクセサリー」とかいろいろ考えたが、「道具」という形容が最も相応しい。
ペットやアクセサリーに対してさえあるだろう愛着というものが、母の息子への扱いからはまったく感じられない。息子は、憎しみの対象ですらないことがよくわかる。
慈悲ある母を演じ、関心と尊敬と同情を集めるために必要な「ツール」に過ぎない。
とはいえ、無関心ではない。無関心はネグレクトへ向かうはずだ。この母は息子に大いに関心がある。いや、あり過ぎる。
自分が慈悲深い母に見られるためには、この道具をどう使えば有効なのか、最大限の効果を上げられるか、という意味での関心である。
しかも、この道具は代えが利かない。自分の息子というのは世界で唯一無二の存在なのだ。放置して失くしたり、いじり過ぎて壊したりしたら、慈悲深い母親を演じられないどころか、真逆の無慈悲なダメ母だと世間様の目に映ってしまいかねない。
なので、ある程度は大切にする。死なない程度には。
■映画に出てきた毒母たち
そう、この作品は毒母のお話である。
手っ取り早く聖母マリアになるために息子をフル活用する、聖母とは真逆の邪悪な存在について描いた作品だ。
毒母というのは映画にはよく出てくる。
思い浮かぶのは『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』とか『ブラック・スワン』とか『ニトラム/NITRAM』とか『キャリー』の主人公の母親。
もっとも、『ラ・ピエダ』の母は、毒母の中の毒母=息子に毒を盛る母親である。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」というのがある。
自分の慈悲深さを強調するためには、息子は同情を集めるような可哀想な状態であればあるほどいい、というので、毒を盛る。死なない程度に。
映画『RUN/ラン』にもそんな場面がある。あと、『シックス・センス』のあの名シーン、葬式に不似合な鮮やかな赤いドレスの女もそうだった。
とはいえ、フィクションよりも現実にあった事件の方が凄まじい。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」で検索すると、いくつかの事件が引っ掛かる。これらについては詳細なドキュメンタリーが制作されているので興味がある人はぜひ。
事実はフィクションを軽く超えている。
■監督の挑発と低評価に耐え切れるか?
さて、『ラ・ピエダ』、ぜひ見てほしいのだが、問題は日本で公開されるかどうか、だ。
スペインでは大いに物議を醸している。
毒母というテーマ自体は問題ないが、映像表現が挑発的で、露悪的で、猟奇的で、不健全で、倒錯しているからだ。
特に、女優が「はっきり見せる映画だからはっきり見せることにした」と語る、ある強烈なシーンは女優魂の表れなのだろうが、「こんなの見せてもいいの?」と思った。
まあ、日本ではボカシを入れて衝撃度を下げてくれるのだろうが……。
好き嫌いも分かれており、ならすと低評価である。スペインの大手映画評価サイト『FilmAffinity』の採点では10点満点で、なんと3.8点! ほとんどのユーザーが1点を付けていて笑ってしまった。
私は芸能の世界、映画の世界には、少々道徳や倫理から外れても、法に触れない限りは、頭のネジが1つ、2つ外れた監督がいてもいいし、作品があってもいいと思っているので面白がって見られたが、まともな倫理観の持ち主であれば目を背けるかもしれない。
この物議の醸しぶりと低評価を考えると、一般公開には向かず、配信プラットフォーム向きだと言える。
エドゥアルド・カサノバ監督の前作『スキン~あなたに触らせて~』はNetflixで配信されているので、今作もそうなるのだろう。
前作の日本での評価がそこまで低くないことに安心した。こういう作品は公開してくれるだけでありがたい。
変わったものを見て、非日常を満喫したいあなたに、ぜひ!
※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭