映画『子豚ちゃん』。いじめに超能力で復讐できない一般人はどうすればいい?
原題『Cerdita』(セルディータ)は子豚の意。主人公は「子豚ちゃん」と侮辱されていじめられる女性である。
「いじめ」+上の写真のように「主人公血みどろ」となれば、「復讐」を期待するものである。
だが、この作品が復讐へ向かうかは別にして、「いじめ」→「復讐」というストーリーでスッキリするためにはいくつか条件がある。
■名作『キャリー』に学ぶいじめへの復讐法
まず、いじめの程度が血の惨劇に値すること。
本人にとっていくら酷いいじめであっても、いじめと復讐の間には一定のバランスが取れていなければならない。「軽いいじめに酷い復讐」でも、「酷いいじめに軽い復讐」でも、作品を見ている方は納得しない。後味の悪さが残る。
例えば、名作『キャリー』である。
主人公を痛めつけるいじめの酷さ、といったら……。“これなら復讐も無理はない”と納得してクライマックスへ向かう。
だが、『子豚ちゃん』は違う。いじめシーンに大半を割く構成にはなっていない。
次に、復讐の手段を持つこと。
火を操っていじめっこを焼き払ってしまえればいいが、そんな超能力がない一般人はどうすればいいのか? 毒物? ナイフ? 銃? 爆弾? いずれにしても無実の人を巻き添えにしてしまう可能性がある。
さっきの復讐の程度との絡みもある。
度が過ぎた復讐にならないようにするためにも、手段選びには慎重にならなければならない――と、いうふうに超能力者なら簡単にクリアできる問題が、一般人にとっては生々しい難問として迫ってくるわけだ。
■周りはみんな敵、カメラも敵というリアル
『子豚ちゃん』の舞台は、主人公もいじめっ子も中高学生のリアルな日常である。
超能力少女どころか、主人公には何の取り柄もない。
母親でさえ彼女を馬鹿にする。恋人もいない、友だちもいない、家族にさえ守ってもらえない。小さな村で、逃げ場所も居場所もない。
さらに残酷なことに、カメラは時にいじめっ子の視線で彼女を追う。
ドタドタと足下がおぼつかない様子で走るとか、皮膚のたるみで日焼けの跡がマダラになるとかのディテールは必要だから撮ったのだろうが、見ていて痛々しくなる。
これがカルロタ・ペレダ監督――女性である――からすると、リアリティを持たせるということになるのだろうか? “滑稽でしょ? さあ彼女を笑ってください”という見せ方をして居心地を悪くさせたいのなら、それには成功している。
見せられているうちに、白鳥に変身していじめっ子を見返す、というラストを願いたくなるが、もちろんそうはならない。
■映画賞に多数ノミネートなのだが…
ヒロイン的なところがまったくない、むしろアンチヒロイン的な主人公が、どうやって血みどろの姿になって、物語的にもスカッとさせるのか、そこに説得力があるかどうかで、この作品を楽しめるかどうか、が決まる。
私にはもう一つだった。
社会問題である「いじめ」をテーマにしたことは良いと思う。一般の普通の女の子を主人公にしたことも良いと思う。
だが、「外見による差別は良くない」という教訓と、スプラッターの相性が良くない。
この映画は短編作品を長編化したものだ。短編のように10分間で取っ掛かりだけ描いて“あとはあなたの残酷な想像で……”という方が収まりが良かった。
ただし、私の評価が低くとも他の方々は褒めている。作品はサン・セバスティアンとシッチェスの両映画祭で上映され、スペインのアカデミー賞に相当するゴヤ賞にも多数ノミネートされている。
まずは見てもらって、みなさんの感想が聞きたい。
※予告編には英語版もあるが、あちらはネタバレ気味なので注意
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭