※この評にはネタバレがあります。

子供を欲しいが持てない夫婦と、妊娠したが子供を育てられない少女。この構図は、『朝が来る』と同じ。あちらはミステリーだったが、『わが娘』はミステリーで始まりスリラーで終わる。

子供を欲しいが持てない夫婦と、妊娠したが子供を育てられない少女の関係は、両者が得をするウィンウィンのように見える。年齢的に、社会的に、育てる状況にない少女が、生まれた赤ん坊を経済力のある円満な夫婦に渡して、どちらも満足――とは単純にはいかない。

■産みの親の心境は複雑

赤ん坊は物(もの)ではないからだ。情が絡む赤ん坊の引き渡しは、損得勘定などでは割り切れない。

産みの親は、特に複雑な心境だろう。いろんな事情で「子供を育てられない」が、「育てたくない」わけではないからだ。

↑昨年の東京国際映画祭で上映された際の予告編

養子縁組で、子供の幸せを養親に託したものの引き裂かれるような思いに苛まれるだろうことは、『朝が来る』でも描かれていたように、想像に難くない。

たとえ、申し分のない養親で子供の幸福は間違いない、と確信していたとしても、だ。

ちなみに、特別養子縁組制度は、双方の親を満足させるための制度ではない。あくまで、「子どもの福祉の増進を図るため」厚生労働省のホームページより)の制度である。

■産んでみると守れない「約束」

養子縁組を約束していても、赤ん坊が生まれてみると手離したくなくなる、ことも当然あるだろう。情というのは、妊娠から出産のプロセスの中で大きく育まれていくもののようだ(私は想像するしかないが)。

渡したくはないが、渡さなければならない、という葛藤。そこにドラマが生まれる。

それだけではない。

産みの親の情は時間とともに薄くなっていく、とは限らない。やっぱり我が子に会いたいとか、何とか取り戻したい、という強い欲求に突き動かされることもあるだろう。

さらに、育ての親からの告知によって、産みの親の存在を知った子供の反応。会いたい、いや会いたくない。揺れる気持ちと選択……。

あちらもこちらもドラマだらけ。映画になり得るテーマにあふれている。

サン・セバスティアン映画祭でのイレネ・ビルゲス。Photo: Pablo Gómez
サン・セバスティアン映画祭でのイレネ・ビルゲス。Photo: Pablo Gómez

■母と母の対決。しもべとしての男

とはいえ、『わが娘』は、そうしたデリケートな感情のあやを丁寧に紡いでいくヒューマンドラマ……ではない。

乱暴でそこつ者の夫婦が、そりゃどう考えても無理だろう、という杜撰なプランに、行き当たりばったりの気紛れな少女を巻き込んでいく話である。

ミステリー的な謎解きの部分は早々になくなり(どだい無理なプランだから)、サスペンス、スリラーとなっていくのは、子供をめぐっての産みの母と育ての母(育てたい母?)の対決色が強まっていくからだ。

もう一人の母を演じたパトリシア・ロペス・アルナイス。Photo: Gari Garaialde
もう一人の母を演じたパトリシア・ロペス・アルナイス。Photo: Gari Garaialde

その2人の女性の間で、右往左往する男(夫)の存在も面白い。

彼は最初は曖昧に振る舞うが、徐々に断固とした行動をする、忠実なしもべとなっていく。

彼からは子供がどうしても欲しい、という感情が伝わってこない。妻が喜ぶからやっている感が強いが、嫌々やっているわけでもない。

子供に関して、女性ほどの執着を持てない典型的な男性として描かれている。

母は強し。男は脇役である。

※『わが娘』はスペイン語のタイトル、La hija(=娘)からの私の意訳です。

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※写真提供はサン・セバスティアン映画祭。