EURO2020、第2日。祝えないゴール、喜べない勝利。試合再開は“美談”で良いのか?
フィンランドの選手がゴールを祝えない光景を見て、この試合は再開で良かったのだろうか、と疑問を持った。
フィンランドはEURO本戦初出場で、初勝利をもたらすかもしれない(実際そうなった)大事なゴールだったのに。
その3分後デンマークのキャプテン、ケアはグラウンドを去った。エリクセンの気道の確保、カメラ対策として周りに壁を作らせた配慮、エリクセンの家族への応対などで、ヒーロー視されたばかりだったのに。
ケアはエリクセンの一番の親友だそうだ。
「影響を受けていて続けることができなかった。彼の気持ちは完璧に理解できる」(ヒュルマンド監督)
再開は選手たちの意志だった。
エリクセンの容態がはっきりするまで何もしない、と彼らは決めていたが、その点は、本人とビデオ通話をすることでクリアできていた。
同監督によればUEFAは2つのオプションを与えたという。試合を再開することと、翌日の昼に再開することだ。
「帰っても眠れない。ならば一度で終わらそうと選手たちが決めた」
「もちろん、こんな気持ちでは良いプレーはできないが、選手たちは信じられない努力をした」
ヒロイックな努力を監督は誇りに思い、両チームのファンは懸命な姿に喝采を送った。
ファン同士のエール交換も実に美しいものだった。
フィンランドの国歌吹奏にデンマークファンがブーイングをしていたのが嘘のように。
エリクセンを思う気持ちは、ライバル心を超えたのである。
そう、エリクセンが助かったことが何よりも重要だった。ゴールよりも、フィンランドの歴史的勝利よりも、大会の進行よりも、サッカーの試合なんかよりも……。
私は、中断のまま0-0で試合終了、という3つ目のオプションもあったのではないか、と思う。
戦える状態にないメンタルで戦かったことは確かに素晴らしいが、それは監督や選手たちに犠牲を強いることで成立する。
私は見ていても悲痛なだけだった。
あれは誰も喜べない試合だった。ゴールを決めても、勝っても。同時に、敗戦を悲しめない試合でもあった。何よりもエリクセンが一命を取り留めた。それだけで十分ではないか。
感情を込められない試合をすることにどんな意味があったのだろう?
「命が一番大事」と誰もが口をそろえた。その裏には“サッカーをしている場合ではない”という心の声があったはずだ。
その時点で、再開の意味は失われていた、と私は思う。
■ウェールズ対スイス
というわけで、デンマーク対フィンランドの戦評は書けないので、ウェールズ対スイスについて。
押し込まれ先制され、とても勝ち目がないかに思えたウェールズが同点に追いつけたのは、セットプレーのお陰である。
ロシアW杯はセットプレーからのゴールの最多記録を作った大会だった。169ゴール中73ゴールは43%である。
流れや展開に関係なく得点できるセットプレーはそもそも効率的なのだが、練習時間が少なくコンビネーションを作りにくい代表戦の場合は、特に力を発揮する。
ショートコーナーは失敗するとボールすら上げられず、自らチャンスを無駄にした気になるが、以下のようなメリットがある。
1.CKの守備は、ボールと相手を同時に視野に収めるのが基本だが、ショートコーナーでボールを動かされると、それは不可能。どうしてもボールを見てしまい、選手から目が離れる。
2.ゴール前にボールが来るまでの時間が長いので、その間、選手が大きく動けて守備陣形がかく乱される可能性が高い。
それらのメリットが、最も警戒すべき選手であるムーアがフリーでシュートを撃つ、という結果となった。
ボールを持てない劣勢の弱者がセットプレーでサプライズを起こすシーンは、これからも何度も目にするだろう。
※残り1試合、ベルギー対ロシアについては、こちらに掲載される予定なので、興味があればぜひ。