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イニエスタの顔黒塗りは人種差別か? グローバル化時代の人種差別の新基準とは

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
”スペインのサンタ”の顔黒塗りが問題になった(写真はイニエスタのツイッターから)

イニエスタが自身のツイッターに掲載した写真(上)が問題になり、謝罪する事件があった。日本のこんな報道を読むだけでは、何を言っているのかさっぱりわからず、“イニエスタは人種差別主義者だ”とか、“彼の行為は人種差別的だ”という読後感を抱いてしまうだろう。

が、それではもったいない。せっかくだから、印象論に終わらず、人種差別について考えてみたい。乾がホアキンに「目を開けろ!」と言われた時同様、である(このテーマにはついては――乾に「目を開けろ!」は人種差別?スペインに住む、いち日本人の見解――に書いたので参考に)。

さて、イニエスタの人種差別問題だ。

まず、写真について説明しておこう。変な格好をした王様みたいなのは何なのか?

王様たちは誰?なぜ家族と記念撮影?

彼らは「東方の三賢人」という3人の王様(兼天文学者兼知識人)である。キリストの誕生を新星で知った彼らは、東方(中東)から贈り物を積んでラクダや馬車に乗ってやって来て、誕生を祝った、という。

この3人の王様が赤ん坊のキリストを礼拝するシーンは、ボッティチェリ、ベラスケス、ルーベンス、レンブラント、エル・グレコなどの絵画のモチーフにもなっているので、思い当たる人もいるかもしれない(興味がある人は「東方三博士の礼拝」で画像検索すると山ほど出て来る)。

王様の名前は、写真左から白髭のメルチョール、黒人のバルタサール、茶髭のガスパールで、それぞれメルチョールがヨーロッパ人、バルタサールがアフリカ人、ガスパールがアジア人と人種的にばらつきがあるのは、布教を視野に入れたキリスト教の世界戦略だ、とする説もある。

この3人の王様の物語が、イニエスタの母国スペインで行事化するとどうなるか?

サンタ訪問に相当。子供向けの一大イベント

1月5日の夜と翌6日、“サンタクロースが3人いて、街ではキャンディをばらまき、家へはプレゼントを届ける、子供にとってのビッグイベント”と転じたのだった。

スペインにはもともとサンタはいなかった。その代わりに3人の王様がいた。クリスマスはおごそかにミサに行き、家族限定で食事をする日に過ぎなかった。

とはいえ、サンタを招へいすればプレゼントの日がダブルになって儲けが2倍という、おいしい話を商業主義が見逃すはずもなく、今はサンタも王様たちも共存共栄しているが……。

イニエスタの写真は、そんなスペインの子供にとってのビッグイベントでの一枚だった。

王様の家庭訪問は、子供たちにとってはサンタが家にやって来るのに相当する喜びだったろう、と想像する。が、このイニエスタ一家にとっては微笑ましい写真が問題になった。

バルタサールに扮したのが顔を黒く塗った白人だったからだ。

ブラックフェースとは?どう解釈すべき?

先の報道によると、顔を黒く塗るのは“ブラックフェース”と呼ぶらしい。

これをどう訳せばいいのか?

直訳だと“黒い顔”に過ぎないが、それでは人種差別にならない。おそらく、“顔を黒く塗るという白人視点(黄色人種も含む)の行為で、黒人をステレオタイプに陥れ、蔑視する人種差別行為”というほどの意味やニュアンスが込められているのだろう。

イニエスタに人種差別の意図があったとは思わないが、抗議した側の理屈からすれば “ブラックフェース=人種差別”だから、“顔を黒く塗った時点ですべてアウト”、“人種差別の意図が無くとも、軽率であり配慮すべきだった”という発想になるのだろう。

その理屈で行けば……、イニエスタは黒人にバルタサールの扮装をさせるべきだった。友人に黒人がいなければ探してでもそうすべきだった。

その理屈で行けば……、スペインではバルタサールは人気があり、子供たちは競って顔を黒く塗り、街はそんな憧れを抱いた“ミニブラックフェース”であふれるのだが、こうした“プチ人種差別”も子供のすることだから……と、大目に見るべきではない。むしろ子供だからこそ、人種差別の芽は早々に摘んでおくべきなのだろう。

“ブラックフェース=人種差別”ならば……

セルヒオ・ラモスやペペ・レイナ、ファン・ニステルローイら、過去には数々のサッカー選手が黒人でないにもかかわらず、バルタサールを演じてきた。有名無名にかかわらず、サッカー選手は地元のヒーローだから、王様に扮した彼らが街をパレードしてキャンディを配ったり、病院の子供たちにプレゼントを届けたりして喜ばれてきた。

が、こうした習慣もチームに黒人選手がいなければ断念すべきだ。“ブラックフェース=人種差別”なのだから。

オランダでは「黒いピート」のブラックフェースが問題化しているらしい――詳しくはこの報道を参照――が、あっちは「従者」でこっちは「王様」だ、という言い訳も、その理屈からすれば目くそ鼻くその類に違いない。

人種差別のグローバルスタンダード

グローバル化の時代である。人種差別か否かの基準にもグローバルスタンダードが必要だ。

スペインでのブラックフェースと、例えばアメリカでのブラックフェースとでは受け取られ方も文化的・社会的背景も異なるが、「世界が」人種差別と言えば、人種差別である。

黒塗りの道化で黒人を笑い者にしてきたのと、黒塗りで子供たちのヒーローを演じてきたのでは違うが、アメリカで人種差別ならスペインでもそうだ。

イニエスタ謝罪のニュースは、スペインでも大きな話題になっている。読者のコメント欄はイニエスタを擁護したり、人種差別ではない、と主張するスペイン人たちの声で埋まっている。

が、そんな悪あがきも間もなく沈黙するだろう。人種差別だ、という糾弾には正義の後ろ盾があるのに対し、そうではない、という反論はローカルな小声でしかない。

たとえ納得していなくても、"糾弾されるから、しない”式のグローバル化時代の処世術として、スペイン人たちも“ブラックフェース=人種差別”を受け入れざるを得ないだろう。

そうして、スペインからブラックフェースが一掃された暁には、黒人差別は解消に向け一歩前進しているはずである(ですよね?)。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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