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サッカー北朝鮮代表は“沈黙”と“笑顔”の連続…鄭大世と北朝鮮監督は元チームメイトだった?

金明昱スポーツライター
鄭大世も公式会見に姿を見せ、かつてのチームメイトとの再会を懐かしんでいた(写真:アフロスポーツ)

 W杯アジア2次予選、日本代表-朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表の試合前日(20日)会見に臨んだシン・ヨンナム監督が、どんなことを話すのか――。

 とても興味があったのだが、淡々と進む質疑と応答、それになかなか表情も崩さない。言葉数は少なめで、チームの情報も具体的ではないため、内情をほとんど知れないままこのまま終わるのかと思った。

 だが、一瞬、笑顔になる瞬間があった。それは日本テレビの中継で解説を務める元北朝鮮代表の鄭大世氏が現場に訪れ、「2010年にW杯出場を果たした当時のチームと比べてどのような点が進化したか?」と質問した時だった。

 すると「2010年当時と比べて選手も変わっていますし、現在の選手たちも非常に熱心に努力しています。全ての面で当時を上回っている。監督の私自身、非常に期待を掛けています」とコメント。これには南アフリカW杯に出場した鄭大世としては、少し苦笑いだったが、シン監督には現チームの完成度に確かな自信があるようにも見えた。

本当に「厳戒モード」なのか?

 会見後には15分だけメディアに練習が公開されたが、はつらつとした北朝鮮選手たちの動きをみる限り、調整は順調のようだった。約1時間の練習後、選手やスタッフたちはすぐにミックスゾーンに移動したが、日本メディアの声掛けに足を止めることはなく、バスに乗り込んでいった。

 ただ、呼びかけに応じないのは想定内。過去の代表戦取材でもそうだが、北朝鮮の選手が試合後に海外メディアに対して足を止めて話をしている姿は、ほとんど見たことがない。

 ミックスゾーンで取材に応じるか、応じないかは選手側が決めるので、話したくなければ立ち止まる必要はない場所。ただ、何も話さなくなるとどうなるか。実際、記事の見出しには「厳戒モード」、「取材を拒否」といった単語が並んでいた。

ハン・グァンソンが足を止めた先は…

 うまくメディア対応ができれば、殺伐としたイメージも大きく変わるもの。そこで期待していたのは、唯一の“海外組”でもあるFC岐阜の文仁柱(ムン・インジュ)の対応だった。

 在日コリアンでもある彼には、日本メディアに向けた発信者としての役割を期待していたのだが、今回は声掛けに笑顔で応じるにとどまった。まだ一度も代表戦に出場していないのを考えると対応は荷が重いとの判断だったのかもしれない。

 その中で、朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」の記者たちの呼びかけに笑顔で足を止めた選手がいた。カリアリやユベントスにも所属したハン・グァンソンだ。明日の試合に向けてのことや日本の印象などを特に話すことはなく、あいさつ程度で終わったものの、そこでは爽やかな笑顔を見せていた。

元北朝鮮代表の同僚と鄭大世が笑顔の再会

 声掛けに応じず無言の選手の姿を見ると、感情がないように見えがちだ。しかし、今回はここに鄭大世がいたことが幸いした。彼もミックスゾーンで選手たちの姿を見届けようと待っていたのだ。代表から離れてかなりの年月が経つが、かつて共に戦ったチームメイトが鄭大世の顔を忘れるはずもない。

 驚きの再会を果たした1人が、シン・ヨンナム監督だった。2人は同時期に代表で活動していたことがある。2007年の東アジア選手権予選を共に戦っており、モンゴル(7-0、鄭大世4点、シン・ヨンナム監督1点)との試合で2人はゴールを決めている。鄭大世が会見で質問をした時に監督が笑顔を見せていた理由は、まさにこういうことだ。

 もう1人は、2010年南アフリカW杯に共に出場したパク・チョルジンで、現在は代表コーチとして来日。鄭大世は「うわー懐かしい!」と声をかけると、笑顔で握手と言葉を交わしていた。

 そこには重い空気を一掃する爽快感があった。かつて共に戦ったチームメイトを忘れるわけないだろう、という北朝鮮代表スタッフの粋な対応に本来の素顔を見た気がした。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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