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李承信は朝鮮学校から誕生した“最高傑作”か。ラグビー日本代表の桜のジャージーを着てプレーする意味

金明昱スポーツライター
フランス戦に先発出場したSO李承信(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 日本に住む多くの“在日コリアン”が、ラグビー日本代表・李承信(コベルコ神戸スティーラーズ)の活躍をどのように見守り、どのような想いでその姿を見ていたのかを想像する――。

 筆者は都内のとある焼肉店で、7月2日のフランス代表との親善試合を在日コリアンの若者たちと見ていた。

 チームの司令塔となるスタンドオフ(SO)として背番号10番の桜のジャージーに袖を通した李は6月25日のウルグアイ代表との親善試合に途中出場して、代表初キャップを獲得。試合後は「(日本代表は)漠然とした目標だったので、正直に言うと、こんなに早く選ばれるとは思わなかった。素直にうれしいのと、驚きの気持ちです」と語っていた。

 そんな喜びもつかの間、彼に運が巡ってくる。7月2日、世界ランキング2位のフランス代表との親善試合。本来、リザーブだったが、SO山沢拓也(埼玉パナソニックワイルドナイツ)の新型コロナウイルス陽性を受け、急きょ先発出場の機会を得た。

 フランスを相手に先発で司令塔への抜擢。重圧もあっただろうが、そんな心配は杞憂に終わる。前半は13-13と互角の戦いで、李のゲームコントロールと正確なキックからのゴールが光った。後半は自身のミスから得点されるなど試合は23-40で敗れたものの、6本中5本のキックを成功させ、ジェイミー・ジョセフヘッドコーチからも「落ち着いてタックルを決め、指示を出し、挑戦する。今後の可能性がある」と評価されていた。

 敵将のガルティエ監督からも「10番は攻撃をうまく動かし、キックが非常に正確だった」とのコメントを引っ張り出した。

 初先発とは思えない21歳の若き才能の登場に、多くの日本のラグビーファンも未来への期待を抱いたはずだ。それにテレビ中継でのフラッシュインタビューに一番手に登場し「人生で初めてこんな大きいスタジアムでたくさんのファンの方たちに囲まれて試合ができたことは、自分のこれからの経験になりました」と爽やかに語る姿を見た時には、「こんな日が来るとは」と少し鳥肌が立ったものだった。

 焼肉店で試合を見ていた在日コリアンの子たちもその堂々とした姿に「すごい!」と歓声を上げていた。

 ちなみに朝鮮学校出身者が、ラグビー日本代表で初キャップを獲得したのは初めてのこと。そんな彼がラグビー日本代表の中心選手となっていた試合で、改めて時代の変わりようを見た気がした。

サッカー代表には多い朝鮮学校出身者

 ラグビーはサッカーとは違い、国籍に関係なく、居住歴などの条件を満たせば代表資格を得られる。現在のラグビー日本代表には、ニュージーランド、トンガ、フィジー、サモア、南アフリカ、タイと様々な国で生まれた選手がメンバー入りしているが、李は日本生まれの在日コリアンで、国籍は韓国である。

 李が“桜のジャージー”を着ることは、他の外国人選手とは少し違う意味を持つところがある。それは彼が朝鮮学校出身という点が大いに関わってくる。

 サッカーの場合、在日コリアンである朝鮮学校出身者がサッカーの国家代表になった例はたくさんある。近年で言えば、現役を引退した安英学、李漢宰のほか、現役選手では鄭大世(FC町田ゼルビア)、梁勇基(ベガルタ仙台)、李栄直(FC琉球)、安柄俊(釜山アイパーク)らが朝鮮民主主義人民共和国代表としてプレーしている。

 元ヴィッセル神戸の朴康造(INAC神戸の監督)は韓国代表としてのプレー経歴があり、韓国籍だった李忠成(アルビレックス新潟シンガポール)は、日本に帰化して、サッカー日本代表になったことも当時は大きなニュースになった。

「朝鮮学校出身の子が見たことがない景色を」

 日本に生まれながらに朝鮮半島にルーツを持つ彼らだが、李忠成のように日本代表を選択するケースはそう多くない。サッカーは代表選手の国籍やアイデンティティーが明確で、国同士が戦うスポーツだからこそ、国民も大いに盛り上がる性質があると思う。

 しかしラグビーの代表には、国籍の垣根がない。だからこそ李承信選手も桜のジャージーを着ることになにもためらいはなかった。

 ただ、もしかすると「在日コリアンなのに、韓国籍なのになぜ日本代表に」と物言いしたくなるコリアンの人たちも少ないながらもいるのかもしれない。「毎日新聞」が李の父である東慶(トンギョン)さんに息子のジャパン入りに対して取材しているが、こんなコメントを残している。

「(息子の日本代表入りに)否定的な意見を持つ人はいるかもしれない。でも、ラグビーはそんなスポーツではないと思う。承信には、これから朝鮮学校出身の子が見たことのない景色を見せてやってほしい。それがラグビー界や在日に限らず、いろんな子たちに次の道を開くことになると思う」

 この言葉がどれほど的を射た言葉なのかを改めて痛感する。

フランス戦では6本中5本のゴールを成功させた李承信
フランス戦では6本中5本のゴールを成功させた李承信写真:西村尚己/アフロスポーツ

2019年W杯で日本代表の活躍に憧れ

 今年2月、コロナ禍がまだ収まらないころ、筆者は李にインタビューする機会に恵まれた。この時はリモートだったが、彼のラグビーに対するまっすぐな情熱、そして憧れた日本代表になるという強い意志が画面越しから感じられた。

「将来的には日本代表としてW杯に出場したい。2019年日本代表の活躍に憧れました。絶対にあの場所に立ちたい」

 19年日本代表の勇姿が一人の若き在日ラガーマンの気持ちを熱くさせた。日本で生まれラグビーをしてきた者なら憧れないわけがない。

 大阪朝鮮高3年生の時は主将として全国高校ラグビー大会(花園)に出場し、高校日本代表やジュニア・ジャパン(U-20)の共同主将にも選ばれ、国際大会の経験も豊富。高卒後は強豪・帝京大へ進んだが、より高いレベルでのラグビーを求めて海外挑戦のため2年生の時に中退。

 運悪くコロナ禍ですべての計画が頓挫したが、縁あってコベルコ神戸スティーラーズに入団した。所属の神戸でも在籍2年目で副キャプテンを任されるほど。もっとラグビーがうまくなりたいという一心で日本代表の座をつかみとった。

強豪校のオファー断り大阪朝鮮高を選んだ理由

 フランス戦で李選手の躍動する姿に多くのラグビーファンが感動し、何よりも21歳という若さと才能が、日本代表の未来を明るく照らしたのは間違いない。そんな姿には特に朝鮮学校出身の在日コリアンやラガーマンが誇りに思い、勇気づけられたはずだ。

 彼が在日コリアンとしてのアイデンティティーをどれだけ大事にしている選手なのかがわかるエピソードがある。実際に取材したときにこんなことを話してくれていた。

「中学3年の高校進学時、他の強豪校から3~4つ声がかかっていたのですが、最終的に選んだのは大阪朝鮮高校でした。他校に比べて圧倒的に部員数が少ないですが、かつての先輩たちもゼロからチームを作って花園に出て、その後、有名大学やトップリーグで活躍しています。そんな姿を見て、自分も難しい環境に飛びこんでもやれば全国に行けるし、価値があると思ったんです」

 在日コリアンとしてのプライド、そして後輩たちの道しるべとなる使命を彼は背負っていた。かつては李も先輩たちの背中を見て育った。今ではラグビー日本代表に選ばれた彼の背中を見ている後輩たちがいる。

 李はいずれ未来の日本代表を担っていく選手になっていくはずだが、誰かがその壁を壊して生き様を示し、新たな世界が開けることを証明していかなければならない。だからこそ、桜のジャージーを着るというのは、李にとってごく自然なことだったのだろう。

「僕はただの新人」という謙虚さ

 ラグビーは紳士のスポーツと言われるが、試合中も試合後も違う国同士が垣根を超えて熱狂し、興奮させる力がある。

 日本人と在日コリアンから支えられ、声援を受ける“李承信”というラガーマンは、日本の文化と朝鮮学校という強い絆で結ばれた在日コミュニティーが育んだ”最高傑作”と言っては大袈裟だろうか。

 今では「未来の日本代表」、「異色の新人」とも呼ばれている。「注目されるのは嫌いではないです。でも未来の代表とか言われるのはまだ早いし、恥ずかしいです。僕はただの新人です」と苦笑いしていた。そう語る謙虚な姿勢も彼の魅力の一つ。

 来年フランス開催のW杯に向けた定位置争いはし烈だが、これからも日本人も在日コリアンも熱狂するようなプレーを見せてくれることを期待している。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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